第六話『霧の夜』 3

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第六話『霧の夜』 3

「……なんだ、いきなり」 「兵たちと話すとき、お前が声の力を使っていないのはわかる。わかるけど、わからない。説得に声を使えば、より早く奴らもお前に従うんじゃないのか。……特にお前の声は特殊だから…………」  言いかけたセイに、ロウはやんわりと首を振り否定した。こういうところだからこそ使うべきではない、そう諭しながら。 「俺はただ、正直に話をしているだけさ。……俺と相手の力関係があるから多少は優位に話ができる、ってのもあるだろうけどな。立場の差が無くたってわざわざ力は使わんよ。……大体お前だってどこかで理解はできてるはずじゃないか? 一時的に、強制的に納得させたとしても、声の力は長続きしないって」 「それは」  声の力は一時的なものだ。長時間続いたとしても精々数日。解けてしまえば、相手は警戒してくることだろう。セイもそれは良く知っている。声を使った狩りで失敗した時、しばらく獲物が獲れなくなったことがあったからだ。 「だから、人目の付くような場所で、それと分かる形で声の力は使うもんじゃない。他者に強制する言葉に混ぜ込むなんてわかりやすい典型だ。そりゃ必要に応じて使うこともあるだろうが、使えば身の安全の保障が揺らぐ。それに、密猟者に噂が流れりゃ、また狩られる側になりかねないんだからな、お前」 「……っ」  それはいやだとセイが顔に出す。ロウはその表情を見てから、申し訳なさそうに返した。 「ここにいる限りは、密猟者なんか寄せ付けん。安心しろ……。だが、そういうこともあり得なくは無いことは、頭のどこかに入れといてくれよ」  何年も先のことを見据えて動かねばならない場合、それは取るべきではない手なのだとロウは言った。どんな案件であっても、動くのは人だ。そこで下手を打てば、二度と動いてもらえなくなる。もっと悪い状態になれば、命を狙われることにもなりかねない。  重たくなった空気を払うように、ロウは鼻で笑った。 「だいたい、声の力で他人を従わせるだとか、何が楽しいんだ、そんなことして」 「楽しい楽しくないの問題なのか……?」  ふんわりと返された言葉に、セイは呆気にとられる。 「強制的に従わせて、働いてる連中を下に見て、悦に入るような神経してねえよ、俺は。――効率が悪いし、何よりそれじゃ、動かされる方もつまらんだろ」 「……そういう、ものか」 「そういうもんさ」  話を終わらせ、そのまま仕事に戻ろうとしたロウに、セイはさらに問いかけた。 「なぁ、ロウ。……声を使うなとは言うが、使うべきときってのは?」 「ん……?」 「さっき言っただろ。必要に応じて使うこともある、って」  セイは声の使い方を誰からも教わったことが無い。獲物を狩るときと、群れの者たちと言葉を交わすときに使うやりかただけは、翼で空を飛べるようになったのと同じく自然と身に付けられたことではあったけれど。  使うべき時、そうでない時、言葉の選び方、より高度な使い方。理解して使うのならば、それは身の守り方に通じることだ。もっと早くに知っていたのなら、別の生き方も選べたかもしれない知識だと、セイは感じていた。  もう、何もかもを失った後だったけれど。 「それも教えてくれないか。……そういうことは、俺の群れでは誰も知らなかった。そもそも、生まれた時の群れの中にだって教えられる奴がいたかどうかだ」  今更それを、俺が覚えてもしかたないかもしれないが。  そう言ったセイの言葉に、ロウはぴたりと仕事の手を止めて、至極真面目な顔を見せて答えた。 「いいや。今からでもいい。よく覚えといてくれ。……いいか。まず誰かに対して何かを命令したり、強要したりする声を使っていい時は……」  強く、はっきりと。ロウは言った。  ――敵に『退け』と命じるときか。もしくは味方に『逃げろ』と命じるときだけだ。  あの時の教えがセイの脳裏を霞めていった。それと同時に、首筋のあたりに悪寒が走った。風の冷たさからではない。強い視線のような気配を感じたからだ。  ――何か、いる。  黒曜石の眼が霧の中から影を捕らえた瞬間、彼はすっと息を吸いこむと、できうる限りの出力で、砦にいるもの全員へ向けて叫んだ。  寝ていようと、起きていようと。どこにいても、声が届くように。 「砦の者に告ぐ! みんな耳を塞げ! 小型の種族は身を縮めて隠れていろ!」
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