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第六話『霧の夜』 4
セイが声を上げたと同時、見張りの櫓から警鐘が鳴り響いた。谷に声が響き渡り、砦にいた者たちの中、わっと広がった緊張感を表すように、次々と周囲に光石が灯された。谷底には松明に火が入り、霧に溶けた火の色が谷全体を明るく輝かせる。
松明と光石、月明かりの光を霧が乱反射させ、谷底は一気に明るくなった。その光の中からあぶり出されたかのように夜の色が飛び出て来た。
甲高い奇声をあげながら黒い翼が二つ、砦の上を駆けていく。
「あれは……!」
セイの見上げた先、ぐるりと旋回した黒い翼のひとつがこちらに頭を向けた。その勢いでこちらへと向かってくるのがわかる。ギラギラした霧の明かりを受けたその翼の主の眼が、セイを捕らえた。
また一声、奇声が発せられる。
――我らに従え! 新たな群れをつくるんだ!
肌を粟立たせるほどの、強く命じる女の声だった。
セイの耳が震えた。しびれが耳の先に走る。耐性が無ければすぐに従いたくなるだろう、強い声だった。
間違いない。あれは。
「セイレーン……!」
翼は威嚇のために櫓の屋根をすれすれで飛び越えて行く。巻き起こされた風に櫓の屋根がガタガタと音を立てて震えた。その下、身をかがめて耳を塞いでいる小型の種族の者たちがさらに小さくなる。
頭上を飛び続ける翼たちは、何度も従えと繰り返し叫んでいたが、彼女の声を聞くより先にセイの声を聞いたからだろう、砦にいた者たちは何とか持ちこたえ動いている。これならまだ、セイの声は届く。視界の隅で全体を捕らえ、セイはまた息を吸って、声を上げた。
「高所にいるものは下へ降りてくれ! 早く! 巻き込みたくない!」
叫ぶと、セイは櫓から飛び降りた。素早く姿を変えて、風を掴んで飛び上がる。
羽ばたきで巻き上がった霧の渦の下に、様々な明かりで照らし出された川面が黒く光って見える。その中に見慣れぬ形の中型船がちらりと見えて、霧に消えた。
――あれは……?
ほんの一瞬視界に入ったそれを気にするのもつかの間、セイの意識は川面から上空へ。自分めがけて突進してくる翼を、今はどうにかしなければならない。相手がセイレーンなら砦の兵たちでは対処ができない。ロウは遅れてくる。それまで、持ちこたえねば。
上空に飛びあがったセイに、奇襲をしかけてきたセイレーンが目を向けた。
「その声。その姿、やはりここにいた! セイレーンがいてくれた!」
歓喜の声が一瞬上がる。けれどそれは、次の言葉の中で濁った。
「でも、何だ、何か違う。……お前、……その気配。まさか、生まれついての雄か!」
気を荒らげた女の声がセイに向けられた。ギャウ、という獣の声の中に混ざって聞こえる声は、普段セイとロウが使うような空中会話の声よりも荒削りなものだ。声を相手に聞こえるように向けられず、広がって、谷の中にわんわんとこだまする。
「その通りだよ。……なんだ、お前。声の飛ばし方もわからないのか」
突進してきた翼を軽くかわし、セイは素早く上を取った。素早さも数段セイの方が勝っている。落とすのは容易いが、相手はこの女だけではない。
セイの後ろからさらに突進してくる別の翼があった。先に攻撃を仕掛けてきた女よりも体躯の大きなセイレーンだった。ギャアと声を上げ両足の蹴爪をむき出しにして飛びかかって来る。
体躯の大きな女の爪をかわし、気の荒い女の牙を避ける。
「あんたの群れはどこ。忌子を出すなんて、だいぶ弱ってるんじゃないの」
「いつの話だ、俺の群れは既に滅んだ。ここにセイレーンは俺しかいない」
「嘘をつくな! あたしたちは、ここにセイレーンの群れがあるというから迎えに来たんだぞ!」
セイの答えに、気の荒い女が返した。騙されるものかと声に怒りを混ぜながら。
「俺の言葉が嘘かどうかも聞き取れないのか?」
それとも同属が嘘を吐けないことすら知らないのか。セイは、まさかという気持ちを抑えて翼をはためかせる。
「何を言っている。そうか、まだ飛べぬ子でもいるのか。なら隠す必要などない。あたしたちのところへ来い! ……いいや、来ないと言っても従わせてやる! あたしの声で、皆言うことを聞くようになるんだから」
目つきの鋭さを増し、気の荒い女はさらに速度を上げて飛びかかってきた。
「待って、姉さん……!」
姉と呼んで、先に飛び出た女を大柄の女が呼び止めた。けれど声は届かず気の荒い女はセイに向かって行く。
「あたしの言うことを聞け! 付いて来い、さあ!」
女はセイに声を張り上げた。
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