第六話『霧の夜』 5

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第六話『霧の夜』 5

雑なうえに不安定、同種族を前にして逸る気持ち故なのか、出力の調整さえもできていないその声は、第一声の言葉で慣れてしまったセイの耳には届きはしてももう効果を生むことは無かった。  元より同種族の声だ。このくらいの声ならば、耐性を持つセイには完全に無視できる。 「お前に従うつもりはない。そんなに連れていきたいのなら、俺に追いついて捕まえてみせるがいい」  セイは二人の気を惹き、砦から距離を置こうとした。追いつけるか追いつけないかというぎりぎりの速度で飛び、奇岩群の中を動き回る。獲物を追う性質に火をつけることができたなら、こちらのものだ。  この手で何度も、セイは追いかけて来た密猟者を落としてきた。  追われているふりをしつつ、こちらの有利を取れる場所へと導いてから、牙を剥く。数で不利なら即座に逃げる。  風を読み、味方につけて、風切り羽のひとつひとつに神経を張り巡らせて。翼全体の微細な動きで速度を出す。セイはそうやって飛び方を覚えて来た。群れを率いて、一人も落とさず、飛び続けられるように。  全身全霊かけて飛んで、追いつかれたのはただの一度きり。  あれに比べたら、何と余裕のあることか。  ――そうだ。そのまま追って来い。  砦の明かりがまだ谷底へ満ちている。だが櫓の群れからは遠ざかり、翼の邪魔になるものは無くなった。そこでようやく何かに気づき、ふっとセイを追いかけてくる気配に隙が生まれた。 「しまった……」  先に気づいたのは後ろを飛んでいた大柄の女の方だった。 「ビキ、罠だ! 引き返して! ――お願い!」 「うるさい!」 「群れが滅びたっていうのが嘘なら、あの砦にまだいるはずよ! 姉さんはすぐに使える群れが欲しいのでしょ、だったら……ッ!」  妹と思わしき女の呼びかけに、先を行く女は一瞬戸惑いを見せた。羽ばたきに数秒の迷いが生じて、妹分の声を呑み込んだのか砦へ引き返そうと向きを変えた。それに続いて大柄の女も向きを変えて背中を見せる。  セイは視界の隅でそれを捕らえると、口元をゆがめて言った。 「逃がすものか」  素早くセイは上位を取る。赤い月を背に、大きな漆黒の翼が折りたたまれた。  急降下――。    完全に注意力が散漫となった大柄の女の背を、セイの両足の爪が鋭く引き裂いた。 「――――!」  鈍く濁った悲鳴を上げて谷底へと女は落ちていく。ざぶんという大きな水音が聞こえて、川面に黒い翼が散らばって流れて行った。  砦へと向かい引き返して行った、姉と呼ばれていた翼が、またひとつ躊躇いを見せた。けれど彼女は砦に向かうことを選んだのか、もう一度、自分に従えと叫びながら戻っていく。  その翼を、セイは追うことはしなかった。追う必要が、無かったからだ。 「その先に手を出すなら、死ぬ覚悟を持てよ」
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