第八話『願い』 3

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第八話『願い』 3

「おじさんの周りを、探っていた、狼さんたち?」  タウゥの言葉に、アルグが静かに項垂れた。 「八人、いたはずだ。……全員帰らなかった。死んでいるのなら、せめて最期が知りたい」  ぺたりとアルグの耳が倒れた。  耳や尾に感情を出さぬよう訓練してきているだろう彼であっても、この問いに関しては別だった。コルナウスの長として知りたいのではない。彼は、彼として聞きたいのだ。  何かあれば命を失うような役職だから、仲間内でも常に覚悟はできていたことだろう。けれど、何の知らせも無く消えてしまった仲間たちのことを、アルグは決して無いものにはできなかった。 「やさしいひとね」  タウゥは言うと、苦しげに息を吐いた。額を濡らすのは川の水に濡れたせいではなく、滲んだ脂汗だ。 「一人は姉さんが……、三人は、他の姉さまたちが……。……でも、残りの四人は、船に、まだいるわ」  船を操る技術があったから生かされているのだと、タウゥは言った。その言葉に、アルグが息を呑む。 「……いま、あの船を動かしているのは、貴方の仲間。彼らがいなかったらここまで来られなかった。……おじさんは、正しい指示を出している気になっているけど、違うわ、あのひとたちが、正しい道を知ってただけ……」  ふ、とタウゥは笑った。 「賢いのはあのひとたちよ。指示に従うふりをして、貴方のところまで、獲物を追いこんできたんだから」  何と見事なことだろう。タウゥは声に乗せてアルグへと賛辞を送った。  手際よく、効率よく、獲物に悟られず。集団で狩りをする狼の本能を見たようだったと。 「あの人たちは、まだ正気なの。姉さんは自分の声が効いているのだと勘違いしてるし。おじさんは、自分の言う通りに動いてると、思い込んでいるだけで……」  姉の声に操られ、彼らは祖国を裏切った形を取った。けれど実際はそうではなかったのだとタウゥは言う。それを知っていたのは自分だけで、他は知らないことだとも。 「騙していると? ――なぜそう言える」 「……目が違う。それで、わかるかしら?」  自分たちにはよくわからない。けれど、あれは歪めることのできない何かを持った目だ。強制する声すら受け付けない何かを持った目だと言う。 「声に操られた人はね、……あんなに優しくて、強くて、真っ直ぐな眼を、しないのよ」  それだけは確証を持って言える。タウゥは真っ直ぐアルグを見据えて告げた。 「……ありがとう。そこまで聞けたなら、十分だ……」  張り詰めていたものが落ちたのだろう、アルグが深く息を吐く。肩の力を抜くと、力の抜けた尾がゆるりと床を撫でた。  それを見て、タウゥも体の力を抜いた。また一つ深く呼吸をしたかと思えば、彼女の体は突如けいれんし、胸の奥にごぼりと吹き上げる音を立てた。ふと緩んだ気持ちと緊張の隙をついて、とうとう彼女の身体が限界を迎えたのだ。 「……ッ! ……う、がふっ」  ごぼ、と、タウゥの口から鮮血が沸き上がった。吐き出そうとする嗚咽と力が足らず喉の奥へ戻ろうとする鮮血が喉に絡み、苦悶という他ない表情と、不快な音とが彼女の体を包む。 「いけない……っ!」  咄嗟にアルグがタウゥを抱え起こし、俯かせた。ぼとりと吐き出された血の塊が、目の前に飛び散って衣服へと染みをつける。 「が、……っ、は、……っ」  荒く呼吸を繰り返し始めた姿に、先は短いと誰もが察する。血に汚れることをいとわず、アルグがタウゥの背を撫でた時だった。 「ねえ。っ、……セイと、さいご、……っ話をさせて……、」  タウゥは、か細い声でセイを呼ぶ。血の混ざる粘ついた呼吸の合間、お願いと告げられて、セイは出入り口からようやく部屋へと入って、タウゥの前に膝を置いた。 「なんだ……!」  セイがタウゥの言葉に頷いた。聞いてやるという意味で声を返すと、タウゥはまた深く息を吸ってから、血の絡まる言葉を紡ぐ。 「姉さんを、……あたしの群れを、解放して、ほしい、の……っ」 「解放?」  その言葉に含まれる意味を、セイと、その後ろで控えていたロウは拾い上げた。  楽にしてほしい。もう、苦しめないでほしい。そんな願いと共にあるのは、滅びへの望みだった。 「……殲滅を望むのか」  ロウの問いに、タウゥは頷いた。 「そう……そうするのが、きっと、いい。みんな、壊れてしまった。……特に姉さん。あのひとは、哀れで悲しいひと、……もう止められないの。進む先に、希望が無いと、わかっていても、進むしかできないの……っ。だから……おねがい……」  貴方ならわかってくれるでしょうと、タウゥはセイに向けて微笑んだ。ぎこちない笑みではあったが、おそらくそれは、彼女が生きてきた中で初めて見つけた理解者への、希望の笑みだったのだろう。 「……できれば。もっと、はやく……あんたたちと、あいたかった」  弱々しく伸ばされた指先が、セイの頬へと触れた。  冷たくなった指先が血糊の筋を残して落ちる。 「お願い。…………あたしたちを、助けて」  タウゥは絞り出すようにその一言を言い残すと、どこか満足そうな顔を見せながら息を引き取った。
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