第九話『呪いの名』 3

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第九話『呪いの名』 3

「あの娘の名を、あんたの耳にもわかりやすく言葉にするなら『群れをつくり、導き、栄えさせる者』ってなところか。タウゥって言ったか、あの娘が声に乗せてた以外の細かい意味はもっとありそうだが……、それでも、そこまで固められちゃ、本人にも、他の生き方を選ぶどころか、それ以外ありえなくなっていることでしょう。……実際、あの娘の声にはそれしか無かった……群れを寄こせ、ってね」  ロウが耳を押さえながらつぶやいた。まだ微かに残るビキの声が、耳の奥で反響しているのだ。 「名前を、固められる……というのは?」  問いに、ロウは少し考える。感覚としてあるものを言葉にするのに、僅かな時間を要した。 「他の種族はどうか知らんが、少なくとも俺の種族……ローレライの名前ってのは、声の質で付けられるものでした。成獣する少し前か。大体が変声期を経て……子供の声が安定して初めてちゃんとした名をもらうんです。もちろん、中には例外もありましたがね」  他の歌い鳥の種族にもそういった名付けの法則があると言うなら、ビキ、という名は確実に例外の類だ。  ロウがそう言うと、アルグはセイに視線を向けた。 「じゃあ、セイ君は? 彼も、声の質から?」  セイは、そのまま視線をロウへと移す。  彼に名を与えたのは、ロウであったからだ。 「そうですよ。こいつの声の質です。……まさか、こいつがセイレーンだから『セイ』なんて名にしたとか思ってたんですか、あんた」 「ええ、ずっとそうだと思っていました。貴方の名付け感覚はずいぶん単純なんだな、と」 「……あのね」  鮮やかに光る緑の眼が、そんな意味があったのかと心底驚いたというように瞬きを繰り返す。  呆れたように肩の力を抜いて、ロウは自分の喉へと軽く触れた。薄布に隠れた喉元の鱗を撫でるように。 「……声を使う種族にとって、名前ってのはそれだけ重要なんですよ。音だけでは意味を成さない。……数多の感情や意味を込めて呼ばれて初めて、名前はそいつそのものを形作る言葉になる」 「……属する群れの中で……向き合う相手にとって、自分が何者であるか、そこにどういう形で存在するかを、そうやって知るわけだ」  アルグが簡潔にまとめると、ロウは頷いた。 「まずは声の質をどう感じるかを込めて呼び合い、……親しくなればなって行くほど、込められる感情が増えて、そいつの形、器になって行く……ローレライの名は、そういうものでした」  ただ。とロウは続けて、苦し気に俯いた。 「……中には『こうあれかし』と意味を持つ言葉を名に与えられて、先にかたちを造られてしまう者もいる。他の種族であればそれは祝福、祈りだの願いだのを込められてつけられる名になるんでしょうが、歌い鳥はそうはいかない。他人と向き合って自分の在り方、かたちを確立する前に、器を先に造られちまうんです。……そうなるとね、それ以外の形になる逃げ道が無くなるんですよ。そんなもんは、……呪いとしか言いようがない」  例えば。と言って、ロウはアルグを真っ直ぐ見据えた。 「鳥、といえば、一般的にどんなものだと思う?」 「……鳥? 空を飛ぶいきもの。とか、そういうものですか」 「そう。そんなので十分だ。……例えば歌い鳥の群れの中に、『鳥』と名をつけられた狼の子がいるとする。……あんたらの感覚なら、変わった名前、で済む話だろうが、歌い鳥の名前は違う。思い込ませるつもりなんか無く、親しいものが、近しいものが、その子の名を、翼あるもの、空を飛ぶものという、すでにあるかたちを想像しながら……いや、想像していなくてもどこかで声に乗せて呼ぶたびに、形が決められていくわけだ。自分は地を走る狼だと頭ではわかっていても。……それが長年続いたあるとき、こんな谷間の上にいる時に、目の前を見事な鳥が通り過ぎる。……どうなると思います?」  ロウはゆるりと指先で渓谷の上を指さした。谷の上は、霧で霞んで今は見えない。 「……つられて、飛び立とうとする?」 「……飛べないのにね」  わかってもらえただろうかと、ロウは視線を足元へと移す。  そもそも、声の含む意味まで汲み取れない狼属相手に、歌い鳥が声を混ぜて名を呼ぶことは無いだろうし、声を混ぜたところでそこまでには至らないとは思うが、と前置きをしてから、静かに続けた。 「その例え話なら、身投げした憐れな狼が一人でるだけです。……あの娘もそうだ。一種族の、小さな群れに生まれた子供でしかない。名の持つ理想を叶えられなければ、ただ夢見て叫んで飛び続けて。……滅びるだけの群れ抱えて死ぬ運命さ」  セイの群れが、そうだったように。ロウは冷えた声でそうこぼした。  それを黙ってセイは聞いている。 「……しかし、滅びる前に夢を叶えられるだけの相手が目の前に現れた。……互いの野心が噛みあって、名の与えて来た理想がより一層強くなった。と……」 「そういうこと。あんたの話だと、その男は国を取ろうとするような野心があった。あの娘は、自分の群れを持ちたいという願望があった。……同調したって何らおかしくは無い」  ロウは、それ以上はわからないと言って話を閉じた。
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