第十話『夢』 2

1/1

34人が本棚に入れています
本棚に追加
/81ページ

第十話『夢』 2

 ――なんてしつこい残響だ。  ぐったりとロウは枕に深く頭を埋める。  苦し気に横になっているロウは、数刻前、渓谷から王都へ戻ったばかりだった。  ビキと対峙した後、彼女の声がもたらした残響……耳鳴りに似た音が頭の奥に響いていたのはわかっていた。  渓谷を離れる前までは耐えられるほどであったそれは、飛び立って少ししてから威力を増した。視界が霞み、頭がぐらつく。なんとか飛び続け、着陸して足を土に着けた途端、その場に倒れ込んでしまった。  すぐさま支えたセイと城に仕える者たちによって御城へと運び込まれ、今は来客用の個室の、寝台の中だ。  ――俺が放った声の反動と、あの娘の声。相性が悪すぎたんだ。いや、この場合は相性が良すぎたというべきか。  少しでも動けばぐるりと視界が回る。  ――まるで毒を食らったみたいだ……。  ロウが使った声。リューゴというものは、感情を強く圧縮して声に乗せる。  あの時ロウが飛ばした声に潜ませたものは、苦しみに繋がる感情がほとんどだった。 想像できるかと促して、受け取った側に見せるあの最大級の警告に込めたものは、ロウの想像から形作るものではなく、もとより彼の中に経験としてあったものなのだ。  記憶を掘り起こし、思い出し、感情に変換し、声に乗せる。経験を重ね、その身で様々な物事を五感と感情で知ることによってリューゴは強くできた。けれど、強い言葉を紡げば紡ぐだけ、反発し、返って来る力も強くなる。  相手を傷つける言葉は常に自分にも牙を剥く。だからリューゴを含め声の力は易々と使えないのだ、と、ロウは教えられてきたものだった。  一方、ビキの持つ声は、いつまでも相手に残りやすいものなのだろう。声の力を使いこなせるのなら、セイやロウが使う声よりも長く相手に影響させることも可能だったに違いない。  ロウは、そんなビキの声を受けた。  ――群れを寄こせ。あたしの居ていい場所を。居るべき場所を、率いる群れを。仲間を。  叫びは痛みに似ていた。怒りと悲しみと、それでも諦めきれないというボロボロになった感情のかけらがそこに在った。自身が放った声の反動ですり減っているロウの感情の中に、彼女の呪詛のような言葉が棘のように残り、じくじくと毒が広がり続けている。  ――刺さる訳だ。あれは、今の俺には弾き返せない。  耳を傾けてしまったら、その言葉に一瞬でも気を引かれてしまったら、声は感情の隙間に入り込む。入り込んでも揺るがぬ心の強さがあれば弾き返すことは可能だった。  だが。恐怖、痛み、苦しみ、恐れ、悲しみ、血の匂い、叫び声、何かの燃える酷い臭い。口に広がる鮮血の味。すべてを凍り付かせるような冷えた空気。そして、何も聞こえなくなる、孤独。それらを記憶から引きずり出し、声に含ませる感情の結晶と変えるために向き合ったロウの中で、彼女の叫びはロウ自身がずっと抱えて来た叫びに混ざり合い、深いところで爪を立てたのだ。  深く息を吐き、体の奥底に潜んでしまった眠りを探る。いつまでもうるさい頭の中の雑音に、ロウは眉間にしわを刻んだ。  ――これが古傷、……か。  ルプコリスの王が口にした言葉が不意に蘇る。  痛みを恐れるなと言った彼には悪いが、前に進むどころか、今ロウが過去に負った傷を開いたそこへ流し込まれる、思い通りに事が運ばぬことに対して向けられた、憎しみと殺意が溶け込む新たな声がある。 「……っ」  動けない。喉の奥で声にならない悲鳴が詰まる。ぎゅ、とロウが身を縮めた。息を詰め、瞼を閉じて苦しみをやり過ごそうと喉元を押さえた。呼吸が浅く、上手く空気を吸うことができない。肉体的な疲労と、精神的な消耗。その波が毒を混ぜてロウの中で大きく口を開け、飲み込んでいく。  ――まずい。引きずられる……。  ひゅ。と喉の奥に僅かな空気が入り込む。浅い呼吸が繰り返されて、肺がまともに膨らまない。もがいて息を吸い込めば過剰に潜り込んだ空気に押されて胸がきしむ。  苦しい。そう感じた時、自己防衛だったのか、それとも全てにおいて限界だったのか。ロウの意識は一瞬で暗闇の中へと落とし込まれた。  気絶、と言っていいだろうか。強制的に力が抜けて、未だ残る雑音のために熟睡まで至れぬ頭は、彼に一つの夢を見せはじめた。
/81ページ

最初のコメントを投稿しよう!

34人が本棚に入れています
本棚に追加