第一話『沼の国』 1

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第一話『沼の国』 1

獣人たちの暮らすこの小さな大陸は、天地創造を終えた竜が長い眠りに就き、横たわった姿であると昔話で語られる。  真偽のほどは定かではないが、実際大陸は南北に細長く、北に頭を置き、南に尾を伸ばし、東に爪を、西に翼を畳んだ竜の姿のようである。  その中央部、大陸を東西に大きく分断しそびえる険しい山脈群は、竜の背骨。竜骨山脈と呼ばれていた。  高く険しく、万年雪を湛える竜骨山脈より西側の土地。山脈より流れる水を集め、北西の海へと注ぐ一筋の大河がある。名をノシナ大河。長く狭く、深い谷を有する大河だ。そのノシナに注ぎ込む支流のひとつ、ノウォー川の上流部。切り立った山々と段丘で作り出された中に、小さな国が細々と栄えていた。  竜骨山脈から流れる水は低地を這って大きく広がり、深い森の中に複数の湖沼群を作り出す。湖沼から溢れる小川はやがて、固い岩盤の裂け目、急激な落差を持つ崖に落ち、幾筋もの滝へと姿を変えた。  その滝を中心に抱き広がる土地こそが。沼の国(リーパルゥス)と呼ばれる小国である。  有する国土の面積だけで言えばそれなりの広さを持ってはいたが、竜骨山脈に近いため周囲の山の標高は高く、広がる森も複雑に深くなる。国土の中心部には滝と川とが存在し、おまけに固い岩盤でできた岩山や深い谷、湖沼群がほとんどで、使える土地が少なかった。  暮らしている獣人たちの数にしてもそうだ。生まれたばかりの子供から、老齢期に入ったものを全てかき集めたとしても、この国に名を置く者の数は、大河沿いの大国の、大きな街二つ分ほどしかない。  辺境にあって、広いだけで人の少ない小さな国。大国相手では忘れ去られそうなその国は、しかし、大河を行く者たちにとって、名を知らぬものなどいないという国である。  複雑な地形と空に浮かんだ赤と青二つの月の影響を受け、その地は、周期の長い赤い月の数えで一年に一度、山地の中に海を呼び寄せる。  空に浮かぶ巨大な赤い月がゆっくりと満ちてくるのに合わせ、足早の青い月はその満ち欠けで海を少しずつ持ち上げる。  持ち上げられた海水は、押しては引いてを繰り返しながら深い谷を遡り、湖沼の広がるこの国にまでやってくる。その時滝つぼは半分以上が海に飲まれ、リーパルゥスの中心には大きな汽水の湖が産まれるのだった。  もちろん大河も支流域の川も、その時期でなくとも物資を運ぶ。しかし、通常時よりも、うんと水量の増えるその時期は、小型の船が行きかうだけの水位から、大型船が山地まで余裕で入り込めるほどになる。その利点を生かし、山間部である上流域との交流を持つのに利用しない手は無いと、リーパルゥスでは水上大祭が開かれるようになっていた。  数多並ぶ船は店を兼ね、汽水の湖の上はさながら巨大な市場へと変わる。  海からは、南の国からもたらされる香辛料に海産物。何より貴重なのは、内陸では手に入りにくい塩だろうか。平地からは穀類や砂糖、干した果物、金物類に道具類、山地からは炭や材木、多種多様な薬草や珍しい石などが揃う。大河の流域にある国々の珍しい品々。それらが一堂に会してやり取りされる。  そこは、様々な土地の者たちがひとつ処に集い、遠い地域の物資を手にし、情報を交換し、そして知らぬ土地の者たちと出会う、貴重で重要な場所となっていた。
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