第十話『夢』 3

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第十話『夢』 3

 目を覚ました、というには不思議な感覚の中。ロウがその眼で見たものは、一面の乾いた平野だった。遠くに細く青く海が見える。足元には、その年に芽吹いたばかりの弱々しい若草が数本そよいでいた。  ――夢。  夢とわかる夢。不思議な感覚だと、黄昏時の空色の眼は荒野を見渡す。  ――懐かしいとも思わん辺りが、我ながら薄情だな。  ここは、ロウが捨てざるを得なかった土地だ。  北から南西に向かい連なる竜骨山脈と、火を噴く山々、東の端に広大な海を持つこの平野は、竜帝が治める帝国ルーテの支配下にある。  幾筋もの暴れ川が平地を流れ、火山灰土と、冷えて固まった溶岩の群れ成す痩せた土地の中では、何とか食いつなげる土のある場所を奪い合う争いが絶えなかった。  少しでも豊かになるようにと人は動くくせに、満足するほどの豊かさのないところでは他者を思いやる余裕も無いままに奪い合う選択を取らせてしまうのだろうと、ロウは幼心に思ったものだった。  遠くで土煙が上がっていた。戦の影か、それとも風にあおられ巻き上げられた乾いた砂の嵐だろうか。  夢とわかる世界の中で、ロウは自分の進む方向を自分では選べなかった。何かに導かれるまま、引き寄せられるまま、ふらりと足を進めて行く。  ――どこへ向かう。  見慣れたような、見覚えのないような、そんな景色が延々と続く。  枯れた草木。痩せた土。暴れる川。荒んだ人。  広いだけのこの土地で生きていく方法を、常に考えていたように思う。自分の意思ではない歩みを進めながら、ロウは夢の世界で記憶のかけらを結び合わせて行った。  足が踏みしめる土の上、次第に、土も水も、伸びた草も、色が鮮やかに変わって行った。  色濃く。周囲よりも少しだけ豊かさのある、小さな集落がそこにあった。  ――ああ。そうだここは。  帝都におわす竜帝に仕えていた種族、ローレライの一族が複数所有する広大な領地の、その片隅。  戦の匂いからは少し遠く、けれど痩せた土地なのは変わらず。病気や怪我で戦えぬもの、種族の違う者、混ざり者。力を持ってはいるものの、その使い道を知らぬ者。老いて群れから追放された者たち。様々な理由で真っ当な仕事を与えてもらえなかった者たちが押し込められた小さな村の集まりがあるその領地は、ロウの育った場所であった。  多少の木々や水源はあったにせよ、ほとんど荒野の片隅と言えるような、領地と言うにはあまりにも貧しい土地だ。けれどそこには、ローレライの長から直々に任されていたという領主がいて、ロウはその領主の下、小さな村の中で領主の子供たちと共に育てられてきた。  ――俺もここに捨てられたようなものだったか。捨てられたなどと言ったら、あいつらに怒られてしまうが。  ロウは、実の父母に関してはほとんど記憶がない。  特に父は、ローレライという種族であることと、その種族を束ねる地位にいる者ということ以外に教えられておらず、他に知ったことと言えば、複数妻を持つ種族でないにも関わらず、ロウの母とは別に、正式な妻がいたということくらいだろうか。  会話をしたことなど一度も無いまま、ロウがこの村を去ることになった一年ほど前に病死したと聞いた。  母に関してもそうだ、まともに言葉を使って会話ができるより前に離別し、それきり会うことなど叶わなかった。か細く残る記憶では、母がどこの誰というのはなんとなくわかっていたが、手放された以上は、やはり会ってはならない相手だと割り切っていた。  片親どころか、両親の顔すら知らず育つ種族の子も多い獣人の世界にあって、ローレライに関して言えば成獣しても子は親の群れから離れることは無い種族ではあったけれど、寂しいなどと思ったことは全く無い。ここにはそんなものを補って余りあるほどの満たされた時間があったのだから。 「ロウ様、次は何をしましょうか」  ざ。と雑音に混ざり自分を呼ぶ声が背後からして、ロウは振り返る。はっきりと見えない顔の若者たちがロウを通り過ぎ、その先に佇む若者へと駆け寄って行った。  ――あれは、……俺か?  成獣してすぐの頃だ。青年というよりはまだ少年と呼べそうな顔つきの。  不思議な感覚に、ロウはしばらく呆然とその光景を眺めていた。
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