第十一話『幻竜の将』 5

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第十一話『幻竜の将』 5

 冷えた朝の空気は温み始め、城下を包み込んでいた朝霧も陽の光が差すにつれ消えていた。窓から差し込む光の帯は周囲の影を濃くして輝く。  静まる部屋の中、未だ鼻先を肩口に埋められたまま戸惑うセイと、余韻に浸るロウに向けて、声がかけられた。  微かに笑みを含んだ声は、咎めるものでは無い。 「目が覚めたらずいぶん情熱的になったね。ロウ」 「……トキノ」 「気分は?」 「……悪くない」  名残惜しそうにロウはセイから離れると、今までトキノが見たことも無いほどに穏やかな表情で笑みを見せた。  毒気を抜かれた。緊張が解れた。吹っ切れた。何かを悟った。如何様にも言える雰囲気で、ロウはトキノと向き合った。 「なら、その気分の良さのままお聞き」  トキノは言って、ロウの前に立った。セイはその後ろに回りロウ共々女王の言葉を待つ。 「早速、下の船着き場で噂になってるそうだよ。昨夜の話」 「……なに」 「気の早い船乗りたちが日の出前からわいわいとね。大祭は中止になるんじゃないかだの、いや、竜将がいれば大丈夫だのと、賭け事になってるとか、いないとか」  く。と笑うトキノに対し、ロウは先ほどの笑みを消して、険しい顔へと変わっていた。 「……中には、お前に群れを潰されたセイが、復讐のために遠くから仲間を呼んだのじゃないか。なんて声もあるそうだ。……また別の話では、何かの手柄を欲したか、あるいは私から国を奪おうと企む竜将の自作自演か、とかなんとか」  言葉に、セイの耳が不快を露わに数回揺れた。 「そんなこと……!」  あるわけがない。と、声を上げようとしたセイを、ロウが裾を引いて止めさせた。 「……ロウ?」 「……どう考えても有り得ん話に、わざわざ怒る、ことは、……な、い…………、?」  おや、という顔をしたのはトキノだ。言葉を紡いだはずのロウも、困惑が混ざる。口を押さえて疑問を浮かべていた。 「お前は以前からこの手の話にすぐ警戒を見せる癖があると思ってたが。……なるほど、同類の声というのは、そこまでに変化をきたすものか」 「……いや、これは。セイの声だったから、だろうな。今は声の余韻も強い……。同類の声だって言っても、ここまでには、ならないと思う……」  セイに二人の視線が向く。驚いたのはセイの方で、急に話が自分に向いたことで一歩後ろへ下がってしまう。 「……変なことに、なってないなら。……良いんだが……」  戸惑いながら返したセイに、変どころか、長く続いた曇りが晴れたようだとロウは言った。それを見て、トキノは穏やかに笑みを見せる。 「やっとこの地に足を着いたようだな、その顔は」 「ああ、……不思議な感覚だ。長い夢から覚めたような、……翼の羽が全部生え変わったような……」  両手両足の指先から、角の先、今は見えぬ翼の先まで、満たされたのは今までにない新たな感覚だった。 「在りかたが変わるとは、こういう感覚なのか……」  ほう、と深く息を吐き、ロウは肩の力を抜いた。声に混ざるのは、自由、解放、諦め、そんな感情だろうか。聞き取れたのはセイだけであったけれど。その深いため息に、トキノは声を聞かずとも何かを察したようだった。  うつむいたロウの頭にトキノの手が触れる。小さな手のひらでロウの髪を撫でてから、言った。 「今までお前は、その名を呼ばれるたびに、一人でいろんなものを背負わされていたのだろうね。期待か、希望か、あるいは尊敬か。……それも度を過ぎれば重荷になろう。歌い鳥でなくても重荷になるものを、声に乗せられていたのだったら尚更だ」 「…………」 「期待には応えねばならん。希望は叶えてやらねばならん。そうやって生きて来たお前が、謀反の疑いなどという大傷こさえてきたのだものな。……小さな物音にも怯えるようにもなるか」  トキノの呟きに、ロウは短く答える。 「あいつらが悪かったわけじゃない。俺だって、進んでそうしたかったところはある」 「もちろん、何が悪いということではないさ。だがその残滓を引きずって来た故に長くお前は苦しんできたのも事実だろ。でも、…………もう大丈夫そうで安心したよ」  ぽん。と軽く頭を叩くと、トキノはちらりとロウの顔を覗き込んだ。 「なあ。お前が私と初めてまともに交わした言葉を覚えているかい」
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