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第一話『沼の国』 2
空を行く二人の真下、もうしばらくすると川は祭へ向けて多くの船が行きかうことになる。
「なあ。セイ」
鼻先で雲の欠片を蹴散らした銀の獣、ロウが声を上げる。真っ直ぐ飛んでいた身体を揺らし、僅かに翼の向きを変えると、視線を下へと向けた。
「夜は気づかなかったが、川下の水位が上がって来てると思わないか? これ、潮の影響かね」
まだそこまで急激に水の増える時期ではないはず。ロウは記憶を巡らせて、眼下に広がる光景と比較する。
「今朝見た滝の水量、かなりあったぞ。空気は冷たいし、山の上で雨が降ったんだろ。たぶんそのせいじゃないか」
鼻先に触れる風の冷たさと、土と水の匂い。雨の匂いだ。今朝がた霧が深くなったのはそのためだろうとセイが答える。
「東西結ぶ大橋の補修に支障が出なければいいんだが。……あとは、滝の周りに、船着き場も……」
心配そうなその声に、セイは呆れるしかない。
「今日は雨が降りそうな天気でもなし、問題ないだろ」
「まあ、そうなんだがな」
川筋に沿って上空を飛ぶ二人は風に言葉を乗せて会話する。
鳥類属や鳥獣属は、鳴き声を発して合図を送り合ったり、こうして人型の時と同じ言葉で会話したりすることも可能だ。ただし、声の届く範囲には種族によって違いがある。小型の種族であるならば乱雑に飛び交っても声は届くが、大型の翼を持つ種族は一定の距離を置かねば気流を乱してしまうため近距離で並んで飛ぶことができず、大声を張り上げなければ相手に声が届かないと言われていた。
けれど、彼らの声はそこまでせずとも鮮明に届く。
「何にせよ、今朝のあの濃霧はやっかいだ。またあの霧が出るかも知らんし……事故が起きる前に対処しないと。そうしたら、風読みと、停留所の監視に人を増やして……、適役は」
そんなささやきでさえ届いてしまうくらいに。
――この男は。
セイはそのささやきを聞いて、小さくため息をつく。
ロウは、気が付けばいつもその手の事で頭を埋めていた。無理やりにというわけではない、考えることを楽しんでいるのだと感じる。教えられてもセイには深く理解するまでに至らなかった、陣取りを繰り広げて戦う机上の遊戯を楽しむかのように。
リーパルゥスの生まれでないこの男が、どういう経緯でこの国にたどり着き、どんな育ちをしてきたのかセイはまだはっきりと聞いたことは無かったが、以前遠い異国で今と似たような事をしてきたという話だけは聞いていた。
染みついた習慣のようなものなのか。それとも、生まれついての才なのかはわからないけれど。
――よくそんなことを考えながらこの速度で飛べるもんだな……。
ばさりと、セイの翼がひとつはためいた。
「ロウ! 続きは城塞に戻ってから考えてくれ! 聞こえてるか、おい!」
「あ? ああ!」
もうすぐ城に着く。ひときわ高く鳴いた呼び声につられ、ロウの視線もさらに先へと向いた。
先を飛ぶセイが気流を読んで翼の向きを変えた。
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