第十二話『谷と崖の国』 3

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第十二話『谷と崖の国』 3

 赤茶に薄く紫の光沢が混ざる髪は後ろ髪だけが長く、不機嫌を溶かしたその眼の色は鋭い金色。袖先が両手の指先を隠すほど長い衣服を身に纏う。  ふわりと優しい色合いの衣を翻し、女性は部屋の外へと視線を向けた。 「なに、一番乗りは貴方なの?」  城の一室で今夜現れるだろう客人たちを待っていた彼女は、まず先に現れた来客に対してそう告げた。 「ご不満ならば出直しますよ、姫王様」 「わたくしをその呼び名で呼ばないで頂けるかしら。呼ばれるのが嫌な名で呼ぶからには、わたくしは貴方を正式なお名前でお呼びするけれど」  金色の眼が睨みつけた先、開かれた扉の向こうには苦笑する銀の狼が立っていた。 「失礼しましたリュラウェ陛下。……まあ、今この場所であればどっちで呼ばれてもオレは大して気にしませんので、お好きにどうぞ」 「相変わらず嫌な男ね、アルグ」  つんと返した女性は、名をリュラウェという。成獣してすぐの歳に、圧政を敷いた父王から軍を奪い、王座をも奪った、現女王だ。  まだ長く続くと思われた先代王の治世を強制的に終了させたのは、若き姫の気まぐれで始まって、運を以て上手く進んだ事などではなく、何年もかけて彼女と兵たちとの間で秘密裏に計画されて来たことであった。  そのため、兵たちからの信頼も厚く、民からは圧政からの解放を成したヴァリスコプの花、新たな時代の女王と慕われている。気の強そうな眼差しを覗いては、勇ましい話を聞いて想像する姿とはあまりに遠く、黙って佇んでいるだけならば、確かに花と例えるにふさわしい乙女である。 「それで、……アウルクス様は一緒じゃないの?」 「アウルなら、リーパルゥスの女王様たちをお迎えに出てますよ。……呼びつけたのはあいつですから。オレが出迎えるより良いかと思ったんで、任せしました」 「貴方、自分の主だと言って回っている相手に何をさせているの。側に控えるなり、代理をしたらどう? 今の貴方の姿なら、わたくしの兵はたとえ生粋の狼属であっても何も言ったりしないわよ」  普段より豪華な衣服に身を包んだアルグは、どうだか、と返しながら室内へと入って行った。 「オレはね、この姿で人目につくところをうろつきたくないんですよ。なんせ育ちが悪いもんだから、どこでボロが出るかわからないでしょう?」  襟元に銀糸で刺された刺繍は二つ頭の狼の紋。彼が着慣れた服の刺繍とは異なるそれは、灰の狼としてではない、別の立場でそこにいることを意味していた。 「そんな恰好をして、よく言うわ」  ひらりと両手を掲げて溢された言葉に、リュラウェは呆れたというようなため息で返す。  ヴァリスコプとルプコリスは、街道と大河、両方での交流があるため長い付き合いのある国だ。ゆえに、リュラウェは王になる以前、ただ姫とだけ呼ばれていた幼少時からルプコリスの王の事も、合わせてこのアルグの事もよく知っていた。ただ、そのときから、彼女の目に映る彼らの姿は大きく変わることは無く、彼らは逆に、リュラウェがまだ生まれたばかりの卵の頃から彼女の事を知っている。  そのくらいは気の知れた仲であり、険悪な関係にならずとも良い間であったが、リュラウェはアルグに対し遠慮が無かった。 「育ちはともかく生まれはわたくしよりも良いくせに。貴方のそういうところ、本当嫌いよ」 「お褒め戴き嬉しい限りです、姫王様」 「褒めてなどいませんし、その名前で呼ばないでと言っているでしょう!」  短いやりとりで生じた小さな怒りを冷まそうと、リュラウェは視線を外へと向けた。壁一面の大きな窓にはめ込まれた透明度の高い大きな硝子板の向こう側。夜が落ちた街の中は街道に沿って鮮やかな明かりが並ぶ。その上を、夜闇によく映える白銀の大きな翼が横切って行った。 「……あれは、ロウか」  アルグもそれを見つけて、小さく声を上げる。  リュラウェは窓に駆け寄って、降りていく翼に視線を向けると小さな感嘆を漏らした。見開く眼は街の明かりを受けて貴石のように輝きを増して、ほう、とため息を溢す唇は薄く開いた花のよう。 「あれがリーパルゥスの竜将なの? ――なんて綺麗な翼なのかしら」  呟く声は、先ほどの鋭さを無くし、まだ若き乙女のものへと変わっていた。
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