第十四話『災いと祝福』 1

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第十四話『災いと祝福』 1

 ヴァリスコプに集まった王たちの会談の翌朝、リュラウェが言った通り天気は大きく顔色を変えた。重たい色をした雲は朝から雨を滴り落とし、見渡す限りを湿らせて、静かなささやきに似た音が、近く遠く聞こえてくる。  ヴァリスコプの王城の一角に設けられた来客用の棟、その中央に位置する談話室には、軽食と温かなお茶が用意されて並べられていた。  その香りに誘われたかのように、あくびをしながらやってきた姿があった。 「……ふ、あ……」  伸びをしながら談話室へ入って来るその姿に、にこやかな声がかかる。 「やあ。おはよう、ドラクネル」 「すごいあくびですね、ロウ。立派な牙が丸見えだ」  窓を背にして置かれた上質の長椅子に腰かけてそう声をかけたのは、昨夜見た華やかな装いとは打って変わって、素朴で柔らかく、落ち着いた衣服を身に纏う狼の王族の二人であった。 「あっ。……アウルクス陛下、アルグも……。おはよう、ございます」  先客としてその人がいると思わず、あくびで緩んだ顔を瞬時に引き締めたロウは背筋を正す。その姿に、アウルクスも、その隣でくつろいでいたアルグもまた小さく笑った。 「貴殿ひとりかい。トキノと、セイ君は、まだ休んでいるのかな」 「ああ、トキノはヴァリスコプの姫王様と二人で朝食をご一緒するとかで。今しがた送り届けてきたところです。セイはおそらくまだ部屋かと」 「そうか。うん、あの二人が会話できるようなら何よりだ」  トキノは、リュラウェが二人で話したいからと、互いに付き添いも見張りもつけず、朝食の席に招かれている。どんな話をするかはわからないが、そのまま国同士友好関係を作れたらいいと、ロウは見送ってきたばかりだった。 「貴方は、もう少し寝ていたかったように見えますね。寝つけなかったんですか?」  アルグがまだ消えぬ笑みを見せながら言うと、ロウはばつの悪そうに答えた。 「あんな精密な地図見せられた後じゃあ寝つきも悪くなりますよ。……恐ろしいような、血が騒ぐような……」  蝙蝠の記録図をあの後他にも数枚、ノウォー川の周辺のみに限ってだがロウとセイは見ることを許された。ヴァリスコプからリーパルゥスの国境付近まで。地図に描かれた風景と、彼らが空から見る風景が合致して、ロウもセイも興奮を隠せなかった。  そんな二人を前にして、自慢げに、けれど丁寧に、リュラウェは季節や陽の傾き具合、天候の違い、昼夜の差によって、細かな地形に影響する風の向き、水の流れを時間の許す限り詳しく話して聞かせたという。 「恐ろしいと言えばあの姫王さんだ。空を飛ぶ者なら高い位置の雲と風を見て二日後くらいまでなら天気はおおよそで読めるものだが、そこから影響を受けての風と水の流れまでほぼ正確に先読みしておられた。……風読みも地形の読みも……、おまけに都市計画の知識までもずば抜けてるときた。時間が許すならもう少し話をしてみたいくらいでしたが……、いやしかし、何がすごいって、あのお方…………」  言いかけてロウは声を潜めた。言いたいことはわかるというように、アウルクスもアルグも頷いて応える。 「あぁ……彼女は、……飛べませんからね。セイ君とは違って実践で覚えた風読み術じゃなくてあれだ。……とは言え、空に対するあこがれを捨てきっていないところが、彼女の強いところでしょう。彼女はあの技術と知識で、父王から軍と玉座を奪ったようなものだから」  アルグが言う。  リュラウェは幼いころに父王の作り出した諍いに巻き込まれ、毒殺されかかったことがある。その影響が指先……風切り羽根と、それを動かす腱に残ってしまった。  獣型になり翼を広げることはできても、風切り羽根が正常に動かせなければまともに飛ぶことはできない。飛べないならせめてと、知識を蓄えた結果、都市を栄えさせる方法や、風や地形を知り、天候を地上から読み解く術を得た。生半可な努力では無し得なかったことだろう。 「だからこそ、彼女はそれをいくさ事にだけ利用しようとする父上が許せなかった。民事にも利用すれば多くの民にとっての助けとなりうるものを、争い事にのみ特化させ民を苦しめることになるのが嫌だと」  以前そんな話をしたとアウルクスは言う。 「そうでしたか……」  そんなリュラウェだからこそ、隣国であるリーパルゥスの女王とその将に会わせても問題は無いだろうとアウルクスは考えていた。お互い交流が深まれば周辺国にとっても悪いことにはならはないからだ。 「いつか機会があればとは常々思っていたが、我が国のことに巻き込んだあげく、急な話で慌ただしくなってしまった。……もっと時間をかけてゆっくり話せるよう仲介したかったんだがな」 「いえ。きっかけは何にせよ、アウルクス様にはお礼を申し上げねば。今回俺たちが得たものは大きい。……このような機会を作っていただいたことに、感謝いたします」  ロウは静かに頭を下げた。  それを見てアウルクスは穏やかに笑みを浮かべた。アルグもまたどこか満足気にその姿を見つめていた。 「こちらこそ、だ。ああ堅苦しいのは無しにしようじゃないか。……僕もせめて、この場所、この時くらいでは、気を休めたい。国に戻ればやることは山積みだからね」 「……は」  そこは、他国の王たちが休む部屋として用意された空間だ。リュラウェが気遣い、人払いをさせているのか、本来ならば身の回りの世話をさせるような者たちや、食事に至れば給仕役などがいるはずの部屋の周囲は、静かに雨音だけがしとしとと聞こえているだけである。  ここ数日慌ただしく動き回っていた彼らにとって、張り詰めていた気持ちを落ち着かせ、頭の中を整理させるにはちょうどいい空間と、時間であった。
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