第十四話『災いと祝福』 2

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第十四話『災いと祝福』 2

 雨雲が薄くなったのか、窓の外が少しだけ明るさを増した。  ロウは窓を背にして座る狼の二人を前に座ると、目線の高さが同じになったアウルクスの変化に気づいた。  陽の光の下にある、僅かな違和感。 「……?」  疑問を浮かべる視線に気づき、アルグが言葉に変えた。 「こいつの眼の色が変わってることが、気になるんでしょう」  言われて、ロウは頷いた。視線の先の色は、ロウの知る菫色からアルグと同じ鮮やかな緑へと変わっていたのだ。 「僕の眼? ああ、貴殿とは夜にしか会っていなかったからな」  これだけ近くにいれば流石にわかるかと、アウルクスは言って目元に指先を添える。 「陽の下では緑色。月明かりでは菫色に。……昼と夜で色が違うのはフェンリルの眼の特徴でね。……僕らが父の血を……、フェンリルの血を引いたことの証しだよ」  今ではただ、群れに属さない、属せない理由のあるはぐれ者、流れ者、一匹狼を指す言葉となってしまっているが、本来のフェンリルは、古い昔に大陸の北に暮らしていた一族に繋がる者を指して言う。  ルプコリスの先代の王。……女王であったが、彼女の伴侶となった狼は紛れもなくその血を引いた狼であった。  輝く銀の毛並みと、夜と昼とで色を変える眼という特徴を持ち、成獣した後親の群れを離れて単独で行動しはじめる。自身が群れの統率者になることは無く、自分が生きるに相応しい群れを探して彷徨い、従うに値する群れの長を支え、その群れに入り込むのがフェンリルの性質であった。 「僕らは双子だから継承権は等しくあったはずなんだが、僕は眼、兄さんは毛並み、……外見上僕の方がフェンリルの特徴が目立たなかったから、僕に王位が回ってきたっていう話さ」 「それだけの理由で?」 「少なからず揉め事のひとつになるだろうからと。決めたのは父だったそうですよ。狼属にとって、フェンリルはそれだけ好ましくない存在ってことです。まあオレとしても、あんな堅苦しい所に納まるのは、嫌でしたけどね」  大陸全土を駆け回り、他所からやって来る狼としてあちこちの国で記録される一方、フェンリルは遠くの地から様々なものをつれて来る狼としても知られることになった。  つれて来るのは、疫病、害虫、それに戦。彼らのせいではないにしろ、自然災害すらも彼らが呼びよせるなどと言われるようになり、いつしか狼属の中では災いを呼ぶとされ、群れをつくる者たちには忌避されるようになった。 「不気味な眼に、特徴のある毛色。災いを呼ぶ狼、群れ成すことを拒む異端者。そのくせ、強いものに守られようと這い寄って来る『陰の者』、などと言われていれば、……よそ者を嫌い、血の繋がりを強くする群れの狼ならば流れ者を嫌って当然だろう。まして見た目が他と異なれば言うまでもない。母はそういう男を伴侶に選んだ物好きと言われたが、……だが、王になってわかった、国を守り維持するには、伴侶の候補として挙げられていた多くの貴族の中から選ぶわけにいかなかったのだ、母上は」  もちろん、父との関係は消去法から生じたものではなく、互いに互いを唯一無二と認めた結果だったはずがとアウルクスは付け加えた。 「……では、もしかして今追っている男も……母上殿の?」 「そうらしいですね。……当時を知る者の話によれば、十数名いた候補の中で選ばれる可能性が一番高かったのは奴だろうと言われていたとか、なんとか」  嫌そうに答えたのはアルグだった。 「アウルがまだ成獣していないだとか、父親がフェンリルだからとか言ってはいたが。ここだけの話、その時選ばれなかったことに対する反発が大きかったんじゃないか、と、オレは思いますね……。王子は即位するに相応しくない。自分こそが相応しいはずだと言い出すには十分な理由だ」  その声に従ったものは、多くが貴族だったと、続けてアウルクスはこぼす。 「僕が捕らえた貴族の中には、内乱はフェンリルの血が災いを呼んだのだと信じて疑わぬ者もいたがね。……おそらくは母上の生まれるより以前に、多くの貴族の連中がすでに腐敗していたのさ。……そうでなければあれほどまでに国は乱れず済んだはず……いや、そもそも、あのような事態にすらならなかった」  ため息を落とし、アウルクスは眉間にしわを寄せた。 「フェンリルの血を玉座に据えたくはないと奪い取ったのなら、より良い国に変えて見せるのが道理というもの。……なのにあいつら、守るべき対象を獲物にすり替え、我先に貪る獣になり果てやがったからな」  アルグがそう吐き捨てると、アウルクスも頷きため息で返す。  彼らが王位に就いて約二十年、当時乱され壊されたものを少しずつ修復して、ここ数年でようやく国が正常に動き出したと言えるとアウルクスは思う。それほどまでに国の中は荒れていたのだ。謀反を起こした貴族たちが私利私欲を求めた結果が招いた荒廃の傷は、思いのほか深かった。 「……それでも、民までが腐敗せずいたことは、救いだったか……」  アルグが溢すと、アウルクスもちいさく、うん、と呟いた。  風向きが変わったのか、窓硝子を雨粒が叩く音がする。湿っぽくなった空気の中に、ふ、と小さな笑い交じりの声が響いた。 「なにか、おかしなことを言いましたか、オレは」  不満そうな目を向けたアルグに、ロウは手を軽く降って、そういうわけではないと答えてから続けた。 「普段あんな胡散臭い感じがするのに、あんたは、民の関わるところでは王らしい考え方をするんだなと、思いましてね」  ロウが言うと、アルグの耳が小さく揺れた。胡散臭いとは何だと言いたげなアルグのその隣で、アウルクスが苦笑しながら言った。 「ははは、確かに。兄さんはそういうところが真面目だからな。……僕はいっそ、そのまま全て腐り落ちて滅びてしまえと思ったよ。そうすればどこにでも逃げられる。国だの玉座だのに縛られず自由に暮らせるだろうに、とね」 「アウルお前……っ」  そんなことは大国の王が溢して良い言葉ではないと声を荒らげたアルグに対し、ロウも流石に目を見開いて驚きを露わにした。 「ああ、安心してくれよ、今はそんな風に思うことは無いから。王としての自覚もある。だから、そんな、怖い顔、しないでくれないかな」 「だが、今のは聞き捨てならん」 「落ち着けって、アルグ」  掴みかかりそうな勢いのアルグをロウが咄嗟に止めに入った。宥めつつ、アウルクスは告げる。 「そんなふうに思っていたのは……城を追われて、離れ離れになっていた兄さんもまだ国に戻らぬ頃だ。僕は、どんな手であれ、運もあっただろうが実力で王座を奪ったあの男が群れを率いる者になるのなら、それでもいいのではないかと思っていたんだよ。どうせ、我が国の王家は、奪い合いを重ねて王の血筋を変えながら繋がってきた歴史を持ってるんだ。竜の皇族と違って単一の血族が成して来た国じゃない。大袈裟に言うならば、優秀な者が継ぐのなら王位を血で繋ぐ必要すらないからな。それは兄さんも良く知ってるだろう」 「……ああ、それがどうした」 「そのまま腐っていくならそれがあの時のルプコリスの運命なのだろうと思った。……だが、あの男は群れの長足りうる存在ではなかった。他の貴族たちもだ。変化を拒絶し、他意を述べれば排除し、必要ないと思ったものは技術であれ芸術であれ切り捨てて守ろうともしない。民の発展と安寧より、いかに自分自身がその時々で満足するかと行動していた奴らを、僕は群れを率いるには値しないと感じ取ってしまった」 「だから、貴方自身が王となる道を……王座の奪還を決意したのですか」  ロウの問いに、アウルクスは少し違うと言ってから、怒りをまだ残しつつあるアルグへと目を向けた。 「気づいただけなら放っておいたが、僕が王座を奪い返したのは、……民の意思を、国の存在を、守れるだろう人を知っていたからさ。……誰より民を想うひとだ、きっと僕よりも王座に相応しい。でも、僕が王座にいなければ、そいつは王にはならぬだろうと思ったからこそ、僕は王座を奪い返すために戦った」  もう、それも二十年も前の話だ。アウルクスは言うと、兄に向けて笑って見せた。 「……それはお互い様だこの愚弟。……オレとて、国を維持するに何が今必要なのかを知る存在がいると知ってなけりゃ、国には戻らなかったさ」  アルグはそう言うと、気恥ずかしいのか気まずいような顔をしてふいと横を向いてしまった。
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