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第二話『灰色の狼』 1
緩やかな山肌に点在する館同士を結ぶ通路群。狭い通路も広い通路も、各館から溢れる声が小さく聞こえ、大祭の準備が城の中でも進められていることが伝わってくる。緊張感と賑やかさに満ちたざわめく空気が、あるところまで進むとひたりと止んで、別の緊張感に満ちる。
初めてこの場に訪れた者であっても、限られた者しか立ち入ることのできない場所であると誰に問わずともすぐわかる。肌に、ぴり、と僅かに感じるのは、結界とも、縄張りとも呼ばれるもの。国中に薄く広がる、土地の主の気配。
そこからさきの通路から向こうは、王の私生活の空間。御城へと続く道である。
大きく幅のある石畳の階段は御城へ至るまでに二度ほど曲がり、通路の両脇、漆塗りの太い柱の隙間からは、艶のある緑を帯びた黒い瓦を乗せた屋根がちらりと覗く。良く晴れた青空の下に、瓦も柱もよく映えて見えた。
その瓦の屋根を見下ろせる場所から、訪れるだろう人影を待つ者たちがいた。
「竜将は先ほど戻ったそうです。こちらへ来るよう伝えたので、すぐ参るでしょう」
静かな応接室の扉を開いた小さな手があった。室内へと入る前に、広く取られた窓辺に置かれた長椅子に腰かけた人物に声をかける。
声は、若い女のもの。女、というにはまだ幼さを強く残す音だ。
「ずいぶん早かったですね。彼、国境まで出ていたんでしょう?」
長椅子に座る男がそう答え、いまだ扉の外へといる人物へ入室を促した。
「ええ、そのようです。……でも、あの子が急いで迎えに行ったようだから、あれも急がざるを得ないでしょうね」
室内に入り、窓辺と向き合う長椅子にふわりと腰かけたのは、鮮やかな髪色をした少女であった。夕焼け色の溶け込む長い金髪。その眼は沈む夕日の深紅の色。
長椅子に座った足は床に届かずふらりと揺れる。
少女というにふさわしい見た目の彼女は、しかし、子供というにはあまりに強い気配を持ってそこにいた。
「翼ある者なら半刻もかければ戻れる距離。……あの二人なら、上手く風に乗れば半時もかかりますまい」
小さな唇がにこりと笑みを浮かべる。
「陸路なら半日以上かかる距離を、半刻か……羨ましいことだ。まったく。ここ数年のこの国は、優秀な者が多く集まる仕掛けでもおありのようだ。それとも、貴女個人の魅力ゆえ、ですか?」
冗談めいた笑みを浮かべながら、向かい合う少女に向けて男は言った。
「魅力であれば真似はできないが、……仕掛けがあるなら教えてもらいたいものですね」
「そんな仕掛けがあるのなら、私も知っておきたいものだ。知らないところでそんなものが働いているなんて、薄気味悪いでしょう?」
少女は意味深に答えながら、長椅子の肘掛けに片手を置いて、深く背もたれに背を預ける。
ふ、とにこやかに笑みを浮かべていた少女の表情が、鋭いものへと変わった。
「……とはいえ、貴国の王と違って、私の持つ戦力らしい戦力は、今はあれしかおりません。そこはお分かりいただけますか? アルグ殿」
アルグと呼ばれた男は、少女の威圧を気にも留めず、にこりと笑って頷いた。
燻した銀を糸に変えたかのような、艶のある毛色をした柔らかそうな長い尾が、ふわりと僅かに揺れる。
「それはもちろん。我々も、貴女から何かを奪おうなどというつもりはない。この先、お互いの国の事を考えればなおさらに」
頭部にぴんと立つ、狼属特有の肉厚の耳が自信ありげに前に向いた。
「その辺は、我が王にも念押しされていますからね。……あまり迷惑をかけない程度にいたしますよ」
狼属の者はこの国にも数多く暮らしているが、彼はこの国の者ではない。
きっちりと着込んだ質の良い生地で仕立てられた装束は、目立つ飾りは無いものの、大き目の襟に狼の走る姿を模した文様の刺繍が特徴的であった。
それは、ノシナ大河流域最大の王国、丘の狼の国の、特別な礼装として広く知られたものだ。
アルグは、そのルプコリスからやってきた、軍人である。
ルプコリスでは狼属と他種族の混血が進んで、小型化するものや、垂れた耳、細い尾、巻いた尾を持つ者が増えているというが、長身ですらりとした長い手足を持つ彼は、その中にあってもまだ、祖の姿に近いものを引き継いでいるのだろう。
その狼属らしい耳と尾が僅かな音を拾って、反応を見せた。
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