第二話『灰色の狼』 2

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第二話『灰色の狼』 2

「……ん」 「……来たか」  少女もまた、扉へと視線を向けた。  部屋の外から聞こえてきたのは二人分の足音だ。短い間を置いて、足音は扉の前で止まる。扉を数回叩く音がして、張りのある声が続いた。 「女王陛下がお呼びだと聞いて参上した、入室の許可を」  声を聞き、少女が長椅子から勢いをつけて飛び降りると、小さな手で扉を開けた。 「お帰り、ロウ。セイもありがとう。お前が呼びに行ってくれたんだってね」  少女が扉の向こうに立つロウとセイを見上げて、それぞれに微笑んで見せた。  ロウは少女の前に膝をつくと、一礼してから、冷えたため息を混ぜてぽつりとこぼす。 「突然何用だ? ……女王陛下。なんぞ俺が、気に障ることでもしたか」 「そんな恐々とお言いでないよ、私の竜将。お前たちを叱りつけるために呼んだんじゃないんだから」  ふわりと、小さな手がロウの頭を撫でた。その視線の先にある白銀に、女王、トキノが小さく告げる。 「お前たちに内密の客が来てるんだ。……遣いに誰と言える相手でも話の内容でもなかったものだから、何も告げずに呼び出すことになってしまった。すまないね」 「客?」 「そう。ああ、……お前の友人、と言っておけば良かったか」  にこりと、トキノは笑みを浮かべる。 「友人……?」  立ち上がり、部屋の中へと視線を向けたロウが、眉間にしわを刻んだ。後ろから続いて部屋を覗き込んだセイが、あ、と声を上げた。 「アルグが来てたのか……」 「やあ、セイ君。久しぶりですね」  ひらりと手を振って笑みを見せたアルグに対し、ロウは額に手をやって短く唸る。 「……ま、た、あんたの厄介案件か!」 「そう言わないで、話くらい聞いてくださいよ。ロウ」  困り顔を見せて、アルグは苦笑する。 「あんたは普段からろくな話を持って来んでしょうが。狩りに行こうと言えば盗賊鼠の巣穴だったり、釣りに行こうと言えば獲物は私腹肥やした商人だったり! それに、その恰好で現れたってことは、厄介事じゃなきゃ何だ、世間話に来たって言うんですか」 「世間話……と言えば世間話かな。ただし、他言無用の特別なお話になりますが」 「嫌な予感しかしない言い方せんでくれ……!」  先ほどまであったロウの緊張感はすでに無く、ロウはアルグと何やら言い合いを始めてしまう。じゃれ合いのような、喧嘩の一歩手前のような、見ているものが手を出すほどでもないやり取りを始めた二人をよそに、セイがすっとトキノへと歩み寄った。 「アルグがあの姿でここにいるということは、ルプコリスが何か、この国に……?」  挨拶を交わすようにロウと言い争いを始めたアルグには問えず、セイはひそりと、トキノへ問いかけた。 「うん、……すこし厄介なことになったから、お前たちに力を貸してほしい、と」 「ルプコリス国内の話に……俺たち?」 「そう……」  そう告げたトキノの顔は、彼女らしからぬ陰りを帯びている。 「国……、王の縄張りの中に他国が武力を出すのは、……その、大丈夫なのか、トキノ。俺ひとりならともかく、あいつは一応将軍だろ?」 「お前が言いたいことは、よくわかるんだけどもね……」  獣人の国は、群れ。王の縄張りである。その国で起きたことは他国の助力を得ずに収めることが望ましいとされていた。知恵はともかく、他国から武力を借り受けるなどということは、その国が、縄張りを維持する力が弱まっていることを証明することに他ならないからだ。小さな集合体がさらに大きな集合体に属する帝国や連合国などという集まりでもない限り、縄張りがはっきりと敷かれ終えた国同士であるならば、自国に害が及ばぬ限り他国への武力の援助はしないというのが通例である。 「水上大祭の準備もあるのにか」 「ルプコリス王からの依頼と言われてはね。……私がこんな姿だろ、だから、私の即位の時にはあのお方に大変世話になったんだよ。未成獣の王を立てることを良く思って居なかった、父上の代からいた官吏たちを黙らせる後ろ盾になって貰ったり、不安定になってた政に手を貸して頂いたり、まあ他にも色々と。――その恩があるから、返せる分はできるだけ返したいのさ」  リーパルゥスの女王、トキノは、その血からか特異な体質を持っていた。  個体差はあれ一般的な獣人ならば、青い月の数えで十数年、遅くても三十年を数える前、赤い月の数えであれば二年半もすれば子を成せる、『成獣』と呼べる身体になるのだが、彼女はその兆しが一向に現れぬまま歳を重ねていたのだ。  種族や個人で差があるために獣人たちは年齢差をさほど気にすることは無いが、成獣したかしないかという差は重要視されている。成長過程のどの段階で成獣と言うかは種族間で異なりはすれども、どんな獣人でも成獣して一人前とされるため、たとえ同じ年に生まれた子供でも、成獣した者としていない者とでは得られる権利や周囲の扱い、年の数え方すらも大きく変わるものなのだ。  そんな獣人の世界にあって、彼女は幼い姿のまま王の位についた。国を治める王が男か女かという点で抵抗感を抱くものはあまりいないが、成獣していない王が立つとなれば不満を持つ者も少なくは無かった。先代の王に仕え、トキノをよく知っていた者たちの中にさえ反対する者がいたほどだった。  即位の前にルプコリス王の働きにより、王を支える側にいて、彼女が王位に就くことを激しく反発した者たちは位を降ろされた。納得のいかなかった者たちの中には国を出ていった者もいた。  今でも、国に仕える物の中に、彼女への反発が全くないと言う訳でないことを証明するかのように、彼女には、誰が呼び始めたのか、幼女王などとあだ名が付けられている。その名を呼んで、ひっそりと嘲るものがいるのだろう。  成獣するには十分な時を重ねているにも関わらず、身体だけは幼いまま。けれど、先王が亡くなり、その身で王位に就かねばならなくなったトキノを、様々な面で援助をしてくれたのが現ルプコリス王だったのだ。 「話に応じるのは個人的な理由からだ。縄張りの事なんてのもあるから、ますます私が表立って協力したなんてかたちにはできない。……すまないが、ロウ、セイ。……また、少しばかり私の我が侭につきあっておくれでないか」  幼い女王は小さく、ため息をついた。 「あんたがそういうなら、俺は構わないけど。……ロウ、お前は」 「……話の内容にもよる」  アルグとの言い争いを止め、ロウは女王を振り返り、答えた。  トキノは肯き、長椅子へと腰かける。続けてロウとセイもそれぞれ椅子に腰かけた。
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