35人が本棚に入れています
本棚に追加
第十九話『決意』 4
「……あの時止めてもらわなければ、どうなっていたことか。まったく、思い出すだけで恥ずかしい」
項垂れて耳まで垂らしたアルグへ、ロウは温かいお茶をすすりながら先を促した。聞きたいのはそこから先の話であって、過ぎたことはもういいのだと言うように。
「で。そこからどうしてその卵がそこにあるんです。……コルナウスからの報告を読みましたが、その卵がビキのものなら、生みの親に返してやるのも可能だったでしょう? ……結局コルナウスが助けたとか……」
彼女はまだ生きている。正しく言えば、死ぬことができなかった。フォロゴの負わせた傷は浅く、ロウのリューゴによって仮死に近い状態で気を失ったため、コルナウスによる応急処置で助かったのだ。
「ビキは、ええ、生きていますよ。……王都の郊外で療養しながら、回復に向かっているようです。ビキ、という名前の持つ意味も、貴方の声のおかげなのか、群れを失ったためなのか強い執着のようなものは無くなっているようでした。だから卵も、彼女に返そうと思ったんですが」
「拒絶されたんだろう。……いくら名の持つ意味を解いたって、あれがセイレーンの女であるなら、その卵の中身は……側に置けないはずだ」
セイが横から静かに言葉を挟んだ。
なぜ、と視線を向けたロウに、セイが答えた。
「その卵、たぶん雄の子だ。なんとなくだけど、そんな気がする。……俺がここでわかるんだ。産んだ母親なら、中身が雄であることくらい産んですぐ気づいてたんじゃないかと、俺は思う」
「……ってことは」
「大方の予想通りでしたね。……他の二つは数日前孵って、狼属の混ざり子だとわかりました。生まれた子は、船にいた部下たちが引き取って育てるそうです。……そしてこの卵はビキ曰く、彼女と……雄化したタウゥの子だと」
砦を襲撃したときのタウゥは、すでに身体がぼろぼろだった。卵を産んだ後だったというのもあるのだろうが、まださほど時が経っていないうちに雄化したことがあったのではという話があったのだ。
フォロゴは実の子であると信じて疑わなかったようだが、ビキはそうではないと言い続けていたとも口にした。ならば卵の中身は、セイレーンである場合があるのではと、彼らはひとつ可能性として残していたのだ。
「セイ君の言う通り。彼女には、忌子の産まれる卵をあえて自分の側に置く理由も無いと言われてしまいましてね……」
ビキは毒の抜けた笑みを向けてこう言った。
――冷静になって考えると、あたしがあの人に、……あたしたちの父親になった人に向けていた感情は恋心なんかじゃなかったのがわかったの。あたしは……解放してほしかったんだ。外から来て、外を知っているひとに。連れ出してほしかった。自由を与えて欲しかった……。あたしは、あのころ、あの人しか外を知ってる人を知らなかったから……それを、勘違いしてた。
かすれた余韻を残す声で、ビキは薄く笑った。
――……タウゥが雄に変わった時、混乱したわ。あの人とそっくりだったから。あたしを迎えに来てくれたんだと本気で思ったくらい。嬉しかった。……本当なら近づかないほうが良かったんでしょうね。あたしはそのまま、あの子を、……発情した雄を受け入れてしまったの。……そして生まれたのがその卵。
それはあの人の子だと言い聞かせて、ビキは自分にすら嘘を吐き通した。それができるほど、彼女はその時狂っていたのだろう。冷静さを取り戻してからゆっくりと、真実が見えてきたように。
――おじさまには、本当に悪いことをしてしまった。
ため息に混ぜてこぼした言葉には、彼女たちの声を聞く耳を持った者が聞いたなら何が混ざっていただろうかとアルグは思う。
最初のコメントを投稿しよう!