第12話 いい子でダメな子で嫌な子

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第12話 いい子でダメな子で嫌な子

 こんな展開にはなって欲しくないと願っていたが、宮古(みやこ)珠里(じゅり)の神頼みは、見事に裏切られた。前沢(まえさわ)桐矢(きりや)が、学校を欠席したのである。  先日彼が部活を早退した日から、土日を挟んだ週明けのことだった。  担任教師から理由は体調不良とだけ聞かされたが、(くだん)の部室での出来事が影響しているのではないかと、珠里は勘ぐった。  県立赤嶋(あかしま)高校漫画研究部――漫研部に所属する仲間でありクラスメートでもある、山田(やまだ)律子(りつこ)も同じように見込んでいた。桐矢のことを中学時代から知る律子によると、昔から彼は、精神的な不調やストレスが消化器症状に出やすく、それで時折学校を休むことがあったのだという。  それにしても、土日を挟んだのだ。二日間、心を落ち着けるための時間はあったはずである。だが、桐矢のHP回復は間に合わなかったらしい。  ちなみに、珠里は事があったその日の夜に、様子窺いのラインメッセージを桐矢に送っている。ただ、それについても既読がついただけで返信がなく、余計に憂慮するところではあった。  致し方がなくてそんな状況のまま、珠里は律子とともに部室へ向かう。  そこには北上(きたかみ)稔貴(としき)平泉(ひらいずみ)(ひとし)久慈(くじ)雪奈(ゆきな)がおり、各々席に着いて作業スペースを囲んでいた。ただし、原稿や画材はまだ机には出ていない。  とりあえず、桐矢の状況について報告すると、倫と雪奈はそれぞれ複雑な表情を浮かべていた。特に雪奈は、「桐矢先輩、もう部活に来なくなったらどうしよう」と非常に不安そうだったので、そんなことはないと、珠里は根拠もなく楽観的なことを言って励ました。  一方で北上は深刻味がなく、「これで入院でもしたら、不祥事起こした政治家みてえだな」などと酷い冗談を言うので、こちらには背中に思い切り蹴りを入れてやった。なお、このくだりに関しては、律子もかなり厳しい口調で咎めていたので、流石の北上も多少しゅんとする。  そうこうしていると、顧問教師の二戸(にのへ)拓望(たくみ)が、少々神経質な挙動で部室に足を踏み入れる。  二戸も桐矢のことは気にかかっていたようで、挨拶もそこそこに、部員達に彼の様子を尋ねてきた。  律子が、本日体調不良で欠席したという桐矢の状況を報告すると、二戸は頭を抱え、あからさまに狼狽える。彼は、自分が桐矢にきつく指導したことを申し訳なく思っていたので、もしかしたら本日の活動時にフォローするつもりだったのかもしれない。  更に、そこへ部長の金ヶ崎(かねがさき)(しのぶ)がやって来る。  偲は二戸の存在に気づくと、いつも着用しているヘッドホンを外し、手持ちのリュックのなかへとしまった。その上で、目つきが嫌悪感を隠さぬものへと変わり、二戸を睨みつけている。  その様相は平素の人懐こい彼の雰囲気とはまるでかけ離れており、珠里は自分が睨まれたわけでもないのに緊迫感を覚えた。 「……部長、お疲れ様です」  珠里が席を立って挨拶をすると、偲から「お疲れ」と返っては来たが、その声のトーンも心なしかいつもより低い。  偲の背後には、とある人物が立っており、部室のなかを興味深そうに見回していた。 「……永司くん?」  律子が気づいて、その人物の名を呼ぶ。 「どうもー」  軽い調子で手をひらひら振る彼は――このタイミングで何の因果か――桐矢の双子の弟・前沢(まえさわ)永司(えいじ)だった。  永司は以前、締め切り間近の偲の部誌原稿作成を手伝いに、この部室を訪れたことがあった。その時期はちょうど生徒会との仲が険悪で、部全体でトラブルを抱えていたのだが、その解決には彼が機転を利かせたことも足掛かりになっていたため、漫研部にとって浅からぬ縁の人間なのである。 「どうしたんですか、永司くん」 「んー? 体験入部」  倫が尋ねるのに対して、さらりと返ってきた永司の答えに、偲を除いた部員一同ざわめく。 「いや俺もね、今更ながらどこか部活入ろうかなって思ってね。受験とかの時もさ、万が一面接するようなことがあれば、部活とかやってた方が何となく体裁いいじゃん? で、せっかくだから、知ってる人も多いし漫研部がいいかなー、なんて思って。でも、いきなり入部してやっぱり合わないってなるのもあれだから、偲先輩にお願いして、暫く体験させてもらうことにしたんだー」 「そうなんですか、部長。そんな話、聞いてませんけど」 「うん、ごめん。言うの忘れてた」  倫が確認すると、偲は然程悪いとは思っていない様子で淡々と答えた。 「何で今なの……?」  直感的に背筋に嫌なものが走り、珠里は永司に尋ねる。 「桐矢の状況、知ってるんだろ。なのに、何で今……」 「えー、なになに、珠里ちゃん? 何か邪推してる感じ?」  永司は煙に巻くようにへらへらと笑う。 「まあね、この数日のうちに桐矢が色々あったってのは知ってるけどさ。でも、あんまり関連づけて考えないで。桐矢は桐矢、俺は俺、だよ?」  胡散臭い。  珠里が率直に感じた印象だった。  永司のことを悪い奴だとは思わない。何しろ、珠里が彼と関わったのは、五月末に部誌の締め切りを巡る騒動があったその時だけである。元々永司は、偲の原稿制作を手伝うために部室を訪れていたのだが、どういう風の吹き回しか、彼は生徒会の悪事の証拠を捉えて、漫研部に対する圧力を牽制するはこびへと持ち込んだ。しかも、部員の誰にも言わずにボイスレコーダーを仕込むという、なかなか強かなやり方で、だ。  結果として漫研部側は厄介事から解放されたわけで、その点については珠里も、永司に対して感謝している。しかし、彼の行動は意図がよく分からないことが多い。したがって、どうにも食えない印象が拭えないのである。 「……桐矢の具合は大丈夫なの?」 「大丈夫大丈夫。ちょっとお腹痛くなっちゃったんだって。昔からよくあるんだよね」  致し方なくて、質問を違う方向からのものに変えても、永司はあっけらかんと答える。 「桐矢も面倒臭い奴だからね。今は何だかんだいじけてるけど、気が済んだらそのうち戻ってくると思うよ」  そこでやめておけばいいのに、 「……まあ、気が済まなかったら戻ってこないかもしれないけど」  と、わざわざ付け足すのには、作為によるものなのか何なのか。  笑うに笑えず、返す言葉にも困って、部員達はそれぞれの方向に目を逸らすしかなかった。  そこへしばらく様子を窺っていた二戸が近づいて、偲に尋ねる。 「――金ヶ崎、この生徒は?」  二戸と永司は初対面である。  すると、偲が答えるよりも先に、永司が進み出て自ら自己紹介を始めた。 「あ、どうもどうも、二戸先生ですね。俺、前沢永司です。桐矢の弟です」 「先生、永司くんと桐矢くんは、双子なんですよ」 「そうなのか」  律子が横から口を挟むと二戸は軽く頷いて、再び永司に向き直る。 「それで前沢……永司は、漫研部に入部を希望していると?」 「実際に入部するかどうかは、体験させてもらってから決めます。今は、何となく楽しそうだなー、くらいの気持ちです」 「――永司くんは、以前原稿作成を手伝ってくれたことがありますし、絵も描けます。彼の入部に文句言われる筋合いはありません」 「俺はまだ何も言っていないだろう、金ヶ崎」  牽制するように言う偲に対し、二戸が呆れながら返す。ぴりついた空気が走った。  先日のやりとりを根に持っているのか、偲の態度は二戸に対して攻撃的である。その気持ちが分からないわけではないが、少々感じが悪いと珠里は思った。 「永司くん、絵描くんですか?」 「意外でしょー? でも、作品として人前に晒すのは初心者だから、お手柔らかにね」  倫の問いにおどけて答えた後に、永司ははっとしたように偲の方へ視線を向ける。 「あ、でも大丈夫か。初心者か経験者かなんて、関係ないですもんね。。だってこの部、誰でも歓迎してくれるんでしょう?」 「……何で今そういう言い方するの」  偲が答えるより先に、珠里は黙っていられず永司に対して反応してしまう。  本日このタイミングでの来訪自体が不自然だとは思っていたが、今の永司の言葉の選び方で確信犯的な空気を感じたのだ。 「桐矢から聞いてないの? うちらが何で揉めたのか、それが解決していないことも。知ってるんだろ。どうしてわざわざそんな煽るような言い方――」 「――――珠里ちゃん」  問いただそうとする珠里を静かに、しかし鋭く呼ぶ声が上がる。  咎めるような声にびくりと構えて振り返ると、偲が、その声色にはとてもそぐわないほどの笑みを浮かべてこちらを見据えていた。 「――――誰が揉めたの?」 「……え?」 「解決も何も、別に誰も揉めてないよね」  表情と声があまりに不自然で、まるで下手な合成動画を再生したような、不快な違和感に満ちた立ち居振る舞いだった。  更に珠里が面食らったのは、彼の言葉である。  先日の出来事について“揉めた”という表現が不適切だというのであれば、珠里も強過ぎる言い方をしてしまったと反省する。しかし、偲の淡々とした口ぶりでは、まるで問題そのものがなかったかのように聞こえる。 「で、でも、それで桐矢は――」 「――桐矢くんは」  恐る恐る指摘しようとした珠里を、偲は遮る。 「先生にきついこと言われて、落ち込んじゃったんだよ。本当に気にしいなんだから。しょうがないね、桐矢くんは。何も気に病むことなんてないのに、可哀想に」  それもあるだろう。桐矢は、「意味もなく在籍しているなら辞めてしまえ」という二戸の言葉に傷ついた。  だが、その後にも、桐矢の精神を追い詰めるようなやりとりがあったはずだ。 「ホントさあ、俺もどうしていいか分からないんだよ。何て声かけたら、桐矢くん元気になるんだろうね。どうしようかな、もう。電話は出ないし、ラインは既読スルーされるし」 「――金ヶ崎」 「もう、酷いじゃないですか、先生。何てことしてくれたんですか。桐矢くんは、すごくすごく傷つきやすい子だったのに。よくもあんなこと言ってくれましたね」  向き直った偲になじられ、二戸は深く息をついた。怒ったり動揺したりする様子はない。  如何ともしがたい相手を悩ましく思うように眉を顰め、一歩距離を詰めて二戸は言う。 「ああ。前沢にきつい言い方をしたのは、俺が悪かった。作品を描く以外の形で参加するという、活動のあり方も認める。他の生徒についても、それは変わらない」  しかし、彼が偲を見る目は厳しかった。 「それとは別に、金ヶ崎。お前は、前沢と何があったんだ」 「…………何もないですよ」  問いと答えの間に明らかな()が存在したが、偲の顔色が変わることはなかった。  ……?  珠里のなかで、疑念が顔を覗かせる。  何故偲は先日の出来事を、「何もなかった」などと言うのか。  もしかしたら都合の悪さを感じて、二戸の前では隠したいと思っているのかもしれない。それならば、まだ自然な感情だろう。  問題なのは、偲の振る舞いが、本当に何もなかったと思っているように見えるところにあった。あまりにも端然として悪びれることなく答えるその声が、やけに単調に響く。 「部長――」  去り際の桐矢とのやりとりを忘れたのか、と珠里が耐え兼ねて差し挟もうとしたところで、二戸が言葉を被せる。 「分かった」  それは、敢えて珠里の干渉を許さないようなタイミングで発せられた言葉だった。 「お前は、前沢とはんだな」  偲は、瞬きもまともにしない目で二戸を見据え、「はい」と短く答えた。酷く無機質な返事だった。  珠里は呆気に取られ、誰か何か言わないものかと縋るように、周囲を見渡した。  律子と北上は、それぞれ頭を抱えたり腕を組んだりしながら、険しい面持ちで何かを考えているようだった。倫は、どこか冷めたような目つきで、偲の顔に視線を向けている。そして、彼の後ろに隠れるようにしながら、酷く困惑した挙動で様子を窺っている雪奈。  そんななかでも、永司はにやにやとした笑みを引き締めることなく、場違いなほど楽しげな空気を纏っていた。  珠里が、彼の振る舞いを不愉快に感じたのは言うまでもない。 更にいえばどこか気味の悪いものにすら感じられ、警戒心を掻き立てられるが、それを誰にも説明することはできなかった。
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