第1話 猛獣呼び

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~~~~  律子には戻ってきて欲しいが、その時には北上がセットになっているであろうことが容易に予測できたので、桐矢は複雑な気持ちで待っていた。  偲は困ったように笑っているし、倫はおろおろしている。そして、珠里は相変わらず申し訳なさそうにしていた。  五分弱が過ぎた頃だった。  律子は確かに帰ってきた。北上に抱き上げられた状態で。 「…………おかえりなさい」 「…………思ってたのとだいぶ違う姿だけど、おかえり律子ちゃん」  全員が唖然とするなか、倫と偲が口を開いて律子の帰還を迎えた。  ちなみに律子の身長は163センチだと、以前本人が申告している。細身とはいえ、背丈相応の体重があるのだろうから、そんな彼女を抱き上げて平気な顔をしている北上の筋力も相当のものなのだろう。  そのせいで、北上に対する桐矢の恐怖が増すばかりだ。 「階段を降りて鉢合わせたもんだから、私も頑張って北上君を説得しようと思ったんだけどね」  溜息をつきつつ、なお横抱きにされたまま律子が状況を弁明する。 「逆に凄まれて恫喝されて、今こんな状態だよ。おかげで私、『壁ドン』『顎クイ』『お姫様抱っこ』という三大イベントを、つい今しがた描写もなく雑に消化しちゃったところだよ。もう一生の不覚」  一生の不覚、という言葉の割に落ち込んでいる様子は見られないが、募る不満はあるようだった。  律子の心中には痛み入るが、桐矢には彼女にかける言葉が見つからなかった。 「律子ちゃんには気の毒だけど、もう面倒臭いから、北上君にはそのまま差し上げて手を打ってもらおうかな」  何を思ったのか、偲が律子を対価に北上へ、冗談のような交渉提案を申し出た。  いくら何でもそれはと桐矢が止めに入る間もなく、北上の方が異議を唱える。 「はあ!? ふざけんな! これは間違って拾っちまったんだよ! 返すからそっちと交換しろや!」 「何か私にすごく失礼だね、北上君!」  ボルテージを上げて顎で珠里を指している北上に、抗議するのは律子だった。所謂人質に出されたというのに、その交渉先に返品希望されたようなものなのだから。  そんな律子がいたたまれなくなって致し方がなく、桐矢が間に入ることにした。 「部長も北上も、山田は物じゃないんだから……あと、北上はひとまず山田を下ろして」  桐矢に言われると、北上はあっさりと応じ、律子が床に脚をつけられる高さまで身体を屈めた。  律子は北上の身体を支えに体勢を立て直し、地に降り立った後はそそくさと桐矢の後方に回った。  そこへ、珠里も近づいてくる。 「き、北上……いい加減にして」  最初は声が震えていたが、一つ深呼吸をしてから彼女は続けた。 「用があるなら、私に直接言えばいいだろ。部員のみんなに迷惑かけるようなことしないで」 「ははっ! よくいうよ」  珠里に咎められて、北上は嘲るように笑う。 「俺は最初から、お前に話しかけようとしてるっつーの。なのに、お前が逃げてるから、こんなことになっちまったんだろうが。何でいつも逃げるんだよ。俺みたいな奴の話は聞く価値がねえってかい」 「誰もそんなこといってないだろ」 「お前って昔からそうだよな。そうやって人を見下しやがる」 「話を聞いてよ」  珠里が苛々しているように、二人の会話が噛み合っていないことは傍から見ても伝わってきた。  ついに埒が明かないと判断したのか、珠里は北上を外へ押し出そうとする。 「――もういいよ、出ていって。お前がそんな調子だと、私が何をいったって会話にならないんだもん」 「おい、ちょっと待てや。俺は入部するためにここに来たんだよ」  追い出される前に北上は珠里を押しのけ、自分が床に置いたリュックから封書を一通取り出した。その表面には、黒いペンで「入部届」と記されている。 「というわけなんで、これ出せばいいんですよね。受け取って下さい、先輩」  北上はその封書を、偲に向かって突き出すように提出した。  差し出された封書を受け取らずにしばらく見つめたのち、偲が言う。 「――いや、君の入部は認めない」 「は?」  偲の返答が予想外だったのか、北上が怪訝な顔を覗かせた。 「認めないって何ですか」 「君の行動が部の輪を乱しうると判断した。珠里ちゃん含め、現在所属する部員を守るために、俺は君の入部をお断りするよ」 「へえ、いいんですか?」  偲の態度は堂々たるものだったが、北上も譲らず強気だった。 「あと一人部員が入れば少なくとも今年と来年、廃部の危機から脱することができるって倫がいってましたよ。人を選んでいる場合ですか?」 「今後新入生が入るだろうと踏んでいるし、仮に最終的にこれ以上部員が増えなかったとしても、同好会に降格して活動することはできるんだ。だから、君みたいな生徒にこだわる理由はない」  部員数という弱みを揺さぶろうとする北上に、偲は毅然と返した。  偲の言うことは確かで、廃部して同好会になれば部費は下りなくなるのだが、それさえ厭わなければ活動自体は可能だ。従って、部員数は可能な限り確保はしたいが、リスクを背負ってまですることではないのである。 「あー、じゃあいいです。顧問に直接提出しますから」 「うわ、それはちょっと――」  北上の代替案に、桐矢は思わず口に出して慌ててしまう。  漫研部にも当然ながら顧問の教師がいる。但し、部自体が小さく外部に示すような実績もないため、教師側も形だけの顧問といったところで、ほぼ部活には顔を出さない。事務的な手続きや管理は請け負っているが、活動そのものの指揮を執っているのは完全に部長の偲なのである。  つまり、顧問の教師は部の現状をほぼ知らない。従って、北上が直接入部届を提出したら、何の疑いもなく受理されてしまうだろう。 「顧問が入部を許可したら、まさか拒否するなんてことはねえもんなあ」  北上は勝ち誇った顔で偲を見た。  いとも簡単に抜け道を見つけられたことに、偲は僅かに歯噛みしている。当然桐矢も、そして他の部員達も、忸怩たる思いで言葉を呑むしかなかった。  そんななか、声を上げたのは珠里だった。 「――北上は、それでいいの?」  響く彼女の声は低く、心なしか重みを含んでいた。 「自分が部長に認めてもらえないような行動しているって自覚があるから、何も知らない顧問の先生に提出するんだろ。自分が悪いのに、そんなの卑怯だよ。北上は、そんなことしてまでこの部に入りたいの?」  きっぱりとした珠里の言葉は全くの正論だった。  だが、人は正論にこそ反論したくなるものでもある。  そう思っていたので、まわりで見る者は、北上が逆上するのではないかと気が気ではなかった。  部員達が固唾を飲んで見守るなか、北上は少し考えていた。  やがて。 「――――分かったよ」  と舌打ちをしながら言い、桐矢達の予想に反して、自分のリュックを拾って中に入部届をしまうのだった。何かに挟むこともなく、直接突っ込むような荒っぽい所作だ。  そのリュックを肩に背負い、偲の方へ向き直って宣言する。 「今日のところは入部届の提出は諦めます。でもまた来ますので、何卒」  不承不承の色を滲ませながら告げて、北上は踵を返して部屋を後にした。  そのうちに彼の足音が途絶え、静寂だけがこの張り詰めた空気に流れる。  それを破るように、偲が口を開く。 「――みんな、お疲れ。俺らみんなメンタル絹豆腐だから、あの手のタイプはホントしんどいよね」  部員達に寄り添って言ってくれてはいるが、当の偲のメンタルは十分強いだろうということは、分かっていても誰も口にしない。  その代わりということでもないのだろうが、倫が恐る恐る問う。 「あの……結局彼は、何故珠里さんにそこまでこだわっていたのでしょう……?」  先刻偲が北上に聞いてもあしらわれてしまった質問だったが、これは根本的な疑問といえよう。  珠里自身も説明しなくてはならないと感じていたのだろう。  倫の一言を契機に、皆に向き直る。 「個人的なことで迷惑かけてごめんなさい。事情を話します」
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