第2章 愛の形

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~~~~~~~ 二郎さんへ 20××.△△.○○(火)  拝啓、二郎さん。二郎さんも澪も元気にしているでしょうか。  この手紙が読まれている頃には、もう私はこの世にいないことでしょう。と映画等で定番の台詞を書いてみましたが、実際に書いてみると辛く寂しい気持ちになるものですね。目の前が真っ暗になる、そんな感じです。  私の病気のことを知ったとき、二人がとてもショックを受けたであろうことは想像に難くありません。二人に内緒で治療を受けたり、薬を飲んだりしてなるべく迷惑をかけないように症状を和らげようとしたのですが、やはり世の中そう甘くなかったのです。二人の悲しむ顔、落ち込む顔を見たくないという一心で一人で闘ってきましたが、もう無理みたいです。駄目みたいです。  私には夢がありました。それは澪の結婚式に出ること、澪の結婚衣装を見ることです。あの子は幼い頃に買った人形のベルの影響か、可愛らしい服や綺麗な服を着ることに憧れを抱いてました。それを考えると、きっと澪は結婚するときには、絵本に出てくるお姫様のような綺麗な姿になって、バージンロードを素敵な王子様と歩いているのかもしれません。とても見てみたかった、目に焼き付けたかったのに、私の肉体はそれを許してくれそうにないのです。  ですので、私はせめてものと思い、将来結婚するときの澪を想像して、東山手人形館さんに人形を一つ製作していただけるようお願い致しました。この文章を書く前に、実はもう完成品を確認させていただいているのですが、とてもとても息をのむ美しい仕上がりになってます。  私はその人形を見ていると、美しい服を身に纏った澪が目の前で微笑みかけている光景が目に浮かんで、嬉しさと悲しさのあまり泣いてしまいました。実際、今でも書きながら泣きそうになっています。というか今泣きました。上の方の文字が滲んで読みにくいのはこのせいです。ごめんなさい。  なお、この人形の受け取りは『澪が結婚する時に』と伝えているので、澪の結婚式の日取りが決まったら人形館に連絡していただければと思います。人形館の館長さんも製作された作家さんも、ぜひ喜んでその時は対応させていただきますと仰ってくださいました。とても有り難い話です。あ、代金に関しては既に私の貯金から支払ってますので、そこはご安心ください。  最後になりますが、私は今まで二人と一緒にここまで生きていくことが出来て幸せでした。この手紙を書いてから暫くはまだ元気かもしれませんが、私が私らしく元気でいられる時間ももう長くないでしょう。だから、私が元気にいられる内に感謝を伝えたくて、このメッセージを書きました。あ、ちなみに、人形を作っていることは澪には絶対に内緒にしておいてくださいね。二郎さん、その点はよろしくお願いします。  二郎さん、長い間私と一緒に歩んでくださり有り難うございました。苦しくて、時には喧嘩したこともありましたが、私は貴方といられた一分一秒全てが幸せでした。仕事を頑張る貴方も好きでしたが、やっぱり家で私に温もりを与えてくれるたくましくて優しい貴方の姿が好きです。どうか、私がいなくなってもそのままの優しい貴方でいてください。          ありがとう。どうかお幸せに。                           得河紫衣より                          ~~~~~~~    紫衣が最後に綴った文章は、手汗や涙で文字がにじんだり紙が変色していた。そのお世辞にも綺麗とは言い難い紙の上に、ぽたぽたとこぼれ落ちる私の涙が上塗りされていったのは言うまでもない。  思えば、何故このノートブックを私は手に取ろうと思ったのか。もしかしたら、澪の結婚を知った紫衣が私にこの思いを伝えようとしてくれていたのかもしれない。紫衣は今でも私たちを見守ってくれているんだな・・・・・・。  ノートブックを開いたまま涙を流していると、玄関の扉が開く音が聞こえた。開くと同時に快活な澪の声が家中に響く。「ただいま、お父さん!」  私は慌ててノートブックを閉じて顔の涙を拭き取ると、私は急いで下のリビングへと戻っていった。さて、明日からは澪の結婚式の準備を急ごう。そして盛大に祝ってあげよう。彼のためにも、澪のためにも、そして側で見守ってくれているであろう紫衣のためにも――。 「得河さん、改めて娘さんの結婚おめでとうございます」  館長がそう話すと、得河さんは照れ臭そうにしながらも深く頭を下げた。 「こちらこそ、つい先日澪の結婚式の日取りが決まったもので、急な話になってしまったかと思いましたが――」 「いえいえ、偶々予約が落ち着いていたので丁度良かったです」  そう答えながら、館長は温かい珈琲を少しだけ口にした。その間、庭園を海風がさぁっと小川のせせらぎのように優しく吹き抜ける。私、市布笑夢は人形をマジマジと眺めながら、得河さんの話を脳内に反芻する。娘に愛情を注ぎ続けた母親の最後の愛。その愛が今ココに形となって眠っている。そう思うだけで、何だか私も涙が出てきそうになる。  人形から薫るスミレの香り。スミレの香りには癒やしの効果もあるらしく、心を落ち着かせるのに適した香りだと聞いたことがある。なんだか優しい甘い香りに思わずうっとりしていると、側で館長と得河さんが微笑んでいた。私が慌てて顔を赤らめながら姿勢を正すと、得河さんは笑いながらこう話した。 「君の気持ちは良く分かる。私もこの香りが好きなんだ。なにせ、これは亡くなった妻が愛用していた香水の香りと全く同じなのだからね」  笑いながら話す得河さんの瞳からは、どこか切なさや寂しさを感じた。館長も話している彼を見ながら、悲しげな顔をして頷いている様子だった。紫衣さんを失った傷跡は、紫衣さんを知る人たちの中で大分癒えることはあっても、完全に癒えることはないのだろう。私も紫衣さんの魂を慰霊するように、目を閉じて座ったまま天を仰ぎ見るような姿勢になった。静まりかえった部屋の中には、古い柱時計の音が響くだけである。 「ふぅ、何だかずっと湿っぽくさせてしまって申し訳ないですね」  暫くして、得河さんがため息交じりに口を開いた。館長はそんなことないと否定したが、彼はいやいやと謙遜していた。それが面白かったのか、互いに顔を見合わせると軽く笑い合っていた。笑ったり悲しんだり、なんだか大人って忙しい。二人の横でそう思う私は、まだまだ子どもなのかもしれない。 「では、この人形はまた後日お渡しすると言うことですね」  館長が話を本題へ戻すと、得河さんもそれに合せて返事する。 「そうですね。紫衣は『澪が結婚するときに』渡すようにと言っていたのでね。結婚式当日に取りに行こうと・・・・・・!」  得河さんが途中まで言いかけた所で、館長が手の平を得河さんに差し出して待ったをかける。得河さんは吃それに驚して目を丸くした。 「いえいえ、ここは当日私と横の新人さんとで直接お伺いしますよ」  ニカニカと笑みを浮かべながら館長が答えると、得河さんは不思議そうに首をひねりながらも「わかりました。お願いします」と答えて頭を二度ほど下げた。横にいた私は当然吃驚している。いきなりそんなことを言われても、と内心驚いているのだが、私の方をチラリと向いた館長の希う眼差しが私の心に突き刺さり、なんとも断りにくい雰囲気になってしまった。別に断る理由はないので良いのだけれど。私はとりあえず苦笑いをしながらも、得河さんへ宜しくお願い致しますと軽く一礼した。 「本日は良いものを見せていただき有り難うございました。また、後日――結婚式の日は宜しくお願い致します」 「こちらこそ、宜しくお願い致します」  得河さんと私たちは互いにお辞儀すると、得河さんは小さく何度も頭を下げながら人形館を後にして行く。夕暮れに染まる長崎の街へと溶け込むように、得河さんの背中は段々と小さくなっていく。それを見送りながら、私は館長に小声で尋ねた。 「失礼ですが、人形を届けるだけなのに、何故私も行く必要が・・・・・・?」  館長はフッと鼻で笑うと、踵を返して館の中へと無言で戻っていった。私は慌ててその背中を追いかける。私が付いてきているのを確認すると、館長は笑みを浮かべながら私の耳元で囁いた。 「まあ、接客の勉強の一環というのもありますが、実は、得河紫衣さんからあるサプライズを頼まれていまして・・・・・・」 「サプライズですか?」 「えぇ、そうです。詳しくは2階に戻ってから話しましょう」  そう言うと、館長は私を引き連れて二階へと戻った。事務室に戻ったら渡すものがあると言われた私は、二階にある事務室に設けられた自分のスペースに座ると、そこで館長から少ししわくちゃになった茶封筒を預かった。館長に言われるがまま中を開けると、一枚の紙が三つ折りになった状態で出てきた。  紙が出てくるやいなや、館長は神妙な顔をしてその紙について説明し始める。「その紙はですね、実は――」  私は館長の話を聞きながら、首をうんうんと縦に振る。  はぁ、なるほどなるほど。まあ、それなら私もいるのかもしれない・・・・・・というより、その役割は普通に重要なのでは。そのような役割を私が務めちゃっても良いのですか?もっと適任の方がいらっしゃるかと。私の声なんてそんな綺麗なものでは・・・・・・まあ、館長がそう仰るなら仕方ないと思いますけど。  働き出して間もない私に大役を与えようとする館長に困惑しつつも、館長の熱意に押されたのもあって、結局私はこの仕事をやることにした。嫌なわけではない、むしろ滅多に無いことなので良い経験になると思っている。ただ、あまりに急でかつ重要な話で、その割にトントン拍子に話が進んでいくものだから、実際の所内心戸惑っていた。その気持ちを汲み取ってか、嫌なら断ってくれても良いと館長は仰っていたが、ここで断ってしまうと自分自身何のためにここで働き出したか分からなくなりそうだったので、私は「いえ、大丈夫です」とハッキリと答えた。  そう言うと、館長は安堵したように優しく微笑んだ。 「ありがとうございます。では、よろしくお願い致します」  かくして、私の初の大仕事が決まった。周りにいた他の人形館スタッフさんからも激励の言葉をいただいたが、正直自分の心中では不安がまだわだかまっていたように思う。そんな不安を抱えながら、この日は仕事を終えて家に帰った。
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