第3章 慕の形

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第3章 慕の形

 長崎市内、ある夏の日。  温暖な西九州の気候故に、夏場は気温が高くなる長崎市。街に照りつける太陽の光と蒸し蒸しとした湿気が、長崎の街を今日も暑くする。木陰では蝉時雨と共に、涼しげなそよ風が木の葉を微かに揺らしている。  私、市布笑夢は人形館のスタッフとして、玄関で受付係の仕事をしていた。  受付係の仕事というのは、お客様が入館されたら、まず入館料を徴収してパンフレットを渡す。次に人形制作の相談や受け取りの予約が無いかの確認をする。予約があれば、お客様を応接室へ案内した後に館長を呼びに行く、予約が無ければそのまま展示室へ通す。基本的にはこの流れである。また、当館では1階ベランダや庭にテーブル席を設けて、軽食や飲料を提供する喫茶もやっており、その注文受け付けと席への案内も行うことがある。  色々と仕事があり、大学の友人からは大変そうだと言われたこともあるのだが、相談や受け取りの予約は多くても日に数件程度にしてあるし、普段は大勢の人でごった返すほど混雑することも殆ど無いので、一人でも特に困ることは無い。むしろ日や時間帯によっては、暇になることだってある。暇になってしまうとつい気が緩んでしまい、頬杖を突いて呆けていることがよくある。  今日もまたそのように、退屈そうに時間を潰している。というより、開け放たれた扉から入り込む蒸し暑い熱気が、私の気力を削いでいくと言った方が良いだろうか。  気怠そうに受付係の席に座っていると、後ろから頭を軽くポンと叩かれた。 「おい、お前。ちゃんと仕事してるのか?」  私が後ろを振り向くと、そこには白いTシャツと青いジーンズに身を包んだ二十代後半ぐらいの男性の姿があった。彼はしたり顔で、手の平を丸めたフリーペーパーでポンポン叩きながら私を見つめている。 「もう、島原(しまばら)さん。私もちゃんと仕事してますよ」  私もムッと顔をしかめて言い返した。彼――島原さんは「そうかいそうかい」と言いながらからかうように笑っている。億劫に感じた私は、はぁっと小さくため息をついた。  島原さんは、館長や副館長の弟子兼助手として働く男性だ。主に館長や副館長の作業を手伝ったりしているが、私のシフトがない日には受付係をすることがあるし、作業が落ち着いたりすると、人形館の経理作業を手伝ったり、展示室の様子を確認しに来る等、毎日色々と忙しそうである。  性格は真面目でお客様への対応が親切だったりと、お客様からの評判も館長や副館長の評価も良いのだが、どういう訳か私に対しては、からかうような素振りを見せたり、軽くあしらってくることが多い。決して嫌いとか苦手というわけでは無いのだが、そういう彼の性格が少々面倒くさく億劫に思うことがある。 「ま、俺もお前がいない日とかは受付することがあるから、今のお前の気持ちもよく分かるけどよ。でも、さっきのお前の姿をお客様に万が一見られたら、お前も俺らも恥ずかしいもんだぜ。気をつけときな」  島原さんは軽い口調で私を諫める。私も悄然として「はい」と小声で返事しつつ、首を縦に振った。  彼はいつも私をからかったかと思えば、こうやって軽く注意を促している。私の気持ちに同情するように、軽い話し方ながらもどこか優しさを感じさせる口調。私が彼を素直に憎たらしく思えないのは、そういった優しさもあるからだろうと思う。普段は私をからかいつつも、実はどこか心の内では私のことを心配してくださっているのかもしれない。  そう思っていると、島原さんは徐に頭の後ろで手を組んで歩き出した。 「さて、と。俺は展示室の見回りをしないとな。お前がちゃんとやってるか分からないしな~」 「もう!島原さん!」  前言撤回。やっぱり島原さんは憎たらしい。すぐに私のことをからかってくる。私は「貴方の玩具では無い!」と言わんばかりに、憤然として島原さんへ声を上げた。それを見た島原さんは、私のことを面白がるように下卑な笑みを浮かべていた。  そのように私と島原さんとが玄関で言い合っていると、外から庭園に敷いた石畳を歩く足音が聞こえてきた。カツンカツンと杖を突くような音も聞こえる。音は少しずつ私たちの方に近づいてきた。私と島原さんはハッとして慌てて言い合いをやめると、そこに一人の老人が現れた。ハットを被り、ローマンカラーのシャツにスーツ姿の気品のある出で立ちをした老人は、ハットを脱ぎながら気さくな笑みを浮かべて私たちに話しかけた。 「やぁ、元気そうですね島原さん。楽しそうな声が聞こえてましたよ」  島原さんは引きつった笑みを浮かべながら、顔を赤く染める。老人は微笑みながら低いハスキーボイスで話を続ける。 「ははは、良いんですよ。・・・・・・おや、そちらの方は新人さんですか?」 「はい、市布笑夢と言います」 「笑夢・・・・・・良い名前ですね。貴方からは周りの人を幸せにするような、秘めたる力を感じますよ」 「はい、ありがとうございます!」  私が明るく返事すると老人は優しく微笑んで、展示室の方へとゆっくりと杖を突きながら歩いて行った。その後を支えるようにして、島原さんがゆっくりと付いていった。 「司祭様、私が案内致しましょう」  先程までの飄々とした態度が嘘のように、引き締まった態度を取った島原さんは、司祭様と呼んだ老人に付き添ってゆっくりと歩いている。  そっと展示室の扉の枠越しに彼らの様子を覗き込むと、展示室の中に置いている人形を一つ一つ案内する島原さんの横で、老人は笑みを浮かべて楽しんでおり、展示室から二人の楽しそうな話し声が聞こえる。彼らの雰囲気はとても朗らかで幸せに満ちていると、傍目から見たらそのように感じられた。  後で館長に聞いた話によると、司祭様は長崎市内にある浦上天主堂の司祭として神に仕えている聖職者であるという。偶にこの人形館に訪問しては人形を一つ一つゆっくりと眺めてから帰るという。館長や他のスタッフ曰く、司祭様は誰にでも分け隔て無く物腰柔らかく接する方らしい。  私自身は偶々シフトの都合で会えていなかったので初対面ではあったが、彼の穏やかな態度と万人を優しく包み込むようなその笑顔に、初対面とは思えないような安心感を覚えたものである。神秘的とも母性的とも形容できるその独特な雰囲気は、この老人が品位の高い聖職者であることを示している。  30分ほどして、二人が展示室から出てきた。司祭様は満足そうに明るい笑みを見せている。島原さんも嬉しそうな顔で歩いている。 「今日もいいものを見させていただきました。ありがとうございました」  そう言うと、司祭様は私と島原さんへお辞儀し、人形館を後にする。  私と島原さんも司祭様に対して、深く一礼すると彼の背中が見えなくなるまで玄関で見送っていた。コツンコツンと杖を突きながらも背筋を伸ばして歩くその背中は、年老いてもなお衰えない凜々しさを感じさせる。一挙手一投足、気品のある立ち振る舞いであった。  やがて、蝉時雨と陽炎の中へと姿を溶け込ませるように司祭様の姿が見えなくなるのを視認すると、私は隣にいる島原さんへ嬉々として話しかけた。 「あのお客様、ご満悦のようで良かったですね」  退館するときに見せた、穏やかな人柄が伝わってくるような司祭様の優しい表情。この人形館で働き出してから日は浅いが、あの表情は「良いものを見るもしくは触れることが出来た」と満足げに喜ぶお客様のそれと同じように見えた。しかし、ずっと司祭様の側にいた島原さんはそのように見えなかったようで、思い悩んだような素振りで答えた。 「あぁ、そうだな・・・・・・」  寂寥感を漂わせる彼の意味ありげな返事。釈然としない反応に私は疑問を覚えた。 「何かあったんですか?」  私は島原さんにそう問いかけたが、彼は「なんにもないぞ」としらばっくれるばかりでハッキリと答えようとしなかった。司祭様のことについて何か隠しているのだろうというのは、その決まりの悪そうな顔からも大凡察することは出来たが、あまりむやみやたらと詮索しすぎるのは決して褒められた行為ではないと自省し、これ以上私は島原さんへ問いかけることはなかった。  何となく重たい空気が私と島原さんの二人を包んでいたが、島原さんがそれを払拭するかのように声を上げた。 「さ、仕事に戻るぞ」  彼はそう言いながら柏手をパンと打つと、2階の作業場へと戻っていった。私も元の受付係の席へと戻り、玄関の向こうの庭木にとまった蝉の鳴き声に耳を傾けながら、残りの仕事時間を過ごした。  数日後、私は大学の別キャンパスにある講堂の中にいた。  私が呆けて座っていると、後ろから私を呼ぶ声が聞こえた。くるりと振り返ると、手を振りながら私の側へと駆け寄ってくる女性の姿が見えた。透き通るかのような美しい長い黒髪・・・・・・間違いなく、友人の長与礼だ。  礼は息を少し切らしながら遅刻を詫びていた。 「ごめんね、バスが遅れちゃってて」 「良いわよ。私もさっき着いたばかりだし」  私がそう答えると、安堵して礼は私の隣の席に座った。気がつくと、大盛況と言うほどでは無いにしろ、講堂の中の席は私がざっと見た限りでは6割ほど埋まっているようだった。 「結構席埋まってきてるね」  隣に座る礼がひそひそと囁くような小さい声で話しかけてきた。 「そうね、よく知らないけど教育学部の一部のコースの人は単位がかかっているとか何とか噂で聞いたわよ」 「へぇ、そうだったのね」  礼は納得したようで、首をうんうんと縦に振りながら講堂の入口で配布されていたレジュメやパンフレットに目を通していた。  今日は大学の講堂で戦争体験者の話を聞く会が執り行われていた。  8月9日に原子爆弾が落とされた長崎にあるこの大学では、『悲惨な戦争の現実に深い関心を持って貰い平和の尊さを理解して欲しい』という趣旨の下、毎年夏になるとこのような会が催されている。  とは言っても、恐らくこの会場にいる学生の半分近くは「単位」目当ての学生だろうと思う。私の眼前には、既に俯せて眠っている男子学生の姿やゲームに夢中になっている学生の姿が見受けられる。  正直に告白すると、私もこの会場に来るつもりはあまり無かった。私の通う学部学科では特に必修単位とされてない上に、小学生の頃より『平和学習』として、戦争を経験された語り部の話を聞く機会が多く設けられてきていたが故に、別にわざわざ別キャンパスへ足を運んでまで聞かなくても良いかと思っていたからである。なお、言い訳になると思うが、間違っても別に語り部の話が嫌なわけではなく、むしろ平和の尊さを考えさせられる良い機会だという認識はあることは伝えておこう。  それでも来たのは、友人長与礼からの誘いだった。ゼミの先生に「行ってきてくれ」と言われ断れなくなった、かと言って一人だと心許ないと彼女は私に話したのだった。一番頼れる人間だからと私に頼んできたもので、そう言われてしまっては何とも断りにくく、結局彼女に同行する形でとりあえず来たというのが理由である。  会場からはどこかダウナーとも気怠げとも言える雰囲気が漂う中、会場の電気はブザーの鳴動と共に落とされ、一瞬間を置いてパッとスポットライトで司会者台が照らし出されたかと思えば、、司会の大学事務員が淡々とした口調で話し始めた。 「えぇ、皆さんお待たせ致しました。ただ今より、第××回“平和を考える会”を挙行致します」  司会は会場の雰囲気を気にも留めず、粛々と会を進行している。実行委員らしい別の事務員が挨拶を始めたが、同時に私の後ろに座って先程まで男子学生と騒いでいた女子学生が静かに眠りだしていた。その隣の男子学生も携帯電話を無言で弄っている。あまり行くつもりは無かったと言っていた私だが、流石にここまで不躾な仕草を見ると辟易とするばかりだ。私の隣に座る礼も、あまり気分の良さそうな顔をしていないのが暗闇の中でも分かる。  5分ほどして、開会の挨拶等が終わり、いよいよ本題に移るようである。 「えぇ、それでは本日の語り部の方に登壇していただきます。本日は宜しくお願い致します」  司会者は小さくお辞儀し、その後ステージの脇へとはけていく。それと入れ替わる形で本日の語り部の方が入ってきた。杖を突きつつも背筋を伸ばし凛として歩く高齢男性。キャソックと呼ばれる聖職者の平服を身に纏った彼の姿に私は見覚えがあった。それが誰だと気がついた時、思わず私の口から「あ」と一言小声が漏れ出た。 「どうしたの、笑夢?知っている方?」  ヒソヒソと囁くような小声で礼が尋ねる。私はその場でこくりと小さく首を縦に振った。 「前、人形館にお見えになったお客様だよ」 「へぇ、そうなの」  納得したのか、礼はまた講壇の方へと目線を戻した。  杖を突きながら歩いていた高齢男性――司祭様は、講壇に立つと小さく咳払いをして、渋く落ち着いた声色でそっと話し始めた。 「皆様、こんにちは。本日はこのような場を設けていただき、誠にありがとうございます。私は有信晴馬(ありのぶはるま)と申します。カトリック浦上教会、えぇ・・・所謂浦上天主堂にて司祭を拝命しております。短い時間ではございますが、どうぞ宜しくお願い致します」  司祭様は、前置きを手短に話すと壇上で軽くお辞儀した。客席の何名かの学生やステージ脇の係員の方から、小さく拍手する音が聞こえる。  拍手の音を耳にした司祭様は軽く微笑むと、すぐに畏まった表情に戻し、粛々として話を続けた。 「今日話すのは私が10歳の頃の話になります。この頃は戦争末期、厳しい戦況が続き、一般市民の生活も資材や食糧が不足する等、とても痛々しく苦しい時代でした。この話は、そんな辛い時代の中であった、少年と女性の恋物語のような話です――」
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