第1章 友の形

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 翌日、私は待ち合わせ場所の電停へと向かった。時刻は朝の10時前。土曜日ということもあって、平日の同時刻と比べると街の人通りが多い。快活な子ども達の笑い声、仲睦まじく手をつなぎ合う若い男女、慎ましく寄り添い合う老夫婦、・・・・・・賑やかな通りの中を私は駆け足で行く。  少し息を切らしながら電停に向かうと、そこでは礼が手を振って出迎えてくれた。礼の今日の服装は可愛らしい春物の衣類でまとめられており、それが彼女の美しさをより洗練されたものにしている。 「おはよっ!笑夢。今日はありがとうね」 「うん、こっちこそありがとう。待たせちゃってごめんね」 「いいよいいよ、私もさっき着いたところ」  互いに軽く挨拶を済ませると、礼が私の方をマジマジと見つめてきた。私が問いかけると、礼は恥ずかしげな表情で答えた。 「ん?いやぁ、笑夢の服装が可愛いなぁって思っただけよ、うふふ」  私自身、ファッションにはどちらかというと疎い性格で、今日も気分であり合わせの衣類を着てきたつもりだったのだけれど、礼にはそれが可愛いコーディネートに見えたらしい。「適当に選んだだけだよ」なんて答えるのも何だか恥ずかしいので、私はとりあえず笑ってごまかした。  思えば、礼とは高校以来の付き合いだが、考えたら高校の頃は2人で出かけたことは無かった。教室が一緒で偶に休み時間に雑談して盛り上がることはあったけれど、一緒に遊びに出かけたり校外で会う機会は無いに等しく、互いに大学入学前まで制服姿の印象が強かったこともあって、私服姿をマジマジと見たり見られたりするようなことは今まで殆ど無かったなと、1人首をうんうんと頷きながら振り返る。 「何だか知らないけど、動きがおじさん臭くなってるよ、笑夢」  私が物思いにふける様子が彼女のツボにはまったらしく、彼女が口の前に軽く手を当てながら笑って言った。ハッと我に返った私の顔は、熟したリンゴの実のように赤くなっていた。  気を紛らわそうと適当な方向に目をそらすと、小さなクリーム色と緑色の電車がガタゴトと音を立てながらやって来るのが見えた。「あ、この電車だよ」と彼女は指さしたので、私は彼女に連れられるまま電車に乗り込んだ。  電車に乗り込み、席に着いた私は礼に問いかけた。 「今日はどこに行くの?」  これに対して礼は、笑みを浮かべながら昨日のメッセージと同様に「内緒よ」と答えるばかりで、まともに回答を得られそうに無い。「一体どんな所に行くのやら」と疑問と不安を感じる私を尻目に、礼は鼻歌を小さい声で歌いながら車窓を眺めている。  電車は途中電停において客の乗降を挟みながら、終点の電停へ向けて歩みを進める。片側二車線の電車通りをバスや車と並んで走っていたかと思えば、通りを横断して川を渡り、狭い川沿いの軌道敷を走る。川沿いの軌道敷を走る内に電車はアーケード前の電停に到着した。この街を代表する繁華街の電停ということもあり、車内にいた半分近くの乗客はここで降りていった。けれども、礼はここで降りることは無かった。 「アーケード辺りで買物とかご飯じゃ無いの?」  私は礼に聞いてみたが、彼女はクスッと笑いながら首を横に振って否定した。続けて礼は、今日の目的地に関して下唇に指を当てながら話した。 「実際、今日の目的地は私も初めて行く所なの。前から気になってて、一度行ってみたかったのよね」 「そこはどんな所なの」 「う~ん、まあ・・・・・・お洒落で雰囲気の良い所・・・・・・かな?」  いまいち抽象的な感じが否めない回答が返ってきた。お洒落で雰囲気の良い所なんてこの世界に多数あると思うけれど、礼の気分を害さないためにも野暮な発言は控えておこうと思う。とりあえず、軽く相槌を打つに留めた。  私たちの乗る電車は、やがて賑やかな繁華街を抜けて海岸近くの広い電車通りに出た。病院の前にある電停を過ぎた辺りで次停留所の放送が流れると、礼は座席近くのボタンを押した。 「さ、次で降りるよ」  彼女にそう促された私は、荷物を持って立ち上がり降りる支度を整える。電車内は繁華街の電停で乗り込んできた多数の旅行者で混雑しており、その人波をかき分けるように私と礼は電車前方の降り口へと向かった。電車から降り立つと、2人して電停でふぅ、と一息ついて電車を見送った。  さて私と礼は電停から横断歩道を渡り、そのまま電車通りから外れていく。この辺りは別の大学のキャンパスもあり、同じような華やかな衣類を身に纏った可愛らしい女性たちの姿もよく見かける。それに混ざるように、私と礼は石畳の坂道に靴音を響かせながら目的地へと歩みを進める。  壁面に蔦が絡まり木も生い茂った涼しげな石畳の坂道を登り終えた先で、礼は一度立ち止まった。そして目の前にある洋館を指さしながら私に話した。 「あの洋館が今日の目的地よ」  私の見る方向には青い木造の洋館が建っているのが見える。如何にも古そうな建物だが、あそこに何があるのか私には分からなかった。  少し歩いて門の前に立つ。その門柱には古びた木製の看板が掛けられ、手書きの文字でこのように書かれていた。 『東山手人形館』  看板を眺めていると、横から礼が簡単にではあるが説明をしてくれた。 「ここはね、人形の展示もそうだし、オーダーメイドで人形作成の注文も受け付けてるらしいの。あ、今日はね、ここ喫茶スペースもあるから昨日のことについて話しながらお茶して行こうというのが一番の目的よ」  なるほど、ここの喫茶スペースに行きたかったのかと頷いたが、それだけならば別に市街地の喫茶店でも良いのでは?とも思った。些細な疑問ではあるけれど、何となく気になった私は礼に尋ねると、礼は少し照れた様子で小さな声で話した。 「実は私ね、人形とか眺めたり手入れするのが好きで・・・・・・。子どもっぽいって思われたくなかったから、あまり周りには口外してなかったけど」  まあ、そうでしょうね。人形が好きならここに行きたいと思うのも当然かと納得する一方で、優秀で礼儀正しい所に大人びた印象も感じられる彼女にもそんな可愛らしい一面もあるのだなと思い、思わず笑い声が漏れてしまう。 「あ、笑ったでしょ?笑夢。もう!ひどいわ!」 「笑ってない笑ってない。いや、礼にもこんな可愛らしい一面があるなんて・・・・・・ちょっぴり予想外だったというか、なんというか」 「もう笑夢ったら・・・・・・」  笑ったことに対し頬を膨らませた彼女だが、少し不満げな顔を浮かべたままではあるけれど、どうやら一応許してはくれたようだ。  さて、腕時計を見ると時間はもう11時前。電車や館の前で話している内に、時間があっという間に流れていたようだ。彼女もそれに気がつく。 「もうこんな時間。さ、立ち話も何だし、そろそろ入りましょうか」  そう言うと彼女は門を抜けて館の方へと足を進めていく。私も彼女の後を追うように館の中へと歩を進めることにした。  館の庭園では、木々が穏やかな風に揺らされて音を立てている。春の暖かい陽気と少しひんやりとした風が心地よい。園内の石垣は一面を蔦で覆われていて、吹き渡る穏やかな風と共に館に涼しげな印象を与える。  その庭園の先に建つのは、古めかしい青い木造洋館。玄関には係員と思しき館員の若い女性が、木の椅子に座ってタブレットPCをじっと見つめていた。すると私たちの気配に気がついたのか、さっと顔を上げるとにこりと優しい笑みを浮かべ一礼した。私たちが館の玄関に着くと、その女性は再度一礼して出迎えてくれた。 「いらっしゃいませ。人形の注文を予約された方でしょうか」  礼は違いますと答えると、女性はうんうんと頷きながら承知しましたと軽く返事する。そして、椅子の前に置いてあるコンソールテーブルの机上からパンフレットとチラシを2枚ずつ取り上げ、私たちに差し出すと説明を始めた。 「当館の人形展示室は観覧無料です。大凡一月ごとに展示内容を変更しておりますが、一部は常設展示となっておりまして、パンフレットにもそれら人形の説明を記載しております。また、一緒に当館の喫茶スペースでの提供メニューもお渡ししています。注文はこちらのカウンターで受け付けてますので、気兼ねなくお申し付け下さい」  私と礼はありがとうございますと一礼して感謝の意を伝えると、女性の元を離れて展示室へと入っていく。女性は一礼して私たちを見送ると、静かに椅子に座り、再びタブレットPCと睨めっこを始めていた。  展示室の中は所狭しという程でも無いが、それでも多数の人形ケースが並びその中に一つ一つ人形達が収められている。窓の多い建物ではあるが、人形の劣化を可能な限り防ぐためか、窓は鎧戸が閉じられ中からもカーテンやパーテーションで光が入りにくいようになっている。また、展示室は2つの部屋が1つになったような続き間であり、奥側の部屋にある一部の人形が常設展示となっている他は全て期間限定公開の人形で、一定の期間が過ぎると他の人形と入れ替えられ非公開となる。  私と礼は二人で一緒に、その人形達をじっくりと眺めていた。多くの人形は所謂『球体関節人形』と呼ばれるもので、様々なポーズを細かく表現できることが特徴である。また、パンフレットによると館の人形はビスクドール――つまりは磁器なのだが、美しい色づきや質感の良さがまるで人形達に生命を吹き込むかのようで、耽美的な美しさを秘めている。  また、展示されている人形は、華やかなドレス衣装に身を包んだ人形とタキシードを纏った人形が笑顔で手を取り合う微笑ましい様子のもの、頬杖をつき物憂げな表情を浮かべている様子のもの、瞳を閉じ胸に手を当てて何かを強く願う様子のもの、――と、単純に人形といえどもその表情や雰囲気、そして世界観などは様々で緻密にできている。  私自身、あまり人形に対して興味を持ったことはないが、これらの美しい人形達には思わず「ほぉ」と感嘆としてしまう。「人形」という無機質な物ではなく、一人の美しい「人間」を見つめ続けているような心地だ。今にも私に何か語りかけてきそうな錯覚すら覚える。礼は礼で、人形達一人一人に目を奪われて恍惚としている。もしかしたら、彼女は人形達と心の中で何か会話していたのかもしれない。彼女なら有り得る。  二人で人形達に見とれていると、後ろから誰かが優しい声色で話しかけてきた。私がハッとして後ろを向くと、そこには先刻の女性が笑顔で立っていた。 「お気に召していただけましたか?」  女性に問いかけられ、私は気恥ずかしげに首肯すると女性はフフッと含み笑う。女性は更に話を続けた。 「それは良かったです。私もここの人形が好きなんですよ」 「そうなんですか」 「えぇ。私は近くに住んでいるのですが、幼い頃からよく来ていて、来る度に元気を貰ってました。私もこんな綺麗になれたらなって夢も出来ました。この子達には感謝するばかりなんです」 「はぁ・・・・・・」 「人形って良いものですよ。人に夢や希望、ときめきを与えてくれる。そんな存在だと思うのです」  そう言うと女性は、来客の姿に気がつき慌てて玄関へと戻っていった。 「夢や希望、ときめき・・・・・・ねぇ」  改めて人形達を眺めながら、ふと私が女性の言葉を反芻していると、ポンと肩を軽く叩かれた。後ろを振り向くと、礼がニコリと口角を上げて私の様子を窺っていた。 「ねぇ笑夢。お腹空いたし、そろそろ喫茶コーナーでお昼にしない?」  時計を見るともう12時になろうとしていた。そういえば心なしか、お腹が空いた気がするなと腹部を(さす)っていると、小さく腹の虫がなった。そんな私を見て礼が軽く笑いながら言った。 「決まりね。笑夢は何食べる?私はこのサンドウィッチのセットにするけど」 「じゃあ、私もそれで」 「は~い、じゃ席を選んでてね。私は注文と会計済ませてくるから」  礼が先刻の女性の所に行っている間、私は庭園へ出て良さげな席を探す。今日は天気が良いが、日射しが少しばかり強いような気がした私は、館1階のベランダにある席に座って待つことにした。
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