第1章 友の形

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 礼と二人で人形館へ足を運んでから、一月ほどが経過しようとしていた。  5月だと言うのに、雨の日が続き蒸し暑い日々が続く。少しずつ夏らしい装いを身に纏った人々を見かけるようになり、夏が近づいていることを実感する。大学構内では、九州北部ももう梅雨入りしたんじゃないかと私が同じゼミの学生と談笑しながら歩いていると、礼がぎこちない表情を浮かべながら私に話しかけてきた。 「笑夢、今ちょっといい?」 「あ、うん。ちょっと待っててね」  私は素っ気ない素振りで礼に返事し、ゼミ生に別れを告げる。別れてから再び礼の方をむき直すと、礼はモジモジと照れ臭そうな仕草で時々言葉を詰まらせながら話し出した。 「あ、あのさ。明日さ・・・・・・、その学校休みだけど、何も用事無かったりするかな?良かったら、ちょっと、一緒に来て欲しい所がある、のよね」  普段の様子と比べて落ち着きの無い彼女に困惑しつつも、私は行ける旨の返事をすると、喜色満面の笑みを浮かべて彼女は喜んでいた。 「じゃあ、あ、明日。諏訪神社の電停で会いましょう!」  そう言うと、彼女は走って構内のどこかへと姿を消してしまった。ただ一人置いて行かれた私は、嬉々とした面持ちで走って行く彼女の背中をぽかんと口を開けて見つめるしか無かった。  翌日、一月前と同じように電停で彼女と合流した。待ち合わせは朝8時半と少し早めの時間帯。それでも待ち合わせ時間には余裕を持って到着したつもりだったのだが、電停には既に彼女の姿があった。初夏らしく白いワンピースにパナマ帽子を被った爽やかな姿の彼女は、いつもと変わらない明るい顔で私の到着を手を小さく振って出迎えてくれた。 「おはよう、笑夢」 「うん、おはよう礼」  礼に手を振り返しながら、小さく欠伸をする。欠伸しながら見渡した朝の電停には、今か今かと電車の到着を待つ人々の姿がある程度見られた。買物か遠出かはたまた仕事か、小さな子どもを連れた家族か学生か高齢者か、様々な目的の人々を乗せた電車が次々にやって来ると、電停に立つ人々も電車の中へと吸い込まれていく。そうして電車待ちの人々を見送る内、私たちの乗る電車もやってきた。 「あの電車に乗るよ、笑夢」  礼に言われるがまま、私はまた小さな電車に乗り込む。唸るモーター音やブレーキの音をBGMに、礼との雑談や流れゆく車窓を楽しみながら目的地へと向かう。そうして私たちが降り立った電停は、一月前にも降りた電停だった。 「ん?前にも来た辺りだよね、ここ」  私が首をかしげると、礼はクスリと小さく笑って「そうよ」と一言答えた。礼のつかみ所の無さに懐疑的になりながらも、彼女の言うがままに身を委ねていると着いたのはつい一月前に来た人形館だった。 「ん、ここって一月前に来たよね?今日もここで食事するの?それとも交換された展示品を見に来た?」 「いや、今日は別の用事よ」  どこか得意げな彼女に案内されるがまま、私は人形館の中へと入った。 「すいません、長与礼と申しますが」  礼が受付で名前を告げると、受付の女性は深く一礼した。「お待ちしておりました、本日お受け取りのお客様ですね」と笑みを浮かべながら挨拶し、私たちを展示室の奥にある部屋へと案内した。  部屋の入口には『応接室』と書かれていた。まさか、とは思ったけれども、どうやら彼女は何やら人形を発注していたらしい。私を誘った真意はよく理解できなかったが、概ね一人では心細いといった理由や完成品を一緒に見て欲しいといった所だろうか。ふと、隣の礼の顔を見ると、表情が緊張で強ばっているように見えた。そんな彼女の姿を見ると、私まで胸がドキドキしてくる。  ガチャリと鈍い金属のノブの回る音がして、木製の扉がギッと音を立てて開く。女性に導かれるまま、私たち二人は窓側のソファに腰をかける。 「準備が出来るまで、もう少しお待ち下さいませ。その間、何かお飲み物はご所望でしょうか」  案内した女性に尋ねられたので、私は珈琲を、礼は紅茶を頼んだ。私たちの注文を聞くと女性は軽く会釈して、先程とは別の出入口から静かに退出した。パタンと扉が閉まるのを見て、私は思わずふぅと小さくため息を漏らした。  さっと部屋を見渡してみる。目の前には落ち着いた色合いのラグが敷かれ、その上に高そうなマホガニーのテーブルが置かれている。それらを隔てて、もう一つ私たちが座っているような革張りのソファが置かれている。応接室と言えばこんな感じだろうと、大凡思い浮かべるようなスペースだと思う。  また、このスペースの奥側――私たちの向かいのソファの裏手には、アンティークのサイドボードや本棚が置かれている。本棚には様々な書籍やファイルが詰め込まれているほか、サイドボードの上にはアロマの芳香剤や季節の花の生けられた花瓶が置かれ、この応接室に彩りを添えている。ファイルには「カタログ」の文字が見えたことから、どうやら資料スペースになるらしい。この空間の脇には、先ほど女性が出て行った扉がある。  お洒落な家具の並ぶ格式高い雰囲気の部屋に案内されたのだが、ここで自分の格好を見てみる。緑のTシャツに青のジーンズ・・・・・・、何ともこの場に不相応な格好で来てしまったものだと居心地の悪さを感じた。  とんとんと扉をノックする音が聞こえたかと思うと、キィと音を立てて奥の扉が開いた。先ほどとは別の女性が、珈琲と紅茶を持って現れたのだった。 「先生はもうすぐお見えになります。もう暫くお待ち下さい」  一言そう告げると、すぐに奥の扉から静かに退出した。  私は女性が持ってきた珈琲を手に取った。湯気がぽうっと上がる温かい珈琲を一口、また一口と飲みながら、静かに流れる時間にこの身を委ねる。礼も同様に、紅茶を飲みながら時折窓の外に目を向け、気を紛らわしているようだ。  それから間もなく、トントンと扉をノックする音が聞こえた。「失礼いたします」と男性のテノールボイスと共に、扉がきぃと軽く音を立てて開いた。扉が開くと、男性は柔和な表情を見せながら私たちに向けて深々と一礼した。 「長与様。本日はようこそ、いらっしゃいました」  男性に声をかけられた礼も、その場に立ち深く一礼する。「こちらこそ、ありがとうございます」  扉の側に立つのは、シャツの上からジレベストを羽織り、下はスラックスを履いた整然とした出で立ちの男性。その右手には可愛らしい革張りの小さなトランクが提げられている。  よく事情を飲み込めないまま座っている私は、着席したまま小さくお辞儀すると、二人をキョロキョロと交互に見つめていた。そんな私に気がついたのか、男性が私の側に近づき再び一礼した。 「失礼いたしました。私は当館で館長をしております、湊緑朗と申します」  湊緑朗と名乗る男性――館長は、ベストのポケットに入れていた名刺入れから名刺を取り出すと、私に差し出した。私は自分の名前を告げると、恐縮しつつも名刺を受け取り財布の中へと仕舞った。  その様子を見届けた館長は小さく頷き、失礼しますと小声で呟くと、手に提げていたトランクをテーブルの上にそっと置き、私たちの対面にあるソファへと静かに腰をかけた。館長はふぅと小さく息をつくと、私たちを見つめながら落ち着いた声色で話し始めた。 「えぇ、早速では御座いますが本題へと入らせていただきます。――長与様、長らくお待たせいたしました。こちらがお客様の()になります」  和やかな表情を浮かべながら、革張りのトランクを取り出す。真鍮で出来た取っ手の下にある金具を解錠し、そっと音を出さずにトランクを開ける。トランクの中に眠っていたのは、息をのむような美しさの人形だった。  その娘は紺色のロングドレスに身を包み、その胸元ではシトリンのブローチが輝いている。手先足先まで白く透き通った肌に、澄んだ瞳と艶めかしい唇、ダークブラウンの艶やかな髪色――。まるで、幼少期に読んだ絵本に出てきそうな煌びやかなお姫様が、私の目の前に立って微笑みかけているような錯覚すら覚える、耽美的な引き込まれる美しさを持っていた。気品漂う彼女の姿からは、生物的な温もりだけではなく、喜怒哀楽豊かな感情、心情の温もりもあるように感じられる。優しい表情を浮かべて私を慈しむように見つめる彼女には、母性的な深い愛情を持つ大人の女性の風格があった。  トランクには、ローマン書体で「Begonia」と書かれていた。この娘の名前はベゴニアと言うらしい。ベゴニアの花のような可憐な美しさを持つ・・・・・・ということなのだろうか。  私が美しさに感嘆しつつその娘を黙してじっくりと眺めていると、館長が畏まった表情で徐に口を開いた。 「市布様。実は、その娘は長与様がある人に差し上げたいがために作ったものでして――」 「ある人?」  私が首をかしげていると、後ろから礼が顔を赤くしながら辿々しく話しかけてきた。礼は決まりの悪そうな顔で、緊張しているのか声を震わせている。 「この娘ね、えm・・・・・・笑夢に、笑夢のために、作るよう頼んだの。一緒に行った、次の日に――」 「この娘を、私に?」 「うん。今日・・・・・・笑夢の、誕生日だし」 「あぁ、そっか!」  そういえば、今日5月19日は私の誕生日だったことを思い出した。忙しない日々を送る内、すっかり誕生日を迎えていることに気がついてなかった私を見て、礼や館長も表情を緩めていた。私も照れ笑いがこぼれ出た。 「ありがとうね、礼。これ大切にするよ――」  と、私が人形の入ったトランクに手を伸ばそうとすると、その手を礼がぎゅっと掴んだ。真っ赤な顔をした礼は恥ずかしそうに目をきゅっと瞑っている。私がどうしたのかと尋ねると、礼がか細い声で「ここからが大事な話なの」と言うので、たじろぐ私は差しのばしていた手を引っ込めた。  すると私たちの様子を静観していた館長が、私に優しく話しかける。 「市布様。この娘は長与様から貴方への贈り物ですが、長与様なりに貴方へのメッセージが込められているのです」 「メッセージ・・・・・・ですか?」 「えぇ、長与様は市布様にお伝えしたいことがあるとのことです」  そう話すと、館長はちらりと礼の方を一瞥し微笑んだ。礼も首を小さく縦に振ると、何か意を決したのか、軽く咳払いをして私に毅然とした態度で語りかけてきた。 「私、貴方のことが好きなの」 「ん・・・・・・?」  私には礼のいう意味がよく分からなかった。高校の頃から仲良くしてきて、何を今更言ってるのかと不思議に思った。きょとんとする私を見て、礼は決まりの悪い顔で私から目を背けながら、呟くような声で話す。 「貴方に恋してるのよ。恋よ恋」 「・・・・・・え、えぇぇ??」  意表を突かれた私は、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。その声を聞いた礼もまた、顔を更に赤らめて熟れたリンゴのような色になっている。私たち二人の様子を、館長は微笑を浮かべながら静かに見守っている。
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