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1ヶ月前、私長与礼は一人で人形館を訪ねていた。高鳴る胸の鼓動を深呼吸して抑えつつ、館の中へと足を踏み入れる。館へと向かう私の目には強い決心が宿っていた。『来月は笑夢の誕生日。私の思いを伝えるんだ』
玄関で注文予約を確認して貰い、そのまま展示室奥の応接室へと案内される。道すがら、チラリチラリと展示室の人形達を眺めている内に、どんな人形なら笑夢が喜んでくれるだろうか、笑夢に私の思いが伝わるだろうか、と憂苦している自分がそこにいた。悩んでいたって仕方無いことは分かっているが、もし彼女の気を悪くさせてしまえば、もう彼女とは一緒にいられないだろうし一緒にいても居心地が悪いだけだ、と考えられるだけに、やっぱり不安は自然と募るものである。
「こちらに掛けてお待ち下さい」
案内した女性にそう言われ、私は応接室のソファにそっと腰を掛ける。女性から飲み物は何が良いかと尋ねられたので、とりあえず何かしら甘いジュースを頼んでみた。緊張と不安とが入り交じると、何だか甘い物で心を落ち着かせたくなるものである。
ジュースを飲んだり、部屋の中を眺めたりしながら気を落ち着かせようとしていると、扉をノックする音が聞こえた。私が返事をすると扉が開き、シャツとジレベスト、スラックスを身に纏った男性が現れた。男性は笑みを浮かべて深く一礼し名前を告げる。
「ようこそ、お待ちしておりました長与様。私、館長の湊緑朗と申します」
緑朗さんは優しい声色で挨拶すると、部屋の角にある本棚からいくつか冊子やファイルを取り出し、礼の向かいにあるソファにそっと腰掛けた。
「本日は当館へお越しいただき、誠にありがとうございます。初めてドールを御注文されるということで、少々緊張されていらっしゃるようですが、肩の力を抜いて、今日はゆっくりとお話ししていけたらと思います」
優しい口調にホッと安堵した私の表情にも、自然と笑みが浮かび上がる。緑朗さんもそれを見て安心されたようだ。
それから暫くアイスブレイクと称して他愛ない会話で盛り上がった後、緑朗さんは小さく咳払いすると、襟を正して凛とした声色で本題を切り出した。
「さて、長与様。本日は、どのようなドールをお求めでしょうか?」
私は神妙な面持ちになりながらも、すらすらと流れるように自分の思いを緑朗さんへとさらけ出していく。
「私は好きな人に人形を送りたいのです。人形を通して、私の気持ちを伝えたいと思っています。私はある人に恋してしまいました。自分でも何故こうなったか不思議なくらいです――」
緑朗さんは首を小さく縦に振りながら、静かに私の話へ耳を傾けていた。
高校の頃、生徒会に属していた私はある日体育館へ生徒会の備品を取りに行っていた。すっかり薄暗くなって人気の無くなった夕方の校舎は、気味が悪いというよりも寂しげであり、歩く度にコツンコツンと響く足音がその寂しさを助長させていたように感じる。また、この日は小雨が一時ぱらついていたこともあり、雨後の湿り気がむんむんと漂っていて、この湿っぽさが私の気を重くさせていた。
校舎を出て渡り廊下を通り体育館へ。外では、部活を終えた運動部の生徒らが歓談しながら帰り支度を進めている。一人寂しく雑用をしている私は何だか虚しさを覚える。
学年の代表として入った生徒会は、生徒の生徒による生徒のための風紀を正す機関というよりは、教師や生徒から「生徒会だから」という単純かつ不明瞭な理由で雑用を押しつけられる、都合の良いボランティア機関のような雑な役回りであり、この実態に正直辟易としていた私は誰もいないのを見計らってはため息をつく日々が続いた。
そんな中でこの雑用。尤も、備品類の管理は大事な仕事でもあるので悪い気はしなかったが、意欲もさほど感じておらず、正直面倒だとも思っていた。長い髪を手でかき回しながら歩いている内、体育館の入口に着いた。校舎と同様にすっかり薄暗くなった体育館へ上履きを脱いで入ろうとすると、体育館の中からキュッキュッと音が聞こえてきた。
「なにこの音?気味悪いわ・・・・・・」
奇怪な音に背筋の凍るような思いをした私は、音が止んだのを確認するとおそるおそる入口から中の様子を窺う。目線の先には一人寂しく座り込んでいる生徒の姿が見えた。近くの壁にはモップが立てかけてある。どうやら掃除中の休憩のようだ。
彼女はこちらに背中を見せるように座っていて、かつうつむいているために顔はよく見えない。疲れている様子なのは明らかだが、部活の疲れによるものではなさそうだ。心配になった私は、中へ入り彼女へ声を掛ける。
「ここで何をしているの?」
モップを持っていた彼女は一息ついてから、突慳貪な態度で答えてきた。
「見たら分かるでしょ、掃除よ掃除。邪魔しないで」
「もう下校時刻よ。早く終わらせないと施錠できないわよ」
「はぁ、分かってるって。さっさと終わらせたら良いんでしょ?」
彼女は苛立ちながらサッと立ち上がり、近くの壁に立てかけていたモップを手にとって掃除を始めようとする。立ち上がった彼女の姿を見て、私は驚愕した。彼女の体には、至る所に傷跡が出来ていた。過酷な練習によるものというより、むしろ苛烈な玩弄行為があったに違いないと確信した。その事実に衝撃を受けた私は、小さくため息をついて気持ちを落ち着かせ彼女に話しかけた。
「私も手伝うわ。早く終わらせて帰りましょ」
私の話を聞いた彼女は、慌ててやめるように忠告してくる。何でも彼女は一人で掃除しろと指示を受けてるとのことで、私に強く反発してきた。しかし、彼女を見過ごせないと思った私は彼女の忠告を無視し、黙って掃除用具入れからモップを取りだし掃除を始めた。何度も何度も忠告してきたが、それでも私は無視して掃除を続ける。
私の態度に業を煮やした彼女は、ついに声を荒げて怒りを露わにした。
「なんで貴方もやろうとするの?私だけで出来るからほっといてよって言ってるじゃん!」
強い口調で怒鳴られた私は、流石に手をぴたりと止めた。こちらももう我慢の限界を迎えていた。手に持っていたモップを床に置くと、私は彼女の元へ力強い足取りで近づき、怒りのこもった表情で彼女を睨み付ける。驚いた彼女は怯んで、体を仰け反らせた。無言の圧力で「怒り」を見せた私は睨み付けるのをやめると、一呼吸置き気持ちを再び落ち着かせて、静かに落ち着いた口調で彼女に語りかけた。
「何となく、貴方のことが放っておけないからです。貴方の姿、どこか寂しそうに見えたんですよ。まるで誰かに助けを求めてるかのような姿でした」
彼女はドキッとしたようだが、頑なに否定し続ける。
「は、はぁ!?意味わからないわよ!一人で掃除してるだけでしょ?私が好きでやってることなんだから!」
しかし、私は屈しない。目に見える全てが彼女の境遇を物語る。彼女自身、誰にも頼らずにただ黙って耐え抜けば良いとでも考えているようだが、彼女の心は壊れかかっていた。だからか強気の姿勢を見せても、彼女の目は涙で潤んでいる。そして彼女の目から涙が流れ出したのが見えると、私は静かで優しい声色で彼女に語りかけた。
「汚れた体操服と手足に見える傷や痣・・・・・・。それに今、貴方自身涙を流しているのに気がつきませんか?」
その言葉を聞いた彼女は慌てて自分の目元を触れた。彼女は不思議そうな顔で自分の顔をなでている。やがて彼女は、その場で膝から崩れ落ちて嗚咽を漏らした。声にならない声を漏らし、自分の心と向き合っているようだった。
その様子を眺めていた私は、まるで幼い子どもを慰めようとする聖母のように彼女の背中を包み込んで座り込み、彼女の耳元でひそひそと囁いた。
「貴方の心は正直ですね。今日はもう疲れましたし帰りましょうか。宜しければ相談にも乗りますよ」
彼女は小さく首を縦に振った。それを見た私も安堵し微笑む。泣き崩れる彼女の背中を、私はただ静かに優しく摩って宥めていた。
私自身、この時ほど生徒会という立場にあって良かったと思うことはない。生徒会で無ければ、この体育館に放課後行くことも無かっただろうし、正義感を燃やして彼女――笑夢を助けようと手を差しのばすことも無かったかもしれない。そして、彼女と一生出会って話すことも無かったかもしれない。
笑夢とはその後、休み時間や移動教室等の際に出会う度に歓談するような仲になっていった。部活を退部できた彼女はまるで重荷から解放されたように晴れやかで、表情も明るくなっていった。出会ったばかりの頃は、か弱い子どもを慈しむ賢母のような立場で接していた私だったが、いつの間にか彼女の一人の友人として、気兼ねなく腹を割って話せる間柄になるくらいには対等に接するようになっていた。
そんなある日のこと、私は家で両親と話し合っていた。両親はやや憂うような表情で私を見つめる。
「なあ、礼。お前は実に優秀な子だと思っている。私たちも誇らしいよ」
父が落ち着き払った声で私に話す。しかしその後、母が申し訳なさそうな顔を浮かべて私に話した内容は、私にとって衝撃的な内容だった。
「だけどね、礼。貴方がこの家を継ぐ必要はないわ。お兄ちゃん達も頑張るって言ってくれてるし、私たちも貴方にはこの家に縛られずに自由に生きて欲しいって思ってるの」
私自身、将来の夢は農家たるこの家の後を継ぐことだった。地域有数の大きな農家として、加工食品販売も手がける私の実家。農業は大変な労苦が伴うことは幼少期より理解していたが、それでも畑を耕し種を植え、時には天気や虫と戦いながら作物を育てる父母の汗で濡れた背中を見ながら育った私には、それらの労苦は気にはならず、むしろ父母のような作物一つ一つを大切に愛情込めて育てられる農家を支えたいと思っていた。そのため、良い大学で農業経営や経済のイロハを学んで実家に貢献したいと考えた私は、農業高校では無くあえてこの辺りでは有名な進学校である普通科高校へと進学していた。
しかし、私の夢に対して両親が否定的になるとは思わず、私は戸惑った。自由に生きろという心配りは正直に言わずとも嬉しい。だが、自由に生きろと言われても何をしたらよいか分からなくなるのだ。両親の気持ちも理解できる一方で、私には私の夢がある。どちらをどうしていくべきか私は悩んだ。
沈黙の支配する、重苦しい空気のリビング。チクタクと柱時計の音だけが部屋の中に響く。――暫くして、私はポツリと呟いた。
「暫くの間、この話について考えさせてくれる?」
両親は顔を見合わせると、静かに首を縦に振った。私は静かに部屋を出ると、自分の部屋にこもってベッドに寝転がって枕に顔を埋める。足をじたばたさせたりしながら心の中にわだかまるモヤモヤを晴らそうとしても、やっぱり晴れることはない。「む~・・・・・・」声にならない声をあげてボンヤリと天井を見上げる。諦めようかとも思ったが、そう簡単に折れてしまうのも情けない。
頬杖を突きながらため息を漏らした時、ふと彼女のことが脳裏を過ぎった。携帯電話の電源を付け、SNSアプリを開いた。さっとアドレス欄を見ながら、一人の名前を探した。『市布笑夢』の名前を見つけると、私はそれをタップしトーク画面へと切り替える。私は笑夢に相談を持ちかけることにした。
『突然ごめんね。ちょっと相談したいことがあって』
その後は私の夢について、そしてそれに対する両親の反応について、事細かに話した。笑夢も最初は突然に事にたじろいでいた様子だったが、段々と落ち着いて聞いてくれるようになった。全てを書き終えると笑夢は、少し待っててと一言コメントを残して暫く沈黙した。
10分後、笑夢からの返信が届いた。
『まあ、私自身難しいことは分からないけれど』
『自分自身の思いを両親に強くぶつけて納得させていくのとか良いかも』
『前に、礼が私を励ましてくれた時のようにさ』
『あれ、本当に嬉しかったんだよ』
自分の思いをぶつける、か。私はハッとさせられた。そうだ、笑夢と最初に会ったときも笑夢のことを思う気持ちを笑夢にぶつけ続けてたものだと振り返った。私は何だか可笑しくなってしまい、思わず笑いがこみ上げてきた。自分が友人にやってたじゃん、答えは既に自分で実践してたじゃんと。
私は笑夢に『ありがとう』と一言メッセージを送ると、すぐに両親の元へと駆け戻った。両親に改めて自分の夢、そして自分の思いをぶつけてみる。両親への憧れ、自分の努力の意味、・・・・・・。両親は思い悩む表情を見せながらも話を聞き、私がありったけの言葉を伝え終えると、父親が一言呟くように話した。
「農業は甘いものではない。が、ちゃんとやっていけるな?」
父親の威厳ある一言に、私は毅然とした面持ちで答える。「はい」
その答えを聞いて、両親はふっと笑顔を見せる。父母共に私の夢について納得してくれたようだ。というより実際は、最初から納得していたけれど心の中に不安がまだ残っていたらしい。私が思いを素直にぶつけてくれたことで、その不安を拭い去ることが出来たと言っていた。
「頑張れ、礼」
白い歯を見せながら、父親が私の肩を優しく叩く。嬉しさの余り、私は涙を流さずにはいられなかった。泣きながら、私は笑夢へひたすら感謝し続けた。「ありがとう、笑夢。」
彼女を助けた私が、今度は彼女に助けられた。私が相談したからというのもあるかもしれないが、彼女もまた優しい一人の女性であり、彼女といる内に自然と仲が深まっていっていたのだと思う。そう思っていると、彼女と何気ない会話で盛り上がっている僅かな時間も恋しくなっていった。ほんの数分ほどの短い時間とはいえ、あの楽しくて心地のよい瞬間は私にとって大切な時間だったのである。
家でも学校でも、笑夢のことを思い浮かべながら「会ったら何を話そうかな?」と考える度、段々と胸が苦しくなっていく感覚がした。特別なことを話す訳でも無いのに、何故こうも胸がドキドキするのか。すぐに確信は持てなかったが、私は笑夢のことを友人以上の特別な存在として心に焼き付けていたのであった。
しかし、女性が女性に恋心を抱くなんて妙な話ではないか?と思う気持ちもある。だから、この気持ちだけは笑夢に悟られないようにずっとひた隠していた。曝け出したところで軽蔑、または蔑視されないか不安だったからである。そんな思いを隠し続ける内に私は大学に進学したが、まさか笑夢と同じ大学だとは思わず、彼女と再会したときには喜びと不安を同時に感じてしまったものだった。
そんな時、オーダーメイドで人形を作ってくれるというこの東山手人形館の話を聞いた。この人形館で作られる人形は、どれも評判も良く衆望もあると聞く。今まで多くの人形が多くの人々へ渡り、人と人との絆や愛情を繋いできたのだと人気が高かった。
この話を聞いた私は、人形に私の秘めたる想いを込めて笑夢の誕生日にプレゼントしようと目論んだ。笑夢自身、私と異なり人形に特段興味がある訳でも無いようだが、人形好きの私からのプレゼントらしいものとして喜んでくれるだろうと思う。笑夢といつまでも笑顔でいられるように、笑夢がいつも笑っていられるように、私は私なりに笑夢への想いを1人の人形という形にして伝えたい。この思いに突き動かされ、私は今この人形館に来ているのだった。
「なるほど、高校時代からの想いを伝えるために――ですか」
「えぇ、そうです。彼女に嫌われることも覚悟しています」
私がそう答えると、緑朗さんはふむふむと頷きながらメモを取っている。メモを取り終えると、緑朗さんは私に尋ねてきた。
「長与様の気持ち、確かに承知いたしました。それでは、どのように作っていきましょうか。服装、アクセサリー、表情、・・・・・・それら一つ一つで相手の反応も変わってくることでしょう」
私は机上に置かれたカタログや冊子を読みながら、時には緑朗さんのアドバイスも受けながら、人形の形を緑朗さんとともに作り上げていった。笑夢の喜ぶ顔が見たい。そう、笑夢のことをただ思い続けながら・・・・・・。
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