第1章 友の形

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「紺色のドレスは“青く透明な海のように深く澄んだ心を大切にしてほしい”という長与様の想いと、市布様の好きな色が青色だと伺ったもので、当館の人形服の中でも特に評判の高いものを選ばせていただきました。またシトリンのブローチは、シトリンに友愛や希望といった石言葉が存在し、市布様自身の幸せや市布様と長与様の関係が永く良好であることを願い、製作したものになります」  館長が人形に込めたメッセージを、泰然自若とした様子で私に語りかける。礼のカミングアウトに動揺を隠せない私ではあるが、少しでも冷静さを保とうと、人形を眺めつつ静かに彼の話に耳を傾ける。私が小さく首を振って頷く横で、礼は小さく丸まって恥ずかしさをこらえようとしていた。 「そして、名前のベゴニアについては――」 「あぁ!ちょっと待って下さい!そこからは私自身の口から伝えさせてください!」  館長が続けて話そうとすると、小さくなっていた礼が慌てて体を起こし、大きな声を上げて彼の話を止めた。流石に館長もこれには目を丸くしたが、少し間を開けた後、表情を緩めてそれを認めた。礼は何度もぺこぺこと頭を下げながら、私の方へと向き直した。依然として赤い彼女の表情を見ていると、彼女の高鳴る胸の鼓動が一音一音聞こえてきそうだ。  礼は深く深呼吸するものの完全に緊張が抜けきってないのか、少々畏まったような表情で話の続きを語り出した。 「ベゴニアはね、花言葉にこういうのがあるんだ・・・・・・“愛の告白”って」  私は静かに彼女を見つめ続けたまま話を聞く。 「私は、貴方といる時間が好き。貴方の話が好き。貴方の声が好き。貴方の顔が好き・・・・・・貴方の全てに恋してるの。いつもただ話してるくらいの、そんな感じの関係でしか無かったけれど、貴方が側にいるだけで嬉しいし気持ちも落ち着く。心の底から人を好きだと思えたのは、貴方が初めてだわ」  私は腕を組み、視線を真っ直ぐ下の方に向けると静かに目を瞑った。段々と早くなる鼓動。たらりと額を垂れる汗。緊張がにじみ出ている。 「貴方がいたから私は・・・・・・いえ、もう、長話は無しにしましょ。うん、ハッキリ言わせていただくわ。――私は貴方のことを心から愛してるの。誰よりもずっとずっと」  彼女が告白し終えると、部屋中が静寂に包まれた。しぃんと張り詰める部屋の空気。微笑ましそうに眺めていた館長の表情もいつの間にか神妙なものになり、どこか緊張した様子で私たちを見つめていた。  私は目を瞑ったまま俯いている。早鐘を打つ胸の鼓動が体中に響き渡る。早く何とか言えと言わんばかりに鼓動する私の胸。平静を装おうとため息をついても、その鼓動は鳴り止まない。彼女の気持ちにどう応えたら良いかと思い悩むばかりで、粛然とした時間が流れゆくばかりだった。  別に私は礼のことを嫌ってはいない。いや、むしろ私を助けてくれた恩人であり、かけがえのない大切な友人である。私も礼といる時間は好きだ。何気ない話題で盛り上がったり、相談したいことがあったら相談しあって解決を図ったりもして楽しい時間だった。それだけだ、特別なことは何も無いはず。しかしそれでも彼女は特別だと感じていたらしく、その結果私にあろうことか恋心を抱いているのだ。  女同士の恋はあり得ない話だとは思っていなかったし、好きなら好きだと性別を気にせずに正直な気持ちを相手に示せば良いのではと、どこか他人事のように考えていた。身近な話では無いものと思っていたからだ。しかし、いざこうやって直面するとこうも困惑するものなのか。髪の毛をかき回して頭の中にかかる靄を晴らそうとしても、この時ばかりは一向に晴れる気がしなかった。  暫くして、私は徐に顔を上げて人形を改めて見てみることにした。  彼女のメッセージを聞いた後に見てみると、何だか更に特別感が増したように思う。私の心を表現したらしい流れるような青いドレス、私と礼の関係や私の未来への希望を願うブローチの輝き、そして優しく微笑む少女の顔・・・・・・。本当に美しい娘だ。私が貰うには勿体ない目映さである。人形がそこに置いてあるのではなく、一人の少女が私に微笑みかけて佇んでいるようだ。  しかし、この顔を見ていると何だか脳裏に蘇ろうとする記憶がある。何だろうかと記憶を思い起こしてみると、一つの台詞が浮かび上がってきた。 「私は長与礼。貴方と同じ1年生よ。よろしくね」  ――そうだ、礼と初めて会ったときのあの笑顔だ。この表情、あのときの礼の笑顔に似ている。あの眩しく希望に満ちた顔に。あぁ、あぁ、・・・・・・。私はふと気がついた。私が今こうしていられるのも、礼がいたからだと。そうだ、あのとき礼が助けてくれたからだと。恩人であると思ってはいたが、彼女の存在の大きさに私は全く気がつけてなかったのだと。  私の瞳から涙がこぼれ落ちる。私にとって、礼がどんな存在が気がつくことが出来た喜びの涙である。館長や礼が慌ててハンカチを差し出して私を宥めている。そのハンカチで私は涙を拭い去ると、表情をキリッと引き締めて二人の方に目を向ける。  すっと一呼吸置いて、私は礼に答えた。 「礼にとっての私が特別な存在であるように、私にとっての礼はとても大きな存在だった。この人形が私にその事実を教えてくれたわ・・・・・・。あなたの気持ち、この娘と一緒に受け取らせて、礼」  私の答えを聞いた礼は、館長と二人で暫く顔を見合わせて呆気にとられていた。礼は瞳を閉じたり開いたりして、反応に困っているようだ。と思っていたら、礼は段々と手が震わせたかと思えば、私の方へ勢いよく振り向き直し、強い力で私の体をぎゅぅっと抱きしめてきた。 「いててて!強い、強いよ礼」  私が苦しそうな声を上げても、彼女は抱きしめたままだ。館長は含み笑いをしながら私たちを見つめる。余程嬉しかったのでしょうねと、館長は私に優しい声で話しかけるが、私は照れ臭そうに笑顔を見せるのが精一杯だった。  抱きしめる彼女の表情を見ると喜色満面の笑みを浮かべながら大粒の涙を流しているのが見えた。今までに見たことが無いくらいの嬉しそうな表情を浮かべながら、「ありがとう」と何度も繰り返していた。私たちの様子を、脇からそっと見つめる館長の表情も安堵している様子だった。  しかし、これも伝えねばならないと私は力を振り絞って礼を引きはがすと、礼の肩を掴みながら少し申し訳なさげな顔を浮かべて話した。 「でも、私は正直まだ気持ちが完全に整理できてないわ。礼の気持ちは大切にしたい。けど、礼の気持ちに対して私、どう応えたら良いか考えるのに時間が欲しいの。だから・・・・・・私の礼への想いは、いつか、いつか、何とか整理できたら、礼にどうにかして伝えたいと思うの。それまで待っててくれる?」  部屋の中は少しの間しんと静まりかえる。風に揺れる窓枠が小さくカタと音を立てる傍らで、礼は難しい顔で思い悩んでいたようだった。やっぱり駄目だっただろうかと後悔しそうになったが、それはすぐに杞憂だと分かった。礼はふぅと一息つくと、ニコリと小さく笑みを浮かべて一言こう答えた。 「うん、待ってる」  礼の答えを聞いた私は、安心してか肩の力が抜けたようにへたり込んだ。はははと小さく笑いがこぼれる。その様子が何だかおかしかった私たちと館長は、三人で顔を見合わせて笑い合っていた。 「此度はお引き取りいただき、誠に有り難うございます。またのご来館、心よりお待ち申し上げます」  館長は深々と礼をする。私たちもそれに倣って、深くお辞儀をする。  私の手には『Begonia』と書かれたトランクケースが下がっている。そのトランクの中では、礼の想いが込められた小さな少女が眠りについている。  黄昏に包まれる帰り道。特に会話することも無く、ただ静かに並んで歩く私たち。ただ礼が頼んでいた人形を引き取りに来ただけなのに、何だか沢山の事が一気に押し寄せてきたかのような感覚があり、どっと疲れが溜まっていたのだと思う。石畳の坂道に二人分の靴音が一緒に響く。  電停に着き、帰りの電車を待つ二人。車やバスが行き交う大通りの真ん中を流れる静かな時間。今日一日の出来事に対して感慨にふける様子の礼。その表情はとても明るく、とても満足げである。そのような彼女の顔を見ていると、私の心は洗われるように清らかな気持ちになり、微笑みがこぼれ出る。 「なによ、人の顔をジロジロ見てにやけちゃって」  楽しい気分に水を差されたと思ったのか、礼が口を尖らせて私を見る。私が照れ笑いながら軽く謝ると、少々呆れたようにため息をつきながらも微笑を浮かべて一言呟いた。「全く、笑夢は本当に」  二人で顔を見合わせて笑っていると、パァンと大きな警笛を鳴らしながら小さな電車がゆっくりと電停に入ってきた。所々空席の見られる車内では、観光客が思い出に浸りながら楽しそうな会話を繰り広げている。空いた席に二人並んで座ると、電車は扉を閉めて発車する。運転士がマスコンを動かすと、電車はモーターを唸らせながら海岸通りを駆け抜けた。  その車内で、礼は思い出したように私に尋ねてきた。 「そういえば、一月前の悩みはどうなったの?何かしたいことは見つかった?」  私の口から思わず「あっ」と声が出る。決して考えていなかったわけでは無いが、ただ答えが出ないまま今日まで過ごしていたのだ。昨日まで――いや、今朝までの私なら狼狽えて答えられなかっただろうと思う。しかし、今の私には一つの答えがあった。心の内からやりたいと思うことが出来たのだった。 「まさか、相談しておいて“考えてなかった”とか答えないわよね?」  訝しげな目を向ける彼女に、私はフッと小さく笑みを浮かべながら答える。 「私はね、人が秘めている気持ちを形にして、その人の気持ちを届けたい相手の元へ届ける仕事がしたいわ」  礼は呆気にとられ、首をかしげている。まあ、突拍子の無い内容だったかとは思うけれども、それでもいまいち伝わらなかったのは何だか恥ずかしい。気まずさを感じた私は、決まりの悪い顔をしながら小声で補足する。 「さっきもらった人形を見ながら思ったんだ。礼みたいに言えない気持ちを抱えてる人は沢山いるんだろうなって。そういう人の気持ちを何とか形にして、届けたいところへ届けたいって」  礼は疑っているのかおちょくっているのか、薄ら笑いながら本当に?と聞き返してくる。実際私自身、私が飽きっぽい性分であるのは自覚しているし、現に今まで長続きしなかったことは色々あった。でも、今度は違う。何せ既に私の将来のお客様は既に決まっている。私にはそんな確固たる目標があるのだ。  薄ら笑いを浮かべる礼に、私は毅然として答えた。 「礼に私の気持ちを形にして届けたいからさ、私頑張るよ絶対」  言った。言ってやった。もう私は後には引けない。いや、引く必要は無い。これで良いんだ。――私の心には後悔なんて無かった。揺るぎようのない強い意志がそこにあるのだ。ふぅ、と一息ついて気持ちを落ち着かせる私の瞳は、満足感や希望に満ちて爛々と輝いていた。  さあ、礼はどんな返事をするのかと思い、窓の外を眺めているその顔をのぞき込んでみる。彼女は喜色満面の笑みを浮かべていた。だが、間もなく彼女の瞳から静かに涙の滴が垂れ落ちていくのが見えた。私は慌てて問う。 「どうしたの?何か悪いことあった?」  慌てる様子の私を見た礼は、クスクスと無邪気に笑いながら答える。 「違うの。私は嬉しいの。本当に嬉しくて、ついうれし泣きしちゃって」 「え?」 「笑夢が目を輝かせながら夢を話してくれたことに安心してね。それに、私への想いを形にして届けてくれるだなんて・・・・・・。そんなの嬉しいに決まってるわ」  私は安堵した。彼女は私の夢に心から喜んでくれている。そんな眩しい表情を見せられたら、尚更頑張らなくてはと思うしかないじゃないか。私の中でふつふつとやる気が湧いてきた。彼女の笑顔のためにも、私のためにも、この夢は忘れないようにしよう。  涙を流す礼にハンカチを渡して宥めていると、電車はいつの間にか私たちの降りる電停に差し掛かっていた。二人で急いで降りる支度を整え、飛び降りるように駆け足で電車から降りる。私たちの住む街はすっかり暗くなり、街灯や家々の明りがポツポツと灯りだしていたが、気のせいか、いつもより煌々と明るく輝いているように感じた。 「じゃあね、笑夢。貴方の夢、応援してるわ!貴方の返答、待ってるわ!」 「バイバイ、礼。礼の気持ちを知ることが出来て良かったよ!いつか返答は送り届けてみせるわ!」  通りに響くような大きな声で別れを告げる私と礼。互いの姿が見えなくなるまで、大きく手を振りながら帰途に就いた。  数日後。東山手人形館の応接室に市布笑夢の姿があった。  真剣な眼差しで市布笑夢の履歴書を読む館長――湊緑朗の姿がそこにあった。緊張している笑夢は目線を下げたまま、黙ってソファに座っている。彼が目を通しだしてからそんなに時間が経っているわけでも無いのに、まるで何十分も何時間も経っているような気持ちだ。  暫くして、緑朗は「ふむ」と一言を漏らすやいなやソファから立ち上がる。その足でサイドボードの方へ向かい、引き出しを開けると中から一枚の紙を取りだした。スラスラと何か書いたかと思えば、ポンと実印を押している。その紙を書き終えると、笑夢の方へと持って行った。  笑夢の目の前に出された紙には『雇用契約書』と書かれていた。 「これは雇用契約書になります。アルバイトとして今回、当館で雇うことになりますが、その際こちらの書類にサインと印鑑を押して貰う必要があります。もちろん規約に同意した上でですが――」  淡々とした口調で労働規約等を説明する緑朗。笑夢も耳を傾けながら頷いている。 「最後になります。今回、当館のスタッフアルバイトとして雇用することになります。基本的にはホールスタッフや簡単な事務を手伝って貰うことになるので人形制作に関わる機会はあまりないのですが、働きぶり次第では人形制作にも関わっていくことになるかと思います。――当館で働いて下さいますか?」  緑朗からの質問に対し、笑夢は笑みを浮かべて答えた。 「はい。ぜひ、お願いいたします!」  深く頭を下げる礼に、緑朗は笑いながら話しかける。 「ははは、そんなに畏まらなくても大丈夫ですよ。――さて、貴方は今日からここのスタッフです。といっても、シフトは今日は無くて3日後からになるのですが。どれだけ貴方の夢を支えられるかは分かりませんが、ぜひここで頑張っていって下さい」 「はい!」  感激の余り声がうわずる笑夢。そんなに仰々しくしなくてもと笑う緑朗。応接室の中には、二人の明るい声が響き渡っていた。  春が過ぎ、夏の足音が聞こえだしてきた5月下旬の東山手人形館。  春の花々は緑の葉に包まれ、新緑の深まる美しく爽やかな季節が訪れたこの人形館に、今一つの新たな芽が芽吹きだそうとしていた。  彼女の新しい門出を祝う祝砲を放つように、海の方から船の汽笛が聞こえてくる。新たな仲間の誕生を喜んでいるのか、館の人形達もどこか嬉しい表情を浮かべているように見える。  間もなく夏を迎える東山手人形館では、今日も静謐な時間が流れていた。
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