第1章 友の形

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第1章 友の形

 長崎は九州の西方に位置する県庁所在都市である。温暖な気候に包まれた歴史ある港町で、海辺を歩くと心地よい海風と潮の香りが漂い、海鳥たちの愛らしい鳴き声が響き渡る。その海鳥の群れの合間を潜るように、今日も離島へ渡る船が汽笛を鳴らしながら外洋へ向かっていく。  場所は変わって、ここは長崎の街の一角、大浦地区と呼ばれる地域である。  かつて長崎が貿易港として栄華を極めた時代、居留地として多くの外国人が住まう地域であったこの地域では、往時の繁栄ぶりを象徴するかの如く、今もなお木造洋館が多数残り、蔦の絡まった石垣と石畳で舗装された道も相まって、どこか日本離れした異国情緒漂う街並みとして人口に膾炙している。  その街並みの中に一つの古い木造洋館が建っている。  この館は主屋と附属屋で構成された、2階建ての大きなものだ。外壁は一部煉瓦もあるが、基本的には青く塗装された木で構成されており、窓にはガラリ戸も擁している。洋館と言えど屋根は瓦葺きで、所謂「和洋折衷」と表される建築様式の建物であり、この地区では多数見られた様式であるという。  館の庭にある花壇には四季の草花が植えられ、一年を通じて古き良き木造洋館に彩りを添えている。海辺から吹き付ける爽やかな風が、庭の草花をサワサワと優しく揺らし、館の雰囲気をより静謐なものにしていた。  館の門には『東山手人形館』と書かれた、少し年季の入った手書きの木製看板が掛けられていた。門の脇に立つ別の看板によると、この館では人形の展示の他、オーダーメイドで人形を制作するとのこと。また地域の方の話によると、人形作家として活動する館長が自ら来訪者に話を聞き、来訪者のニーズに沿った世界に一つだけの美しい人形を作り上げるという評判を聞きつけ、全国からこの館を訪れる来訪者が跡を絶たないという。  その館の2階にあるベランダで、男が一人欄干にもたれ掛かっていた。彼はスラックスのポケットからメモ帳を取り出して、開いたページをじっと見つめる。メモによると、今日はオーダーメイドドールの予約が複数件入っているらしく、その内1件の来訪者が予定ではもうすぐやって来るようだ。  男はメモ帳を閉じると、外の景色を眺めながら軽くため息をつきながら、来客前のつかの間の休息を過ごす。港を出る旅客船の汽笛が東山手の街に響く穏やかな一時、優しい風が彼の体を包み込むように吹いている。心地よい風に包まれた彼はまぶたを閉じ、街の喧騒や風に揺れる草木の音に静かに耳を傾けて来訪者の到着を静かに待っていた。  暫くすると、彼の部屋の扉がこんこんと軽くノックされる音がした。彼は返事を返すと、扉を開けて女性が一礼し一言伝えた。 「館長、お客様がお見えになりました」  館長と呼ばれた彼は「わかった。直ぐ行きます」と返答すると、部屋にある姿見の元へ向かい身なりを整える。整えられた髪や綺麗に剃られた髭、しわや汚れの無いシャツやジレベスト、スラックスは一瞥する他者へ清潔かつ上品な印象を与える。整え終えると彼は表情を引き締め、館長らしい風格を漂わせながら1階にある応接室へと静かに降りていく。  柱時計の音が響く応接室の中では、来訪者が彼が来るのを静かに待っていた。古い洋館ならではの温もりの有る内装やそれに見合ったアンティークの家具等、瀟洒な雰囲気に緊張を隠せない来訪者は部屋の中を見回しながら、期待と不安で高鳴る胸の鼓動を和らげようとするので精一杯の様子だった。  暫くすると応接室の扉が軽くノックされ、開いた扉の先に館長である彼の姿が見えた。彼は深々と一礼してから部屋の中へと入る。 「ようこそ、お待ちしておりました××様。私、館長の湊緑朗(みなとろくろう)と申します」  彼――湊緑朗は笑みを浮かべながら来訪者に優しい声色で挨拶すると、部屋の角にある本棚からいくつか冊子やファイルを取り出し、来訪者の対面にあるソファにそっと腰掛けた。 「本日は当館へお越しいただき、誠にありがとうございます。初めてドールを御注文されるということで、少々緊張されていらっしゃるようですが、肩の力を抜いて、今日はゆっくりとお話ししていけたらと思います」  緑朗の穏やかな雰囲気に少し安堵したのか、来訪者の顔には笑みが浮かんでおり、少しずつ緊張が解されているようだ。それを見た緑朗も胸をなで下ろしている。  今日は良い天気ですね、今日はどうやっていらっしゃったのですか、今日は何の日かご存じですか、・・・・・・。二人の間で他愛ない会話が続く。少しずつ緊張を解していくことで、来訪者が本当に欲しい人形について話しやすい雰囲気を作る――緑朗が商談の際に、いつも心がけていることだ。来訪者との親睦を深めることも人形館の主として大切なことの一つとして、緑朗はこれを銘肝しているという。  暫く会話を繰り広げる内に場が盛り上がってきたところで、緑朗は一度咳払いをし、落ち着いた声色で本題を切り出した。 「さて本日は、どのようなドールをお求めでしょうか?」  緑朗の問いかけに対し、来訪者は静かに語り出す。東山手人形館の仕事が、今日もまた一つ始まった瞬間である。
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