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身体一つ。
暗闇の中で確認できる「自分」。
これが「自分」に所属するものの全てだった。
「過去」が意味を失い、「未来」に繋がるものは全て消え去った俺には、自分の身体と「現在」という時制しか残っていない。それだけが俺の財産だ。だから突然こんな闇の中に落とされた現在も、俺に動揺はなかった。相当な深さまで落下したはずなのにこうして生きていることですら、俺にとっては何の価値もなかった。ただ、生きる方法が昨日までとは違うものになったのだという確信があるだけだ。
生きることに興味はない。だが、死にたいとも思わない。俺が生きている理由はただそれだけだった。
どれだけの時間歩いただろうか。
足元に転がる固いもの、やわらかいものを蹴飛ばし、踏みつけながら歩くうち、女の子の声は聞こえなくなっていた。断続的な地鳴りも影を潜めていた。遠くから人の声のようなものが聞こえてくるが、音の乱反射によって、わぁんという意味不明の響きとなっていた。どの方向から聞こえて来るのかも判然としない。
人間の存在を想起させるそれらの音は、俺を苛立たせた。それらの音から遠ざかりたいが、方向がわからない。
消えちまえ。全部。生きて動いているものなど全部消えちまえばいいんだ。地鳴りよ、よみがえれ。せめてこの不快な音を、その轟音で掻き消せ。
俺がそう思った時、何かが崩壊する音が響いた。続いて短い悲鳴のようなものが聞こえ、消えていった。
身じろぎもせずに、しばらく待つ。新たに起こった崩壊の余韻が収まると、静けさが戻ってきた。生きているものの気配は、ない。
俺はさらに時間をかけ、ゆっくりと緊張を解いた。音を立てぬように肺の中の空気を吐き出し、壁に寄りかかる。すると壁はあっけなく崩れた。
俺が転げ込んだ部屋を満たしていた強烈な光が、暗闇に慣れきった俺の網膜を焼いた。
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