一 絶望からの転落。

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 気がつくと私は家を出て、ふらふらと街を歩いていました。いつも歩いている街なのに、全く違う街のような違和感。全ての音が遠く、全ての色が明度と彩度を落としていました。  身体に誰かがぶつかっても、全く気になりませんでした。足元も前も眼に入らず、私はただ上を見上げたまま街をさまよっていたのです。  できるだけ高いビルを探して、より高いビルはないかと歩き回っていました。ぶつかった人からの怒声も耳に入らず、何かにつまずいて倒れようが意に介さず……。  突然誰かに肩をつかまれて、無防備の鳩尾に拳を叩き込まれ、血の混じった胃の内容物を吐き出しながらひざをついた時も、私の眼は一番高いビルを見つめ続けていました。  身体はのた打ち回るような苦痛に悲鳴を上げているのに、私の意識にはぼんやりとした遠い感覚として、他人のようなよそよそしい感覚としてしか、この苦痛を認識してはいませんでした。周りの状況も見て、聞いて、感じているのに、それが自分に与えるのは、夢のような、おぼろげな、薄ぼけた情報でしかなかったのです。  私を殴った若い男が吐き捨てるように何か言い、私の顔に唾を吐きかけて歩き去っていくと、遠巻きに見ていた野次馬たちも散っていきました。  私は吐きかけられた唾を拭いもせずゆっくりと立ち上がると、再び一番高いビルを目指して歩き出したのでした。  そう。自分の人生を終わらせる、私だけのステージに上がるために。
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