2

1/1
12人が本棚に入れています
本棚に追加
/4ページ

2

 まだ夜の灯りが残る薄い闇をまとった空気の中、私はポケットの中の万札を握りしめた。  底の方から忍びこんでくる様な冷たい風がピンク色のフレアスカートをふわりと巻き上げる。私が思わず身をすくめると、自分の酒臭い息の隙間から、昨夜の男の生臭い息がまだにおってくる様な気がした。  バーコード頭に樽の様な腹をした、まるで絵に描いたみたいなオッサンだった。小鼻のわきの小豆にそっくりなホクロから一本の毛がピロリと生えているところが気持ち悪かった。  オッサンは私の体を舐める様に眺めると、粘りつく様な笑みを残したままシャワールームに消えていった。シャワーの音を確認しながら、私は手垢のついた二つ折り財布の中から二枚の万札を引き抜くと、足音をしのばせて部屋を出た。  結構チョロいじゃん。  私は肌を切る様な冷気の中を走り抜けながら一人微笑んだ。  自宅までの終電はもう出てしまった後だったので、知り合いの店で身を隠しながら、その後は結局朝まで飲んでしまったのだ。  私が大きなあくびをしながらスクランブル交差点の向こう側に目をやると、まだ視界が薄暗くぼんやりとしている中、黒い塊がたたずんでいるのが見えた。  黒い尖り帽に黒いマント?  ハロウィンでも無いのに何でそんな格好してるんだろう。  私ははじめそう思った。  信号が青い色に変わる。  私の様に朝帰りの輩達が駅に向かう中、黒い尖り帽はゆっくりとした足取りでこちらに向かってきた。  近づくにつれてそれの異様さが段々と目につく様になってくる。  黒いのは帽子とマントだけでは無かった。膝近くまである黒いシャツの下には黒いズボンと黒いブーツ、黒い杖までもついている。  唯一黒では無いそいつの皮膚はシワだらけで、たるみ切った皮膚に囲まれた小さな瞳は鈍い光を放っていた。  こういう目をした奴はヤバイ奴だ。  私はそう思っだけれど、何故だか私はそいつから目を逸らす事ができなかった。  百五十センチしか無い私でもほんの少しそいつを見下ろす形になる。それが私の丁度耳元を通り過ぎようとした瞬間、くわっと真っ赤な口が裂けた。 「……ありがとう」  それは真っ赤な口を目の前にしながらも、そこから発せられたものとは思えない様な低く異様な響きを持っていた。  思わず足を止める私に、そいつはニヤリと粘ついた笑みを浮かべた。  シワシワのその顔が昨日のオッサンの顔と重なって見えてきて、私は全身に鳥肌が立つのがわかった。  金を取られたオッサンが何で私にお礼を?  私は恐ろしさのあまり身を翻すと走りだした。  酒の抜けきっていない、いや、まだたっぷりアルコールを含んだ体ではすぐに息が上がる。  私はオッサンの様な顔をした老人が追いかけてきていない事を確認すると、薄汚れた飲み屋の壁もたれかかった。  昨日、知り合いの店にでもあんな客がいただろうか?  私はアイツに何をしてあげたというんだろう?    ふらふらと近くにあったコンビニの店内に足を踏み入れる。整然と商品が並べられている棚を見渡して、私はほっと息をついた。  冷蔵ケースから一番安い水を手に取るとレジに向かう。  鞄からスマホを取り出そうとスカートに触れると、ポケットの中身がガサゴソと音を立てた。  私はビクリとしてガラス扉の向こう側に視線を向ける。  いつの間にか外の世界には静かに朝の光が差し始めていた。いつも大勢の人で賑わっている通りも今は人影もまばらで、透明な空気で満ち溢れていた。  さっきまで辺りを支配していたあのどうしようもない闇はどこへいったのだろう、と思った。  いつも我が物顔で歩いていた魅惑的な街とも、さっきまですぐそこにあった全てを引きずっている様な薄暗い世界とも違う、ピカピカの外の空気に私は目を細める。手にしていたペットボトルの水が蛍光灯の光を反射して白く光っていた。  私は何だか忌まわしいものの様な気がしてきて、ポケットの中身をレジ横にあった募金箱の中に押し込んだ。  
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!