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七十七枚目のガラス窓
「ねえ富士くん知ってる?」
「ん?」
校庭は月明かりだけが頼りだった。
「ラッキーセブンってあるじゃん」
佐々木がバッターボックスに立つ。俺はマウンドへ。その距離は意外と遠い。
「それが?」
「あれって七回に逆転ホームランを打つことが多かったからなんだって」
「へえ」
佐々木がコンコンとホームベースをバットでつついて位置をたしかめる。
「だからこれは七回裏。チーム綾ちゃんが三点負けてて、フルカウントで満塁」
「漫画だったら絶対打つやつな」
「漫画じゃなくても打つんだよ」
俺は肩を竦めた。
「ソフトだからアンダースローだよ。それとストレート投げてね」
「球種限定かよ。勝負どころを変化球で決めるのがかっこいいのに」
「富士くんまっすぐしか投げられないでしょ」
「よくご存じで」
佐々木がバットを構える。それはやっぱりと言うべきかさまになっていた。
なんだかぴりぴりと緊張する。俺は肩の力を抜いてだらんとし、一拍おいて投球モーションへ。下半身をふんばって、慣れないアンダースロー。手から白球が離れる。それはストライクゾーンに吸い込まれていって、完璧な角度とスピードをもって佐々木のスイングが迎え打つ。
――カキン!
俺と佐々木は同じ夜空を見上げて、白球の行く先をふたりとも見失った。そして、
がっしゃーん!
バットを捨てた佐々木が一塁ではなくピッチャーマウンドに駆けてくる。そして勢いよく俺に抱きついた。
「ぐへっ」
ふたりで倒れる。
「やったー! 逆転満塁ホームラン! この音はうちのクラスの窓だね!」
「音でわかるのかよ。ってかこれじゃアウトだぞ」
「細かいこと気にしない。だから富士くんは――」
「はいはい」
「もうっ」
馬乗りになった佐々木は俺の頬を撫でてごめんねと言ってから立ち上がる。そしてスカートの土を払って、
「富士先生」
と俺のことを呼んだ。
「……なんだよ、改まって」
「たまにはちゃんと言わないとね……富士先生。うちの話を聞いてくれて、ありがとう。三年間、ほんとうに楽しかったよ」
「どういたしまして。……俺も楽しかったさ。こちらこそありがとう」
その日、八回表は来なかった。
翌日、俺は教頭と山崎に呼び出されてこってり絞られたのは言うまでもない蛇足というやつだろう。
そして卒業式に窓ガラスの修復は間に合わなかった――割れた窓の前で撮った佐々木と俺のツーショットは、佐々木の卒業アルバムの空きページに貼られるそうだ。
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