第一章 この人が俺の師匠?「魔法使いならもっと見る目を養うんだな」

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 アレクシスが心を決め、動こうとした時、突然ヘザーの高笑いが止まった。 「ぐっ……がッ……!」  見ると、ヘザーの皺だらけの首に、背後から白い指が食いこんでいる。 「な……っ おまえ、どう、やって……っ!」  いつのまにか黒髪の少女がヘザーの後ろに立ち、左手で首を絞めていた。 「ぐぅッ!」  ヘザーがうなると、巨大な竜の黒炎がダニエルに襲いかかる。が、ダニエルが鋭い一瞥(いちべつ)を向けただけで、黒い竜はまるで蝋燭の炎のようにふっとかき消された。 「ぐアああぁッ!!」  ヘザーは必死の形相で暴れ、ダニエルの戒めから逃れる。鞄の口からあふれ出る黒い煙が、魔物のようにダニエルを呑みこもうとふくらんだ。けれど、どういうわけか煙はダニエルに近づくと霧のように消えてしまう。ついに煙は恐れをなしたように、ダニエルに近づくのをためらって後退した。 「……ッ、なぜだ! お前、どうやってあの業火から逃れたのだ! あの炎に捕捉されたら最後、どんな生き物でもすべての精気を奪われ、魂さえも残らないのだぞ!」  ダニエルはなにも答えなかった。さっき瓦礫と化した家の敷地に立っていた時と同じく、無感情な目でヘザーを見つめている。  ヘザーは引きつった顔で喘いだ。 「それに……それにお前、なぜ平気な顔で立っている。毒の腐敗臭で、普通ならとっくに中毒症状を起こしているはずだ。なんなのだお前は、お前は……」  ダニエルは鋭く目を細めると、ヘザーへ向かってすばやく踏みこんだ。なぜだかアレクシスにはわかった――ダニエルはヘザーを殺す気だ!  ヘザーが叫び声を上げた。同時に、その体がまばゆい光を放つ。 (あれは――自爆魔法!?)  アレクシスはたまらず目をつむった。耳をつんざくような爆発音と熱風が吹きつける。防護魔法が破られるのではないかと思うほどのビリビリとした衝撃を感じ、腕で顔をかばいながらなんとか両足でその場に踏んばった。  しばらくして目を開けると、あたりには粉塵(ふんじん)がただよい、そのにごった空気のなかにダニエルがひとりで立っていた。ヘザーは……跡形もなく吹き飛んでしまったのだ。  アレクシスが呆然とするなか、ダニエルはヘザーが残した鞄に近づいた。開いたままの口からは、まだ黒い(もや)が顔をのぞかせている。ダニエルは膝をつくとその残滓(ざんし)を手で払って消し、鞄の口を閉じた。  ため息をついて立ち上がると、アレクシスのほうを向いて言った。 「おいガキ。怪我はないな?」  アレクシスはハッとして我に返る。口のなかが乾き、心臓が激しく鼓動を鳴らしてはいたが……自分は生きている。 「は……い。大丈夫です」 「少々まずいことになった。この場を離れるぞ。オレと一緒に来い」 「えっ……」  アレクシスが驚くなか、ダニエルは破壊されて原形を(とど)めない玄関ポーチへ立つと、真っ黒にこげた床の石板を蹴ってひっくり返した。そこにはぽっかりと穴が空いていて――なにかが隠されていたようだ。ダニエルが片腕で引っぱり出したのは、旅行用のトランクだった。手際よく解錠すると、なかから一枚の紙をとり出す。端が茶色く変色した、古い紙だ。ダニエルはその紙を顔に近づけると、なにごとかをつぶやき始めたが、なにを言っているのかは聞こえない。呪文だろうか? と考え、アレクシスは気がついた。あれは、高級魔法紙を使った手紙だ。使用者がしゃべった言葉を紙がそのまま吸収するので、他の者には聞こえないのだ。  ダニエルは魔法紙に声を吹きこむのを終えると、アレクシスに言った。 「あのババアは死ぬ間際、自分が見聞きした情報を仲間へ送る魔法を使っていた。オレだけじゃなく、お前のことも敵に伝わったはずだ。このままじゃお前の身も危ない。一緒に逃げるぞ」  言いながら、ダニエルは紙をきれいに折りたたみ、鳥の形にした。紙の鳥はダニエルの手からふわっと浮き上がり、本物の鳥に姿を変えると、そのまま大空へ飛び立っていった。魔法使いが使う、古典的な連絡手段だ。最近はリアルタイムで会話できる通信魔法があるので、使う人間はめずらしいのだが。 「おい、お前も早く自分の荷物をとってこい」  言われて、アレクシスは周囲を見渡した。最初の爆発でアレクシスの鞄は遠くまで飛ばされてしまったようだ。目で見ただけでは探せそうにない。 「シルフ!」  精霊に呼びかけると、ヒュンと風が鳴って鞄が飛んできた。ドサッと腕のなかにおさまったそれは、傷ひとつついていない。さすが、ローブと同じ魔法がかかった、魔法学校支給の鞄である。 「よし、行くぞ」  ダニエルは長い黒髪をひるがえすと返事も待たずに走り出し、アレクシスはあわててそのあとを追いかけた。 「ま、待ってください! あの惨状をそのままにしていいんですかっ?」  毒の地面は腐臭を発し続けているし、ヘザーが持っていた黒魔法を宿した鞄も放置されている。どう考えても危険極まりない。 「いいんだよ。調査隊には連絡した。後始末はそいつらがしてくれる。この地域一帯の住人は避難させてあるしな」 「えっ?」  ダニエルはアレクシスのほうへ首だけ向けると、唇の端をつり上げた。 「あのババアが来るのはわかっていた。というより、来るように仕向けるために、魔法学校との通信をわざと傍受(ぼうじゅ)させたんだよ。つまり、網を張ってたのはこっちのほうだったってことだ。まあまさか、お前と連れ立ってくるとは思わなかったがな」 「え……」  自分がヘザーを連れてきてしまったのだと思っていたが、ヘザーを連れて来させられた……ということだったのか?
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