第二章 森と追跡者と師匠が出した課題「お前ちょっと小利口すぎるぞ」

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 アレクシスは、ダニエルのもとへ徒弟(とてい)実習に来たことを早くも後悔し始めていた。  ふたりを乗せた貨物列車は、まばゆい太陽の(もと)を順調に走り続けた。さざ波のように風に揺れる麦畑や、緑の丘で草を()んでいる羊が遥か後方に遠ざかっていき、ますます人里離れた辺境の地へと進んでいくようだ。  やがて眼前に青々と密集した木立が現れると、それを待っていたかのようにダニエルが言った。 「ここで降りて、あの森に向かうぞ」  そしてあろうことか積み荷の木箱をひとつ開け、なかからオレンジをとり出したのである。 「ちょっ……泥棒ですよ!」  咎めるアレクシスに、ダニエルはひょうひょうと返した。 「固いこと言うな。お前もひとつもらっとけ」  そう言ってオレンジを投げて寄こしたので、アレクシスはあわててお手玉した。 「いやですよ! 農家の人が丹精こめて作った収穫物で、大事な収入源なんですよ! 盗んでいいわけがないでしょう!」  我ながら正論だ、と思いながら力説すると、黒髪の少女はかえって面白そうにニヤニヤした。 「いいから取っとけよ。受けとらないならお前に単位はやらないが、どうするよ?」 「なっ……」  絶句するアレクシスを尻目に、ダニエルは長い髪をしっぽのようになびかせて、走行中の汽車からさっさと飛び降りてしまった。  アレクシスはわずかな時間葛藤(かっとう)したが、結局オレンジを持ったままダニエルを追って跳んだ。 「風精霊(シルフ)!」  魔法の風にふわりと受けとめられて着地し、すでに森へ向けて走り出しているダニエルを追いかける。しかし内心は懊悩(おうのう)していた。 (なんということだ……無賃乗車だけでなく、窃盗まで……)  一日のうちに二回も犯罪をしてしまった。品行方正、真面目一筋で生きてきた自分には考えられないことだ。ああ、罪悪感で胸がチクチクと痛む。 「おいガキ、日が暮れる前に森を抜けるぞ。――なんだ、変な顔して。腹痛か」 「違います……。それから、ガキじゃなくてアレクシス・ウォルシュです」 「はいはい、坊ちゃん」 「アレクシスです!」  そんな調子で、道行きは進んだ。ダニエルの言動はアレクシスの良心に反することばかりだったが――それでも、彼女(?)の無駄のない機敏な身のこなしは、思わず美しいと感心してしまうものだった。 (この身体能力も、魔法によるものなのだろうか?)  ダニエルは、アレクシスのように風の精霊に運動機能を補助してもらっているわけではないようだ。けれど、魔法を使わずにここまでの動きができるものだろうか? (それに、この姿)  マレットの言うように、ダニエル・ブラッグが本当は三十九歳の男性なら――この少女の容姿はなんなのだろう?  魔法使いが変幻自在に己の見目形を変える――なんていうのは、おとぎ話のなかだけだ。現実には、質量保存や物理法則を無視して肉体を別の物質に変える魔法などない。  他に考えられる方法としては、幻術――アレクシスが目にしている少女の姿は幻だという可能性だ。しかし幻術にしては、存在感がリアルすぎる……幻術とは相手に夢を見せるようなもので、対象者の記憶にあるものを引き出すことで術にかけることを容易にする。しかし、この少女にアレクシスは見覚えがないし……ダニエルの動きは精妙で、到底幻とは思えない。 (それに、変身か幻術のどちらかだったとしても、こんなに精巧な魔法はかなりの魔力を消費するはずだ。魔力量の少ない人が、使えるとは思えない……)  徒弟実習先にダニエルを推薦してくれたマレットのことを信じたいが――正直、あまりにも得体の知れないこの人物に付いてきてしまって良かったのだろうかと、狐疑(こぎ)する気持ちが湧いてしまうのだった。
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