第二章 森と追跡者と師匠が出した課題「お前ちょっと小利口すぎるぞ」

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 森のなかは、夏とは思えないほどひんやりと涼しかった。  空を覆い隠すように直立する木々は(ビーチ)だ。樹高は三十メートルもあるだろうか? 地面には幹の影がくっきりと落ち、足もとは薄暗い。しかし頭上を仰げば、太陽の光を受けた枝葉が若草色に輝き、やわらかな木漏れ日が降りそそぐ。静かだ。鳥や虫の声でこんなにもにぎやかなのに、神聖な静寂(せいじゃく)に満ちているように感じられた。この静けさをみだりに侵してはいけない、と思うような。灯りを消した教会で、陽光に照らされた美しいステンドグラスを見上げている時の感覚に似ている。 (ああ――そうか。むしろ、こういう自然の崇高(すうこう)さを表現しようとしたのが、宗教芸術なのかな……)  大いなる森に包まれて、自分が小人のように小さな存在になった気分だった。おのずと畏敬(いけい)の念が生まれてくる。たくさんの精霊の息吹を感じた。 (なんて気持ちのいい場所だろう……魔力がみなぎってくるみたいだ)  アレクシスの故郷スワールベリーにも、こういうところがたくさんあった。自然のエネルギーに満ちた、魔力の豊富な聖地。きっと魔法使いでなくても、多くの人の心が共鳴し、惹きつけられるような場所だ。新鮮な空気は体と心を目覚めさせ、生命の波動は魂に語りかけてくる。  先を行くダニエルは、まるで道がわかっているかのように迷いなく進んでいた。早足なのにほとんど足音を立てず、野生の獣のようだ。  しばらくすると、前方の木立が途絶えて明るくなっているのが見えた。と同時に、かすかな水音も聞こえてくる。やがて明かりの(もと)へたどり着くと、開けた場所には予想通り小川が流れていた。水底まではっきりと見える、透きとおった清流だ。 「少しここで休憩するか」  ダニエルが言ったので、アレクシスは息をついた。水を目にしたとたんに、喉の渇きを感じたのだ。  鞄からティーカップをとり出すと、川の水をすくって口に含んだ。冷たい。そして、とてもおいしい。水精霊(ウンディーネ)の生き生きとした生命力を感じる。 「ブラッグさんもいかがですか?」  もうひとつのティーカップにも水を汲み、ソーサーに載せて差し出すと、ダニエルの紫の目はあきれたように細められた。 「川の水を白磁器で飲むとか、どこのお貴族様だよ」 「べ、別にいいじゃないですか! 水筒が必要だなんて思わなかったから、これしか持っていないし……飲めれば器なんてなんでもいいでしょう」 「なにもわざわざ皿に載せなくてもいいだろ」 「そこはその、礼儀ですよ。目上の方に渡すんですから、丁寧なほうがいいに決まってます」 「……そりゃ、どーも」  ダニエルは言い返すのも馬鹿らしいといった態度で受けとった。  ……まあ、ソーサーを使ったのはそれだけが理由ではないのだが。カップを直接手渡すより、手が触れ合うことが()けられると思ったせいもある。ダニエルのふるまいに女性らしいところなどひとつもないが……やはり、見た目が少女である以上、できるだけ接触の危険を冒したくはない。  不自然に思われないように、さり気なくダニエルとの距離をとって岩に腰かけ、あたりの(こずえ)を眺めた。  風がサワサワと葉を鳴らし、鳥のさえずりが響く。澄んだ水のせせらぎ、燦々(さんさん)と降り注ぐ日の光……精霊たちの気配。  アレクシスは魔力をこめ、精霊に呼びかけるように小さく細い口笛を吹いた。すると、あちこちから魔力が返ってくるのを感じる。魔法が使えない人にその感覚を説明するのは難しいのだが……空気が踊るような、きらめくような、楽しげな雰囲気が伝わってくるのだ。目に見えたり、音で聞こえたりするものではなく――ただ感覚で、その存在を感じる。 (この森の精霊たちはとても明るくて、元気だ)  思わず口もとがほころぶ。これまでの怒涛(どとう)のできごとを忘れるような、とても心地の良いエネルギーに満たされた。呼吸をするのが気持ちいい。  ふと、ダニエルが立ったまま真剣な顔でこちらを見つめているのに気がついた。 「な、なんですか?」  逃亡中(?)なのに、のんきに精霊とコミュニケーションをとっているのを叱られるのだろうか? 「お前、一番得意なのは木魔法だな」 「な、なんでわかるんですか?」  いきなり言い当てられ、面食らってしまう。風の魔法は今日だけでもたくさん使ったから、風魔法が得意だと言われるのならわかる。けれど、木魔法は一度も使っていない。 「見ればわかる。風魔法は鍛錬(たんれん)で上達したんだろうが、もともと持っている素質は木と一番相性がいい」  見ればわかるって……普通、見ただけではわからないはずなのだが。だからこそ、魔法学校には魔力や得意属性を計測する魔法具があるのだ。 「木より風を使うのは……風魔法が最も日常で扱いやすくて、効用範囲が広いですから」  風の壁を作って防御したり、クッションを作って受けとめたり。空気はどこにでもあるから、他の属性に比べて発動時間が短いという点も優れている。 「逆に苦手なのは、地、火だな。ほとんど使ってないだろ?」 「それは……地魔法は、あまり使う機会がありませんから。火魔法のほうは……」  アレクシスは岩に腰かけたまま、自分を真っすぐ見下ろすダニエルを前に、少しためらった。 「火は、攻撃性が高いので」  アレクシスが風を使うのは、突風で相手の注意をそらしたり、竜巻のなかに対象を閉じこめたりと、対人戦において、相手を傷つけずに使える魔法だからだ。  臆病者だと(そし)られるだろうかと身がまえていると、ダニエルが言った。 「昔、魔法で誰かを傷つけたか」  まるで斬りこむような率直な言葉に、アレクシスはひどく動揺した。どうしてこの人は、なんでもお見通しなのだ。
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