第二章 森と追跡者と師匠が出した課題「お前ちょっと小利口すぎるぞ」

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 返事ができずにいると、ダニエルはその瞳が放つ鋭さを心持ちやわらげた。 「お前、生まれつき魔力の量が多かっただろう。そういう子供は、大なり小なり、力の制御ができなくて誰かを怪我させてしまう経験をするもんなんだよ。気にするな」 「気にするなって……そんな簡単に片づけられることじゃありません! 俺がシャノンを……幼なじみを傷つけた時、彼女はまだ八歳だったんですよ。ひどい大怪我で……女の子なのに、彼女の体に一生消えない傷を負わせてしまったんです」  故郷には一級の治癒魔法を使う魔法使いもいたが、それでも彼女の肌に傷を残さずに治すことはできなかったのだ。  アレクシスの興奮と内心の怯えに、周囲の精霊が共鳴してざわざわと落ちつきなく騒いだ。ダニエルもそれを感じているだろうに、紫色の双眸(そうぼう)は少しも揺るがずにアレクシスを見つめ返している。 「その子は、そう言ってお前を責めたのか?」  アレクシスはハッとして息を止めた。  脳裏に、優しい声と淡い微笑みがひらめく。 『――泣かないで、アレク。私は大丈夫だから』  あの時覚えた後悔の痛みは……きっと一生、忘れることはできないだろう。  けれど、彼女は―― 「……いいえ。俺のせいではないからと……、そう……言ってくれました」 「なら、そう思え。お前のせいじゃない」  アレクシスはダニエルを見上げた。ダニエルはカップの水をぐいと飲み干すと、カチャンと音を立ててソーサーに置いた。 「とにかく、お前はちゃんと苦手な魔法も練習しろ。どの属性もバランスよく使えるようにしておけ。でないとあとで困ったことになるぞ」 「困ったこと?」 「お前の今の魔力は、六十万トリクル以上ある」  アレクシスは唖然(あぜん)とした。 「まさか。去年の秋に計測しましたが、十万と少しくらいでしたよ」 「それからもっと増えてるんだよ。しかも、お前の魔力量の上限はそんなもんじゃない。これからさらに増えて、倍以上にはなるだろう」 「倍以上!?」  そんな数字、聞いたことがない。ダニエルは本気で言っているのだろうか? 「そんな量の魔力を抱えていたら、相当な負担になることは想像つくだろ? だからどんな属性の魔法でも使えるようにしておけ。自分の魔力を上手くコントロールできるようにな。それから、今後は髪を切るな」 「な、なぜですか」  今の話に関係あるのか? 「体の質量が少しでも増えたほうがいいからだよ。余分な魔力を髪に溜めておけるだろ。お前の背が高いのも、負担を減らそうと魔力が成長を促しているからだ。このままほっとくと、二メートル越えの大男になるぞ」 「えええぇぇぇっ!?」  嘘だろう!? ただでさえ陰気で底意地の悪そうな人相なのに、そんなに大きくなったら怖さ倍増ではないか。 「か、髪を伸ばしたら、成長は止まるんでしょうか……」 「絶対とは言えないが、少しは期待できると思うぞ」 「少し……」  アレクシスはうなだれた。  せっかくこれまで、すっきりさわやかヘアスタイルを心がけてきたというのに、長髪にしなくてはならないとは。この顔で黒髪を伸ばしたら、どう考えても黒魔術師(ウォーロック)か冥界の王みたいな見た目になってしまう。その上さらに身長が伸び続けてしまったら、完全に悪の大魔法使いだ。正義の使者が倒しにやってくるような外見だ。 「なにを落ちこんでるんだよ。見た目なんてどうでもいいだろ」  美少女の姿に化けている人に言われたくない…… 「それより、とにかくお前は魔力の扱いについてもっと学べ」  そう言うと、ダニエルはティーカップとソーサーを草の上に置き、自分のトランクから汽車を降りる時に失敬したオレンジをとり出した。「うっ」たちまちアレクシスの良心が痛む。 「お前には、これがどうやっているかわかるか?」  ダニエルは右手でオレンジを持ち、真上に軽く(ほう)った。オレンジは引力に従ってダニエルの右手に戻り――手のなかにおさまった瞬間、こつぜんと消えた。 「!」  ダニエルはなにもない右手をぎゅっと握って拳をつくると、また手を開く。すると、オレンジが再び現れた。 (これは……)  手品? いや、違う。かすかだが、魔力の波動を感じた。けれど、ダニエルが精霊に呼びかけた様子はない。魔法だけれど……魔法じゃない。なんだ? これは。  考えこむアレクシスに、ダニエルはにやっと笑った。 「これの仕組みがわかったら、お前は無条件で徒弟実習合格だよ。頭で考えずに、よく見て感じて、やってみるんだな」  そう言ってダニエルはもう一度オレンジを投げ、キャッチしたところでまた消える。と思ったらまた現れる。まばたきせずに凝視してみても、どんな魔法かさっぱりわからない。  アレクシスはローブのポケットに入れておいたオレンジをとり出した(うっ……やっぱり胸が痛い)。自分なら、どうやって消して見せるだろう?  その時、ふたりの頭上をなにかの影が横切った。見上げると、鳥が旋回(せんかい)しながらこちらへ降りてくる。  ダニエルが左腕を差し出すと、茶色い鳥がふわりと止まった。アレクシスはあっと気がつく。これは、鳥の姿をした魔法の手紙だ。おそらく、ダニエルが送った先から返信が来たのだろう。  鳥はつぶらな瞳でダニエルを見つめると、涼やかな女性の声でしゃべりだした。 『ダン、報告ありがとう。応援部隊が間に合わなくて悪かったわ。おかげさまで、こちらのトラブルもなんとかなりそうよ。ノースオベリアに向かった調査隊によれば、事後処理は無事終了、一般人への影響はなし。刺客が使用していた魔法具だけれど、おそらく戦時中に使用された兵器で間違いないわ。出所(でどころ)を調査中。そして、良くない知らせよ。あなたが連れとふたりで東ルートを移動していることを、敵がすでに知っていて情報を流している。あなたは大丈夫でしょうけれど、連れの子は素人(しろうと)でしょう。気をつけてあげて。以上、また報告を待つ』  鳥は話し終えると、ふっと煙のように姿を崩して消えた。秘匿(ひとく)性を高めるため、伝達後は消滅する仕様になっているのだ。 「なにかの知らせですか?」  アレクシスが聞いた。手紙の内容は宛てた相手以外には知られないようになっているので、アレクシスには鳥の声が聞こえなかったのだ。 「いや」  ダニエルはあたりに視線を走らせ、耳を澄ませた。追っ手の気配はない――今のところは。 「少し、その辺を見回りしてくる。荷物見てろ。オレが帰ってくるまで、お前はここでオレンジを消す方法を試してみろよ」  ダニエルはアレクシスに背を向けると、下流のほうへと歩き出した。 「はい……お気をつけて」  その後ろ姿を見送りながら、なぜだかアレクシスの胸のうちを不安がかすめた。
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