第二章 森と追跡者と師匠が出した課題「お前ちょっと小利口すぎるぞ」

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 ダニエルはひとりになって、思考をめぐらせた。  まったく、自分はなにをやっているのだろうか。本当の弟子でもないのに、あの優等生のお坊ちゃんの将来を案じて、余計な真似をして。  ――だが、見すごせなかった。あの少年は普通じゃない。魔法戦争時の英雄、アレクサンダー・スワールベリーの才能を間違いなく受け継いでいる。アレクサンダーも人並み外れた魔力を有していたが、アレクシスも魔力量だけでいえば今後曾祖父を追い越すかもしれない。  しかし、本人がまるで無自覚だ。あれだけの力を持っていながら、自分の魔力量も把握していないなんてお粗末すぎる。魔法学校は一体なにを教えているのだ。 (まあ……昔とは時代が違うせいか)  今はかつてのような、魔法使いが力を誇った時代ではない。  戦時中は、魔法学校は軍学校と同義だった。優秀な魔法使いは戦力となることを期待され、重宝されたと聞く。戦争の英雄アレクサンダーも当然大勢の敵兵を――人間を、殺したのだ。  そして五十年前にアレクサンダーは和平交渉を成立させ、十年に及んだ魔法戦争は終結した。その後、世界平和の維持に向けて国際魔法連盟が創設され、様々な条約を締結(ていけつ)した。  そのひとつが、魔法の軍事利用撲滅(ぼくめつ)だ。そのため、大量殺戮(さつりく)が可能な攻撃魔法は禁止され、秘伝書は処分・封印――存在自体がなかったことにされた魔法も数多くある。魔法学校も、これから学ぶ生徒にはそういったことを伏せて教育しているのだろう。  その結果、アレクシスのような平和ボケした魔法使いが生まれているのなら、国家の計画は上手くいっているということなのかもしれない。  ダニエルは、アレクシスの育ちの良さからくる純粋さにあきれはするが、嫌いではなかった。むしろ、このまま()れずに成長してくれればいいとさえ思う。アレクシスの曾祖父アレクサンダーが経験したような、凄惨(せいさん)な戦いや人間の負の側面を見ずに生きていけるのなら、それに越したことはない。 (そう……だから、オレがあいつに干渉する必要などない)  ただし――今の世のなかが、本当に平和であれば、の話だ。 *  アレクシスはオレンジを見つめ、悩んでいた。 (転移魔法が一番自然に消せると思うけど、相互魔法陣がなければ転移先から戻すことができないしな……)  試しに人差し指に魔力を集中して、自分の両手のひらに魔法陣を描いてみた。右手に送信用、左手に返信用。そして左手を背中に隠し、右手に乗せたオレンジを左手に転移させる。そして再び右手に転移。うん、問題なく成功だ。  だが、これではただの手品である。職にあぶれた魔法使いが大道芸としてやるような類いの芸当だ。こんな方法ではダニエルに鼻で笑われるだろう。  そのさまを想像し、アレクシスはむっとした。くっ……笑われてなるものか!  そう思って知恵をしぼったが、どんなに考えても、自分の知識と頭脳では方法がわからない。 (――君たちは、どう思う?)  アレクシスは、周囲の精霊たちに向けて想いを飛ばしてみた。返ってくるのは、楽しそうな――人間で言うと、クスクス笑っているような――雰囲気だけだ。  ダメだ。面白がられているだけで、あてにできない。 「うーん……」  手のなかでころころとオレンジを転がす。  ダニエルが十トリクルしか魔力を持っていないのなら、魔力をたくさん消費する、複雑で高度な魔法ではないはずなのだ。  魔力をほとんど消耗しない単純な魔法――火を灯すとか、風を起こすとか、魔法使いならまばたきひとつの時間でできるような、簡単な方法で…… 『頭で考えずに、よく見て感じて、やってみるんだな』  ダニエルの言葉を思い出し、アレクシスはオレンジを持っていないほうの手に魔力を集中した。 「グノーム、ドリュアス、サラマンダー、ウンディーネ、シルフ……」  呼び声に応え、精霊たちがはしゃぐように力を貸してくれる。  アレクシスの手のなかに、土が生まれる。そのなかから小さな木が生えて土をとりこみ、葉先に火が灯って木を焼き尽くす。炎は突如現れた水に消火され、風がその水を霧状に吹き飛ばした。 (こんなふうに、精霊の司る元素なら生むのも消すのも一瞬だ。同じように、オレンジを消したり出したりできるだろうか?)  なんとなくではあるが、正解に近づいているような気がする。  精霊たちも、楽しそうに応援している様子だ。答えを教えてくれる気はないようだが、アレクシスがそれにたどりつくのを望んでいるらしい。 「よし」  森の魔力を感じながら、アレクシスは今一度気をとり直してオレンジを見つめた。 *  その時、森のなかにはアレクシスとダニエル以外に、もうひとりの人間がいた。  獲物を狙う肉食動物のように気配をひそめ、息を殺してじっと様子をうかがっている人物が。 (折よくひとりでいるところに遭遇するとは、ツイてるな)  灰色の両眼が、草むらの陰からアレクシスの姿を捉えていた。砂色のローブをまとった、壮年の魔法使いだ。名をハクスリーという。長年諸外国を流浪していたが、その腕を買われ声がかかり、現在はとある魔法使いの組織に所属していた。  マーシー・ヘザーがダニエル・ブラッグの返り討ちにあった――その情報が組織の構成員に送信された時、彼らのあいだに衝撃が走った。  マーシー・ヘザーは四十年以上も組織に仕えていた古参の魔法使いで、戦闘員のなかでは熟練者(マスター)クラスだ。直情型で思慮深さに欠ける性格から、決して幹部の座に昇進することはなかったが、本人は自身の役割に満足していた様子だった。付き合いの浅いハクスリーの目から見ても、ヘザーが組織に(あだ)なす敵を排除する仕事を誇りに思っていたのはあきらかだった。そして、仲間を殺した者には執拗なほどの憎悪を向けてもいた。  今回の一件もそうだ。組織にとって重要な大仕事を控えている時だというのに、ダニエル・ブラッグの所在をつかんだヘザーは命令に逆らい単独行動に走った。本来ならすぐさま呼び戻して厳罰に処されるところだが……おそらく上層部は、内心でヘザーがブラッグを始末してくれることを期待していたのだろう。ヘザーはただの軽率な女ではない。慢心するだけの力量を備えた、一流の戦士だったからだ。
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