第一章 この人が俺の師匠?「魔法使いならもっと見る目を養うんだな」

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 その日、アレクシスは悩んでいた。  いや、アレクシスは年がら年中悩んでばかりいるので、なにもそれは今日に限ったことではないのだが……その日の悩みは一段と深刻かつ重要だった。 『七年次修了生へ。徒弟(とてい)実習の単位不足者は夏季休暇中に修得すること。単位不足の生徒の進級は認められません』  石造りの回廊には夏の訪れを告げるまぶしい光が差しこみ、生徒たちが笑いさざめく声が響いている。  その朗らかな光景のなか、掲示板に貼り出された通告を前にアレクシスはひとり暗澹(あんたん)とした表情だった。そんな顔をしていると、冷たく気難しそうな人物に見えてしまうのだが……生まれつき神経質そうなつり目の三白眼(さんぱくがん)というだけで、好きで悪人面をしているわけではない。むしろ、清廉潔白な性格だと自負している。  全寮制の魔法学校に入学してからの七年間、成績は常に首席、生活態度も真面目で模範的、おまけに毎年皆勤賞と、文句のつけようのない学生生活を送ってきたというのに、ここにきて壁に行き当たってしまった。  『徒弟実習』――ようするに、魔法使いの弟子見習いとして働く、職業体験のようなものだ。  正式な師弟の契約を結ぶ――その場合、契約を解除しない限り師弟関係は生涯のものとなる――わけではなく、あくまで仮の師匠のもとでその仕事を手伝い、実地訓練をさせてもらう実習である。本来なら、深刻に悩まなければならないような課題ではないのだが…… 「一体どうすれば……」  どうにかして、この実習を回避する方法はないだろうか。そう思って今日(こんにち)まで色々な方法を考えてはみたのだが、残念ながら抜け道は見つからないまま、本日は春学期終業日。明日から夏休みだというのに、このままでは留年である。  アレクシスは掲示板の前で頭を抱えた。その後ろでは、これから始まる休暇を楽しみにはしゃぐ女子生徒数人が歩いている。が、彼女たちはアレクシスに気がつくと急におしゃべりをやめ、みな一様にススス……と、わざわざ距離をとって通りすぎていった。  ……一応言っておくが、これはアレクシスが女子に嫌われているからというわけではなく、ちゃんとした理由がある。別に顔が怖くて近寄り難いから、というわけではない。……多分。 「ウォルシュ君? どうかしたの?」  背後から、鈴を転がすような声がした。みんなが()けて通るアレクシスに声をかける人物なんてめずらしい。ふり向くと、白い修道服をまとった小さな女性が立っていた。 「マレット先生」  アレクシスはほっとした。  諸事情により、彼はこの学校で気楽に話せる人がほとんどいないのだが――彼女、サラ・マレットは別だった。背丈はアレクシスの胸にも届かないくらい低く、少しぽっちゃりとした丸顔に浮かべた笑顔は親しみを感じさせる。確か今年で五十三歳と聞いているが、そのたたずまいはまるで少女のように清楚でかわいらしい。  マレットはしずしずと歩みよると、アレクシスと並んで掲示板を見上げた。 「あら、徒弟実習の課題ね。ウォルシュ君、まだ履修していないの?」 「ええ、そうなんです」 「あなたは研究室にも所属していなかったわよね。大抵の生徒は、学内の教師のお手伝いをして単位を取ってしまうのよ。学校外の徒弟先は紹介してもらえなかった?」 「いえ……紹介はしていただいたのですが、その、占い師とか、治療士とか、どこも……」  あいまいに語尾をにごすと、「ああ」とマレットは言わずとも察してくれたようだった。 「そうね。今、魔法使いは九割が女性だものね」 「そうなんです……」  あまり言いたくはないことなのだが……アレクシスは女性が苦手だ。  いや、苦手どころか、まぎれもない恐怖を感じる。お年寄りや子供は平気なのだが、第二次性徴を迎えた――ようするに、女性らしい体つきをした女性が特にダメだった。  学校の教師も生徒もほぼ女性なので、さすがに日常会話くらいはできるが、常に緊張が絶えない。自分の半径五十センチ以内に近づかれると、恐ろしさでガタガタと震え出してしまう。以前は女生徒と接触しそうになるたびに失神して、周囲をよく驚かせたものだ。  授業中にもしょっちゅう担架(たんか)で医務室まで運ばれ、他のクラスの生徒からも「気絶君」「担架の人」と不名誉なあだ名で呼ばれるようになったり、治療士を目指す同級生からは「あなたのおかげで気つけ治癒の魔法がぐんぐん上達する」と感謝だか皮肉だかわからないことを言われたりと、恥ずかしいエピソードにこと欠かない。  今では教師生徒ともに心得ていて、アレクシスの姿を見ると静かに距離をとってくれる。ありがたいことではあるのだが……それはそれで情けない。  アレクシスががっくりと肩を落とすと、マレットはなぐさめるように優しく微笑んだ。  その聖母のような笑顔を見て思う。  ああ、この人に師事できれば良かったのに……  サラ・マレットは数少ない、アレクシスが怖くない女性のひとりだ。  彼女はこの学校で白魔法の歴史を教えているが、本来は聖アルブム教会に仕える修道女なのだ。生涯独身を貫き、異性とは握手をすることさえ戒律で禁じられている。そのせいか、マレットのそばにいてもアレクシスは動悸・息切れ・気絶に悩まされることはなかった。  そんな女性は(まれ)なので、できることならマレットのもとで徒弟実習をしたかった。けれど、それは叶わない。神の巫女である彼女は、たとえ一時的であっても男であるアレクシスを弟子にはできないのだ。 「そうね、今この学校に勤めている教師もみんな女性だし……そうだわ、卒業生のなかから、あなたに紹介できる男性魔法使いを探してみましょうか」 「そんな方、いるのですか?」  せっかくのマレットの言葉も、にわかに喜ぶことはできなかった。  自分で言うのもなんだが、アレクシスはこの伝統あるグラングラス魔法学校の歴史のなかでもトップクラスの秀才だ。よほどの専門分野でもなければ、アレクシスになにかを教えられるような人物は見つからないだろう。男子生徒は数が少ないばかりか、卒業後に必ずしも魔法使いになるというわけではないのだ。 「そうねぇ……私の知っている卒業生で、とっておきの人がいるわ。入学したのは十四歳と遅かったのだけれど、わずか一年で卒業してしまったのよ。名前はダニエル・ブラッグ。確か今は三十九……今年で四十歳ね。もちろん現役の魔法使いよ」  学修期間八年の魔法学校を、一年で卒業? 飛び級どころではない。
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