第一章 この人が俺の師匠?「魔法使いならもっと見る目を養うんだな」

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「どんな方なのですか?」  アレクシスが聞くと、マレットはくすっと笑った。 「あなたとは、正反対ね。反抗的で、皮肉屋さんで、(しゃ)にかまえて物事を見ていたわ。けれどそれはきっと、世間の厳しさを生き抜いてきたからで……自分より弱い立場の者には優しいまなざしを向けていたわ。彼が立派な魔法使いになれたのは、そのおかげね」  アレクシスの頭に疑問が湧いた。一般的に、魔法学校に入る生徒は裕福な家庭の子供が多い。世間の厳しさを生き抜いてきたとは……どういう人生を送ってきたのだろう。 「ダニーの入学試験のことは今でもよく覚えているわ。ウォルシュ君もやったでしょう? 魔法で水を消す課題」 「ああ、はい」  なつかしい。  試験会場には、水の入ったグラスが用意されていた。受験生は試験官の前で魔法を行使し、制限時間内にグラスを空にするという試験内容だった。さほど難しい課題ではないが、魔法の精度や発現速度、操作の正確性などが細かく採点され、毎年二百人前後しか合格することができない。  受験者の多くは、水を気化する方法をとる。水魔法で水を気体に変化させるか、火魔法で水の温度を上げて蒸気にするのだ。  アレクシスはどちらも使わなかった。風魔法の応用で、水を生き物のように動かし空中に持ち上げた。そのまま水を蝶の形に変えてひらひらと宙を舞わせ、最後は跡形もなく空気中に霧散してみせた。なかなか難度の高い芸当なので、試験官たちはみな目を丸くして褒めてくれたものだ。 「ダニーはね、『水を消してみなさい』と言われて、その場でグラスを手にとると、水を飲み干してしまったのよ」  アレクシスは唖然(あぜん)とした。難関の魔法学校の試験で、そんなことを? 「試験官に注意されたら、『水を消せと言っただろ。これが一番手っとり早い』と平然と返してね」  とんち勝負か。 「よく失格になりませんでしたね……」 「ええ、試験官はとても怒っていたわよ。でも、せっかく最終試験まできたのだからと、もう一回チャンスが与えられたの。そうしたら彼はどうやって水を消したと思う?」 「どうしたのですか?」 「水がね、消えてしまったの。なんの前触れもなく、一瞬で」  ? 「すばやく蒸発させたということですか?」 「いいえ。水は消える直前、まったく温度を上げる様子はなかったの。もちろん、風で散らせたのでもない。気体になったのではなく、本当になくなってしまったのよ」  ……どういうことだろう。入学から七年経ったアレクシスにも、そんな魔法は使えない。 「目に見えないほどの速さで水をグラスの外に出したのですか? 転移魔法を使ったとか?」  マレットは静かに首をふった。 「そういう魔法を使ったのではないの。そもそも、グラスごとではなく、水だけを移動させる転移なんて難しすぎるわ。そんな複雑な魔法には、呪文の詠唱が必須でしょう? ダニーはなにも唱えていなかった。それどころか、指先ひとつ動かさず、まばたきひとつせずに水を消してしまったの」  アレクシスはそのさまを想像してみた。すごいと感嘆するより、不気味に思ってしまうような状況ではないだろうか。 「……マレット先生には、どうやったのかおわかりになられたのですか?」 「いいえ、その場にいる教師の誰もわからなかったわ。手品だイカサマだなんて騒ぎになってしまってね。ついにアドラム校長――当時は教頭だったわね――がいらして、もう一度ダニーに水を消してもらったの。そうしたら彼女はにっこり笑って、グラングラス魔法学校へようこそ、って、彼を合格にしたわ」  つまり、ダニエル・ブラッグは「魔法」で水を消したのだ。 「でも……そんな優秀な人が、学校に入る必要があったのですか?」  魔法使いに国家資格制度が適用されたのは四十九年前だが、それまで国中にあふれ返っていた魔法使いをすべて取り締まるのには三十年以上もかかったという。  今でこそ、魔法の悪用を禁じるために、魔法学校の卒業、師弟契約、魔法使いの資格登録といったさまざまな制度があるが、昔はもぐりの魔法使いも少なくなく、違法だと知りつつ仕事を依頼する雇い主もめずらしくなかったと聞く。ダニエル・ブラッグが入学したのは二十五年前――無免許でも仕事には困らなかったはずだ。 「ダニーはね、とても優秀な魔法使いだったわ。でもね、彼の魔力量は人よりずっと少なかったの。十トリクルくらい」  アレクシスは目を()いた。  『トリクル』とは、魔法を発動するための燃料となる、魔力の単位のことである。一般に、一人前と称される魔法使いが持っている魔力量は千トリクル以上。十トリクルなんて、とても魔法使いとしてやっていける量じゃない。というか、普通は入学許可が下りない。グラングラス魔法学校の受験資格は二百トリクル以上だ。 「じゃあ、魔法学校には魔力量を増やすために入ったのですか?」  魔力があるかないかは生まれつきの性質でほぼ決まり、成長期にその量も増幅するが、二十代も半ばをすぎると最大値は上がらなくなる。しかし適切な訓練を行えば、魔力量を増やすことはある程度可能だ。学校では生徒の魔力量を増やすように指導してくれる。 「いいえ。卒業してもダニーは十トリクルのままだったわ。おそらく今もほとんど変わらないんじゃないかしら」  わけがわからない。  アレクシスの顔を見て、マレットは、うふふ、と品良く笑った。 「あとは、本人に会って聞くといいわ。連絡をとってみるから、待っていてくれる?」 「ありがとうございます。よろしくお願いします」  アレクシスは心をこめてお礼を言った。マレットはにっこり笑ってそれを受けとると、来た時と同じようにしずしずと廊下を歩いていった。  その後ろ姿を見ながら、どこかふわふわした気持ちになる。マレットとは親子ほどの年齢差があるが――実際は、アレクシスの母親はまだ三十五歳なのだが――、彼女には憧れのような気持ちを(いだ)いていた。もっとも、実の母親はそれを知ったら盛大に嘆くだろうが……
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