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マレットと別れたあと、アレクシスは学校の敷地内にある図書館に向かった。そこには過去の卒業アルバムも保管してあるからだ。
二十五年前の卒業生、ダニエル・ブラッグ――目的の生徒は、すぐに見つかった。セピア色の写真には、暗色のローブを着た少年が仏頂面で写っている。
髪はおそらく黒か栗色の巻き毛で、たれ目がちの右目の下にホクロがある。南部系の端整な顔立ちだ。成長したら、なかなかの男前になったのではないだろうか。
(――どんな人なんだろう)
話を聞く限り、とにかく凄腕らしいが……謎な点も多い。
少々不安ではあるが、純粋に、魔法使いの先輩として興味もあった。
十歳で故郷を出て国一番の魔法学校に入学した時は、アレクシスもあふれるような期待で胸をふくらませていた。しかし、高揚感はすぐに落胆へと変わってしまった。同級生はおろか、最上級生にも自分より優れた魔法使いは見つからなかったのだ。
教師たちから教わることはあっても、数年後には彼女らを追い抜いてしまうだろうということもわかっていた。
それでも自分には「立派な魔法使いになる」という子供の頃からの夢があったから、この七年間、ぶれることなくやってこられたが……
けれど本当は――一心に憧れるような、腕利きの魔法使いに会ってみたかったのだ。
(……どんな人なんだろう)
少しずつ高鳴る鼓動を感じながら、アレクシスは卒業アルバムをそっと書棚に戻した。
*
その日、ダニエルはいら立っていた。
ダニエルは年がら年中不機嫌そうでとっつきにくいと言われることがあるが……実際はそうでもない。むしろ、温柔敦厚な性格だと自負している。しかしその日はほとんど魔力を使い切って疲れていたし、今にも雨が降り出しそうな天気のせいで髪がふくらみ、あちこちはねて不快極まりない。おまけにどうやら厄介ごとを持ちこまれているらしい。
「徒弟実習? なんでオレが、ガキのそんなものに付き合わなきゃならないんだよ?」
ダニエルは薄暗い台所に立ち、水を張った鉄のフライパンに向かって言った。仕事から帰ったばかりの自宅、水魔法で魔法学校から通信がきているのがわかった時、とっさに水を入れる物がこれしかなかったのだ。
「そんなこと言わないで、聞いて? ダニー。彼を弟子にできる魔法使いは、あなたぐらいなのよ」
水鏡の向こうから、サラ・マレットが昔と変わらない笑顔でおっとりと言った。
彼?
「男なのか? まだ、男で魔法学校に行く奴なんているのか」
人々が魔法の力に頼っていた一時代が終わり、ここ半世紀で社会における魔法使いの需要は低下の一途をたどっている。
一流の魔法使いになるには大変な時間と労力を要するが、そのわりに将来性がなく、実入りは少ないというのが現状だ。経済が発達し、産業が盛んな昨今、男性の多くはもっと発展的で実利のある仕事を好む。一方で、自立を望む女性のあいだで魔法使いは人気の職業だ。結果、ここ数十年で魔法使いの男女比率はかなりかたよった数字になっている。
「そうよ、一学年にひとりかふたり、くらいはね。代々魔法使いの家系の子が、伝統を絶やさないために入学してくるわ。でもほとんどの子が、魔法使いにはならずに一般の仕事に就くの。けれど、アレクシス・ウォルシュ君は違うわ。彼は、立派な魔法使いになることを夢見てる」
「立派な魔法使いねえ……」
ダニエルは口もとを歪めた。立派な魔法使いなんて、この世界のどこにいるのだろうか。
「それならますますオレには向いていないな。オレが魔法使いとしては破綻者だって、知ってるだろ?」
ダニエルはフライパンを持ち上げ、壁かけのフックに吊るした。水魔法が効いているうちは、たとえ逆さにしても水は落ちてこない。
「あなたはすばらしい魔法使いよ、ダニー。今も昔も、自慢の教え子で、敬愛する同志よ」
ふんわりと花のような微笑みを見せるマレットを見て、ダニエルはどう返したものかと悩んだ。どうも昔から、この白魔女を相手にすると調子が狂うというか……敵う気がしない。
「それにね、あなたもウォルシュ君に興味があるのではないかしら。彼は学校では父方の姓を名乗っているけれど、本名はアレクシス・スワールベリー。あのスワールベリー一族の出なのよ」
「スワールベリー?」
魔法使いでなくても、このエリシウム国の人間でその名を知らぬ者はいない。
今から五十年前、十年も続いていたエリシウム独立戦争――俗に魔法戦争と呼ばれている――を終結させた、アレクサンダー・スワールベリーという英雄を輩出した魔法使いの名家だ。
そもそもスワールベリーというのは北東部にある土地の名前で、そのあたり一帯がスワールベリー家の所有地という、大地主の大富豪である。その領地の広さは、エリシウム国の上級行政区画である十五の郡と同等の面積というはなはだしさだ。
「アレクシス君はアレクサンダーの直系の曾孫なの。彼が入学した時、わずか十歳で魔力は一万五千トリクルあったわ」
「へえ。それはそれは……」
魔力が一万トリクルを超える魔法使いは一般に達人と呼ばれる。新入生の時点ですでに教師並みの魔力量だったわけだ。
「サラブレッドのお坊ちゃんってわけだ」
鼻を鳴らすダニエルに、マレットは静かに言った。
「そうね。でもそれ以上に、彼は努力家だわ。誰よりも熱心に勉強しているし、豊富な魔力量に頼らず魔法を扱う技術を磨いている。飛び級だってできたのに、自分は人としてまだまだ学びが足りないからと言って、七年間みっちり修練を積んできたの。あと一年して卒業したら、故郷に戻らずに就職したいのですって。一族の力に頼らず、自分の力で働きたいって」
「どうしてだ? スワールベリーに帰れば、魔法使いとしての一生は保証されているだろ」
「それはどうかしら。彼は実家に帰ったら半強制的に結婚させられると悩んでいるみたいだったわ」
「……なるほど」
魔法使いの素質を持った者――生まれつき魔力を有する者――は、減少傾向にある。魔法使いは遺伝によってその才能が受け継がれることがほとんどなので、優秀な魔法使いを残したければ、魔力の多い魔法使いと子を成すのが最良とされている。現在では男の魔法使いは貴重だし、アレクサンダー・スワールベリーの曾孫ともなればその血統は特別だ。親戚中の女から伴侶にと望まれるに違いない。
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