第一章 この人が俺の師匠?「魔法使いならもっと見る目を養うんだな」

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「徒弟実習の内容は就職活動の時にも影響するのよ。学外で優秀な仕事ができたら、彼の就職先もいいところが見つかるかもしれないわ。ね、お願いよ。夏休みのあいだ、数日だけウォルシュ君を預かってくれるだけでいいの」  生徒思いの心優しい聖女、サラ・マレット。かなりこちらの分が悪いと思いながらも、ダニエルは言いわけを探して考えをめぐらせた。 「あー……そもそもオレは、正式な魔法使いとして登録されてないんだよ。学校の単位にはならないだろ」 「それは大丈夫。アドラム校長に相談したら、エリシウム魔法協会の認可を取りつけるとお約束してくださったわ」  ……ダメだ。これ以上断る理由が思いつかない。 「わかったよ。だが、そいつがあまりにも軟弱で使い物にならないようだったら、問答無用で追い返すからな」  マレットは顔をほころばせた。 「ありがとう、ダニエル・ブラッグ。優しく偉大な魔法使い。あなたに神のご加護がありますように」  水魔法が解け、フライパンに張った水からマレットの姿が消えた。と同時に、水が重力に従って崩れ落ちる。ところがダニエルが一瞥(いちべつ)しただけで、水はこつぜんと消えた。ダニエル得意の――そして唯一の――魔法だ。たとえ魔力が底をつきそうなくらい疲れていても、これくらいは造作もない。 「アレクサンダー・スワールベリーの曾孫ねえ……」  スワールベリーは女系の一族で、どういうわけか男がほとんど生まれない。そんななか、アレクサンダー・スワールベリーは変わり種だった。有能な魔女の家系のなかで、さらに桁違いの魔力を持って生まれた男性魔法使い。その曾孫で男となれば、周囲からアレクサンダーの再来だと期待されていることは想像に難くない。  どんな奴だろうか。本当にアレクサンダーのような大魔法使いの卵なのか、それとも? 「――まあ、そんな才能を持っていたとしても、今の時代じゃろくな使い道もないだろうけどな……」  ため息とともに吐き出された言葉は、皮肉というより、どこか哀しげな色をまとって響いた。 *  美しいアーチを描いたガラス張りの天井の(もと)、黒光りする車体を誇るようにシューッと蒸気を吐き出す機関車を前に、アレクシスは胸躍る思いだった。  郊外学習の際は学校所有の転移魔法陣でひとっ飛びだし、休みの日も移動手段といえば乗合馬車(オムニバス)だ。こうして鉄道を使うなんて久しぶりのことである。  ここはエリシウム共和国の首都ソルフォンスにある中央駅(セントラルステーション)。これからこの汽車に乗って、ダニエル・ブラッグのいる南地方のオベリア郡まで向かうのだ。  徒弟実習は一週間の泊まりこみだ。アレクシスは魔法使いであるダニエルの弟子見習いとして、その仕事を手伝うことになっている。  ダニエルは今時めずらしい、組織に属していないフリーランスの魔法使いだというので、毎日決まった業務があるわけではないらしい。  一般的な魔法使いが占い師や治療士、護衛士などといった特定の業種で活動しているのに対し、フリーランスの魔法使いとは、依頼された仕事を臨機応変にこなすいわゆる「なんでも屋」である。経験豊富なベテランの魔法使いが独立してなる場合が多く、万能選手(オールラウンダー)としての技量がものを言う。仕事ぶりが収入に顕著(けんちょ)に現れる厳しい職種であり、名指しで依頼がくるような熟練者でなければ食べてはいけない。ゆえに、その実力は折り紙つきだ。  そんな人を紹介してもらえるなんて、なかなかあることではない。マレットに感謝だ。  アレクシスは徒弟先で、掃除や事務や受付といった雑用をするのではないかと想像していた。あまり実習生としての経験が積めるとは思えないが、優秀な魔法使いの仕事を間近で見ることができるというのは貴重な時間となるだろう。  駅は人でごった返しており、そのなかにはもちろん女性も大勢いたが、別段恐怖は感じなかった。アレクシスは自分に興味を持っている女性が怖いので、関心なく行きすぎる人とは多少肩がぶつかったりしても平気なのだ。 (いや、以前はそれすら大丈夫じゃなかったな……。都会での暮らしも長くなったし、だいぶ免疫がついたのかも)  これなら、故郷スワールベリーにも戻れるだろうか……なにしろ、もう六年も帰っていない。あの短気な性格の母も辛抱強く待ってくれているが、内心では戻ってきて欲しいと思っているはずだ。  そう、ちょうど丸六年だ。六年前……魔法学校一年次が修了して、初めての夏休みで帰省した時、あの事件が起こって―― (う……思い出したら寒気(さむけ)がしてきた……やっぱり無理だ、どう考えても。今回の休暇では帰郷を見送りにして、実家には卒業してから顔を出そう)  もっとも、卒業までの一年間でこの恐怖症がどうにかなるとも思えないが――とりあえずその問題については先延ばしにしておき、切符を買ってさっそく汽車に乗りこんだ。席は三等車両の自由席。入試の時は母と食堂車(レストラント)つきの豪華列車でシェフの料理を味わいながら優雅な旅をしたものだが、むしろこういう庶民的な道行きのほうがわくわくする。 「ここでいいか」  ひとつだけまだ先客のいないボックス席があった。荷物を足もとに置き、進行方向を向いた窓際に座って、ほっと息をついた。  そうだ、ついでに身の回りのチェックをしよう。……よし、財布も時計もすられていないし、身だしなみも問題なし。
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