第一章 この人が俺の師匠?「魔法使いならもっと見る目を養うんだな」

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「こんにちは、相席よろしいかしら?」  顔を上げると、七十歳くらいとおぼしき女性が立っていた。白髪をきれいにまとめ上げ、つばの小さな帽子をかぶった品の良い婦人だ。  アレクシスは安堵(あんど)した。よかった! 完全に安全(けん)の女性だ。 「ええ、どうぞ。ああ、すみません、僕の荷物をどかしますね」  にっこり笑って立ちあがると、婦人が通りやすいように床から鞄を持ちあげ、頭上の荷物棚に置いた。 「あなたの鞄も棚に載せましょうか?」 「いいえ、大丈夫よ。ありがとう。汽車はあまり慣れていなくてね、気分が悪くなった時のためにお薬を用意しているの。すぐ取り出せるように持っていたいから、荷物はそばに置いておくわ」  そう言って、膝に載せた大きな鞄を大事そうになでた。古いが、質のいい革製の品だ。老婦人の持ち物としてはあまり似合わない気もするが、きっと夫の――それも多分形見の――鞄なのだろう。 「そうですか。よろしければ、席を交換しましょう。進行方向を向いていれば酔いにくいと思いますよ」 「まあ、ご親切にありがとう。お若いのによく気がつくわね、魔法使いの学生さん」  アレクシスは魔法学校の制服を着ていた。ネイビーブルーのスリーピース(三つぞろえ)・スーツに黒のタイをしめ、生成(きなり)色のフード付きローブを羽織っている。式典の礼装としても着られる上品なデザインは首都では有名で、すぐに国内一の魔法学校の生徒だとわかってもらえる。  せっかくの夏休みなのだから私服を着てもいいのだが、自分はこれから本職の魔法使いのもとで働くのだ。やる気を示すためにもきちんとした格好をしていたいし、なによりこの制服が気に入っていた。成績優秀な生徒に贈られる、真珠と純銀でできたチェーン付きのラペルピンをフラワーホールに挿しておくと、おしゃれでとてもかっこいいのだ。しかし大抵の生徒には「なんでよりによって手入れが面倒な真珠と銀!」とすこぶる不評なので、こうして喜んで使っているのはアレクシスぐらいなものである。 「これから帰郷されるのかしら。お(くに)はどちら?」 「故郷は東北ですが……家に帰るわけではないのです。これから卒業生のもとで実習をさせていただく予定で、ノースオベリアのほうへ参ります」 「あら、同じね。私もノースオベリアへ行くのよ。息子が原因不明の病にかかってしまってね、お医者様がこれは医学では治せないとおっしゃって、魔法使いを紹介されたの。ブラッグ先生という方よ」 「ダニエル・ブラッグさん? 僕の訪ねる方その人ですよ!」 「まあ、すごい偶然だわ。私、正確なお住いの場所がわからなくて困っていたのよ」 「ご案内します。僕も初めて行くところですが、道案内の魔法を使っているので、迷いませんよ」  アレクシスはブレザーの内ポケットから地図をとり出し広げてみせた。現在地と目的地までの道のりが、きらきらと点滅する光で示されている。 「助かるわ。きっと神様のお導きね」 「ええ。息子さん、良くなるといいですね」  老婦人は感謝のまなざしでアレクシスを見つめると、となりの席に置いていたバスケットを手にとって言った。 「お礼と言ってはなんだけど、よかったら、サンドウィッチを召し上がらない? チェリーパイもあるわよ」  バスケットは二段になっていて、野菜やハムが目に鮮やかな豪華なサンドイッチと、宝石みたいに真っ赤な桜桃(チェリー)がぎっしり載ったおいしそうなパイが入っていた。  アレクシスは目を輝かせた。学生寮の食事は質素なメニューばかりで、甘いものなんて出ないのだ。 「ありがとうございます。ごちそうになります」  なんという幸運だろう! 普段はあまり信心を持ちあわせていないのだが、思わず神様に感謝してしまいそうだった。  いやいや、日頃の行いがいいからかもしれない。それか、身なりに気を使っている成果か。  なにしろ「魔法の勉強をしています」と言うと十中八九「黒魔術かな……」と人を不安にさせるような容姿をしているので、なるべく好印象を持ってもらえるように、見た目や立ち居ふるまいには人一倍気を使っている。散髪はこまめに行い清潔感のある髪型を保ち、どんなに暑い日でも着崩すことなくきっちりとした服装を心がけている。そして物腰はやわらかく、礼儀正しく、親切に。――やった! その努力は報われている!  内心で感極まりつつもそれを抑え、アレクシスは言った。 「荷物のなかに紅茶とティーセットがあるんです。魔法でお湯はすぐに用意できるので、お茶を淹れますね」  鞄からとり出したティーポットに茶葉を入れると、水魔法と火魔法を同時に駆使してポットの中に熱湯を出現させる。婦人は「まあ、すごい!」と喜んでくれた。  実家では母の趣味で世界中の銘茶が収集されている。その影響で、アレクシスもお茶が好きだ。母が落ちこんでいる時にお茶を淹れるのはアレクシスの役目だったので、おいしく淹れるコツも心得ている。 「僕はアレクシス・ウォルシュと申します。あなたは?」  香り高い紅茶を注いだティーカップをソーサーに載せて手渡しながら、アレクシスは聞いた。老婦人は丸眼鏡の奥の小さな目を細めてにっこりと微笑む。 「マーシー・ヘザーよ。よろしくね」  マーシー・ヘザー――マーシーは慈悲を意味する名で、ヘザーは愛らしいピンク色の花を咲かせる植物だ。上品で優しそうなこのご婦人にぴったりな名前だと思った。
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