第一章 この人が俺の師匠?「魔法使いならもっと見る目を養うんだな」

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 ノースオベリアは観光名所もない田舎町だ。車窓を流れる風景は、どこまでも広がる緑の丘にぽつぽつと民家があるような、のどかな景色だった。  汽車に揺られて三時間、駅のホームへ降り立ったアレクシスは、続くヘザー夫人に紳士らしく手を貸した。長旅で疲れているのではと思ったが、上質な革手袋ごしの婦人の力は意外にも強くしっかりとしていて、足どりも軽かった。 「ブラッグさんのお住まいはここから歩いてニ十分ほどです。辻馬車を使いましょうか」 「いいえ、ずっと座っていたのだし、せっかくだから歩いて行きましょうよ」 「わかりました。でも、途中でお疲れになったら、遠慮なくおっしゃってくださいね。お荷物、お持ちしますよ」 「ふふ、優しいのねぇ。でも大丈夫よ。自分の物はちゃんと自分で持てるわ」  確かに、会ったばかりの相手に大事な荷物は預けにくいかもしれない。アレクシスは納得すると、婦人の歩幅に合わせてゆっくりと歩き出した。 「少し南のほうに来ただけで、やっぱり気温が高いですね。暑くありませんか?」 「大丈夫よ。あなたこそ、そんな上着を着ていて暑くはないの?」 「このローブ、温度調節機能があるんですよ。魔法である程度の暑さ寒さはしのげるんです」 「まあまあ、魔法使いさんの持ち物はすごいのねぇ」  ローブが支給された際、『最高品質の防護布使用、火竜の炎も防げます』とのうたい文句がついていた。まあ、ドラゴンなんて曾祖父も見たことがないであろう大昔の幻獣なので、試す機会は一生ないと思われるが。  そんな話をしているうちに、ダニエル・ブラッグの家へと到着した。  二階建ての一軒家で、築年数がかなり経っていそうな……言うなればボロ屋である。もとはきれいな外観だっただろうに、木造の壁に塗られた白い塗料はあちこちはげかけ、青い屋根も微妙に傾いていた。玄関扉はノブを引っ張ったらドアごと落っこちるのではないかという見た目をしている。  周囲に建物はなく、遠くに林と川が見えるだけで、緑の茂る平野には人っ子ひとり見当たらない。 「えーと、地図によるとここで間違いないはずなのですが……」  なんだか心配になってきた。が、ともかく婦人に不安を与えないように微笑んでから、玄関横の壁を(扉を直接叩くのは恐ろしいので)ノックしてみる。 「ダニエル・ブラッグさん? グラングラス魔法学校の紹介で来ました、ウォルシュと申します」  留守なのだろうか? 窓にはカーテンが引かれているし、人の気配が感じられない。でも、マレットがちゃんと連絡をしてくれているはずだし……まさか、居留守を使われている? 「ブラッグさん? ダニエル先生?」  くり返し呼びかけながら、ドアノブを握ってみた。すると、力を入れたつもりはないのに、スッと内側へ引きこまれるように扉が開いた。 「え……」  驚きながらも、そのまま導かれるように足が動いて、部屋のなかへ踏みこんでしまう。  室内は暗くて、外の明るさに慣れた目では様子がよくわからない。わずかに混乱したまま、トントン、と二、三歩進み……手がドアノブから離れたとたんに足が止まった。背後から差しこむ光が、床を四角く切りとったかのように照らし……その先端に、小さな黒い靴が見えた。いや、靴というより、足。誰かが立っている。  アレクシスは視線を上げてその相手を見た。小柄だ。自分より年下の……女の子? 「ひ……っ」  思わず引きつった声を上げた。まずい。顔を見た時は十三、四歳くらいの少女かと思ったが、あきらかに胸が豊かだ。東方人の顔立ちをしているから幼く見えるが、きっと自分と同じくらいの年齢だ。  おおおおおお、落ちつくんだ俺! 大丈夫、女の子は普通、男を襲わない。女の子は怖くない!  必死に自分に言い聞かせるが、体が硬直し、冷や汗が出てくる。学校生活で周囲に異性がいることに慣れたはずなのに、不意打ちで女子とふたりきりの空間にいるという事実に、パニックになりそうだった。それに、この暗さもダメなのだ。いやな記憶が呼び起こされる…… 「学生さん? どうかしたの?」  玄関ポーチに立ったままでいるヘザー夫人の声がする。そうだ、彼女がいたのだ。  返事をしようとした。けれど、口のなかが乾いて言葉が出てこない。汗が頬を伝った。  不意に、それまで黙って立っていた少女が動いた。一歩足を出して踏みこんだかと思うと、二歩目ではアレクシスの眼前まで迫っていた。目にも留まらぬ速さ。 「!?」  次の瞬間、アレクシスは少女に投げ飛ばされていた。体のどこをどうつかまれたのかもわからないまま、気がついた時には足が宙に浮いており、なすすべもなく壁際へと吹っ飛ばされる。 「……っ!」  防御の魔法を、と思うが、間に合わない。このままでは壁に叩きつけられる――!  痛みを覚悟した時、周囲を猛烈な熱風が襲った。  ドカン!! というすさまじい衝撃音とともに、家が破壊される。爆風で、アレクシスは家の壁もろともさらに吹き飛ばされた。 「……っ、シルフ――!」  天地がわからなくなりながらも、必死で風の精霊に呼びかける。自分の周りの大気の流れを緩やかにさせ、なんとか足から地面に着地した。  顔や手がヒリヒリと痛かったが、服も髪も焼けた様子はなく、怪我はなかった。魔法学校のローブはちゃんとうたい文句どおりの仕事をしてくれたらしい。  顔を上げると、家があった場所からは大きな黒煙が立ちのぼっていた。わずかに柱と外壁が残っているだけで、もとの形状の見る影もない。二十メートルは飛ばされたようだ。 「……ヘザーさん!」  一体なにが起こったのだ? わからないが、生身の人間があの爆発を受けて無事なはずがない。アレクシスは真っ青になって駆け戻った。 (治癒魔法は得意なほうだ。致命傷を負っていなければ、あるいは……!)  そう思って走りながらも、事態は絶望的に思えた。普通に考えれば、即死は(まぬか)れないだろう。  煙が風に流れ、だんだんと家の残骸があらわになってくる。その瓦礫のなかで、ひとりぽつんと立っているあの少女が見えた。距離が近づくにつれ、その姿の不自然さに気がつく。  あれだけの爆風を受けて、怪我をしていないどころか、白い肌には(すす)ひとつついていない。長い髪は(くし)を通したかのように背中に流れ、衣服にはわずかな乱れもなかった。なにより、平静すぎるほどに落ちついた無表情が、この状況にあって異様だった。  まさか、この少女がさっきの爆発を――?  先ほどとは違う恐ろしさが背筋を()う。少女まであと三メートルほどのところで足が止まり、彼女がこちらをふり向いた。
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