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「なっ……どうして、そんな危険なこと! 俺は単なる実習で来たんですよ!」
ダニエルがなにと戦っているのか知らないが、これではただのとばっちりではないか。
憤然と走りながら速度を上げて横に並ぶと、ダニエルは小馬鹿にしたような視線をよこした。
「お前もなあ、ちょっとは不審に思えよ。あの年齢の女が三時間も汽車に揺られて疲れないとか、おかしいだろ。ひとり旅であれだけの弁当持ってるのもありえねぇし、餌づけして相手の警戒を解こうっていう魂胆が見えるだろうが」
「な、なんで知ってるんですかっ!?」
喜んでチェリーパイを食べてしまったのを思い出し、赤面する。
「事前に魔法学校と打ち合わせて、護衛を兼ねた監視をつけさせといたんだよ」
ダニエルはみずからの左胸を人差し指でトントン、と叩いてみせた。アレクシスが自分の胸を見ると、ブレザーの胸ポケットからぴょんとバッタが飛び出してきて「わっ」となる。バッタは地面に降り立つ前に、キラキラと光を散らしながら消えてしまった。そうか――このバッタが先ほどの自爆魔法からアレクシスを守ってくれたに違いない。
「急ぐぞ。早くしないと、汽車が出ちまう」
ダニエルはさらに足を速めた。身長差があるぶん――ちなみにアレクシスは一八七センチあって、まだ成長中だ――ダニエルのほうが多く走っているはずなのに、まったく息を切らしていない。アレクシスはついて行くだけで精一杯だというのに。
「っ、発車時刻は、まだの、はずですけど!」
ノースオベリアは田舎町、汽車の発着は上下線ともに二時間に一本だけのはずだ。
「普通列車じゃない。乗るのは貨物列車だ」
駅が見えてきた。ダニエルは駅舎に向かわずに、線路が敷かれた土手を目指して走る。確かに、積み荷を乗せた貨物車が見える。
ダニエルに続いて土手を駆け上がりながら、アレクシスは叫んだ。
「それって! 無賃乗車では……っ!」
ダニエルも大声で返す。
「悠長に客車が来るのを待ってる場合かっ、黙って走れ!」
貨物列車は発車したようだ。少しずつ線路をすべって前進を始める。
ダニエルはものすごいスピードで線路を走り、最後車両に追いつくと地面を蹴った。軽々と荷台のふちに着地すると、ストンと内側へ降り立つ。片手にトランクを持ったまま、信じられない動きだ。
アレクシスを見下ろすと、余裕の顔でのたまった。
「ほら、お前も上がってこい。来れなきゃ落第だぞ!」
「~~~~~~~っ!」
どんどん加速する列車に向かって、アレクシスは必死に走った。
しかしダニエルのように跳び乗るのは、とてもじゃないが真似できそうにない。だがこのままでは距離を離されるだけだ。仕方なく、アレクシスは鞄を放り投げ、自分も思い切って跳躍した。
「シルフ!」
風の精霊に呼びかけ、強い追い風を起こす。風に背中を押され、バランスをとるのが難しいが、なんとか荷台のふちに片手をかけた。
「強き風よ!」
さらに強風を起こし、下からあおるように後押ししてもらう。ぐんと体が持ち上がり、勢いあまって荷台の内側へと頭から落ちた。図らずも受け身をとるように体が前転してうまく衝撃が緩和され、最終的にあおむけの格好で停止した。一瞬遅れて、腕のなか――というより腹の上――に鞄がドサッと落ちてきた。
「ゔっ! いたたた……」
車両の荷台にはたくさんの木箱がところ狭しと積まれていた。ふたになにか書いてある……『南部産オレンジ』?
「積み荷が石炭なんかじゃなくて、よかったな」
軽い調子で言うダニエルを、アレクシスは恨めしそうな目で見上げた。
「……これから、どこへ行くのですか」
「この汽車は東へ向かってる。その先は、まだ秘密だな。敵の目に見つからないようにしつつ移動だ。数日の旅路になるから、お前もそのつもりでな」
簡単に言ってくれる。
「……いきなり、なんなんですか。敵とは誰なんです? あなたはなにと戦っているんですか。俺は一体、なにに巻きこまれているんですか!」
理不尽さをぶつけるように、アレクシスは声を荒らげた。ダニエルは気にした様子もなく、にやっと笑う。美しい少女の顔には似合わない、ずいぶん人の悪そうな笑みだ。
「オレの仕事を手伝いに来たんだろ、魔法学校の優等生? だったら弟子として、オレの言うことを素直に聞いて従うんだな」
アレクシスは唖然とした。
なんなんだ、この尊大さは。未だかつて、大の大人でこんな傍若無人な態度の人には会ったことがない。
ダニエルはアレクシスの反応を面白そうに眺めたあと、ふと真顔になった。
「まあ、あのババアの魔法を前にして、ビビらず立ち向かおうとしたことは褒めてやるよ。学生にしては上出来だな」
アレクシスはまばたきした。
あの時……ダニエルは姿を消していて(物陰などなかったのに、どこに身を隠していたのだろう?)自分は魔法を発動させる前だったというのに、ヘザーを捕らえようとしていたことを、ダニエルはちゃんとわかっていた?
「あのババアを仕留められなかったのは、オレのミスだ。お前を巻きこんだのは悪かったよ。今回の一件が片づくまで、ちゃんと守ってやるから安心しろ」
不意に、ダニエルは破顔した。人形のようにきれいな少女の顔に浮かぶ、存外にあたたかい微笑み。黒々としたまつ毛にふちどられた瞳が、陽光の下でキラキラと輝いて見える。多くの東方人がそうであるように暗褐色だと思っていたそれは、紫水晶のような濃い紫色をしていた。とてもめずらしい色だ。一瞬、アレクシスは時を忘れたかのように見とれた。
その時、吹きつける風にあおられてダニエルの異国風のワンピースの裾がはためき、白い膝が丸見えになった(信じられないことに、肌を隠してくれるドロワーズをはいていない!)。アレクシスは「ひっ」と息を呑んで木箱の上をササササッと後ずさった。
「? どうした。顔が青いぞ」
「なんでもないです! ……それから、ご心配なく。自分の身は、自分で守れますから!」
冷や汗を拭いつつ、声高に宣言した。ダニエルはひょいと眉を持ち上げてアレクシスを見ると、面白がるように笑った。
「そうか。威勢がよくてなにより、優等生君」
「アレクシス・ウォルシュです!」
視界いっぱいに広がる青空を仰ぎ、ダニエルはからからと笑った。
アレクシスは激しく不安になった。
自分は、なんだかとんでもない人のところに来てしまったらしい。そしてどうやらこの夏休みは、ただの校外学習とはほど遠い、前途多難の冒険が待ち受けているのではないかと……
*
――これが、無名の腕利き魔法使いダニエル・ブラッグと、のちに世界の真理にたどり着くことになる魔法使いアレクシス・スワールベリーの出会いだった。
この夏休みでふたりが生涯を通じた師弟契約を結び、アレクシスにとってダニエルが心から尊敬する師匠になるとは、この時にはまるで想像もつかないことであった。
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