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 けれど、風が吹けば花は散る。花が散ると、どうしてかあやかしの声は聞こえなくなった。それから再び私の花が咲くまで、あやかしはワタシが広がる周辺を離れず、うろうろとさまよっているようだった。  夜ごとに声を震わせて泣いていた。  だが、日ごとに声は獣のうなり声のようになったいく。  やがて、あやかしのものではない悲鳴や唸り声と思われる空気の震えを感じるようになった。  次にワタシの花が咲いたとき、あやかしは初めて言葉が通じたときよりも騒々しく、より悲愴な枯れかけた低い声で、嬉々とした口調で「白線」と、あやかしがワタシに付けてくれた名を呼んだ。  あやかしというものは言葉が通じさえすれば獣も人も虫も花も愛する。自分の言葉が通じる存在だけを愛し、愛した存在だけを欲するようになる。  だから、その存在が欠ければあやかしはどんな生き物よりもずっと簡単に道を踏み外す。在るだけのものから、在るだけで害をなす者へと変わる。  長く生き続ければ言葉を得て、何者かと心を通わせ、やがて道を踏み外す。  道を踏み外したあやかしは、愛する者以外を無差別に害するようになる。  それが彼らの在り方なのだろう。  だがそうなれば、あやかしもただでは済まない。やがて獣に食われ、人に駆除され、虫にかじられ、草花に飲まれていく。けれど、ワタシのあやかしは百年間、それを退き続けたらしい。獣を食らい、人を引き裂き、虫を踏みつぶし、ワタシの根元にいた草花を根こそぎ引き抜いていた。  ワタシはあやかしが生き抜いたことを褒め、仕方なかったとはいえ放って置いたことを謝り、そしてそこからは花が散るまで三日三晩叱責した。あやかしは相当堪えたらしく、それから辺りにあるものをむやみに傷つけることはなくなった。  それから数百年経って、いまでははじめの頃とは比べものにならないほど丸くなった。友と呼べるあやかしと出会うと、その友のことばかり話すようになった。いかんせん交友関係を構築してこなかったものだから、態度も言動も行動もなにもかもが天邪鬼だが、情を持ち目を掛けていることは端から聞いているワタシでもよくわかった。  蝶のあやかしは、今は幸せそうにしている。  だが、今は永遠に続くものではない。  蝶のあやかしが力を付けて花の言葉を解するようになるのが先か。  それともあの樹が枯れるのが先か。  どちらであっても、いずれ蝶のあやかしはかつての自分のように道を踏み外すのではないか、と。  ワタシのあやかしはそれを心配している。
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