初恋

あれが初恋だったんだと気付いたのは、ずいぶんと後になってからだった。

つないだ手はいつも温かくて、自然と心まで温かくなって。

いつまでも一緒にいたいと思った。離したくないと思った。

だからその手を大きく振り払われたあの日。

あまりに勢いが良くて、尻もちまでついてしまったあの日。

走り去っていく背中をただ見つめるだけで、追いかけるどころか呼び止めることも出来なくて。

息苦しさと痛みだけがそこに残った。

転んだ痛みよりも、胸の方がずっと、ずっと痛かった。

時間が経つにつれて痛みは和らいでいったけど、小さなしこりみたいなものは、心のどこかにずっとあった。

でもそれも次第に限りなく小さくなっていって、少し苦い思い出としていつの間にか記憶の隅に追いやられ、忘れていくんだと思っていた。

それなのに。

（何が、どうして、こうなった・・・）

「御影ー！おーい！」

後ろから大声で自分を呼び止める声に振り返ることもなく、御影は一つ大きく息を吐くと、足早にその場から立ち去ろうとした。

「え、ちょっと！」

本気で逃げるつもりはなかったから、すぐにその距離は縮まった。

隣に並ばれて、観念したように御影は歩く速度を緩めた。

「なんで先に行くんだよ、呼んでんのに」

「吾妻がこんなところで大声で呼ぶからだろ」

ちょうど講義が終わったところで、構内は学生で溢れていた。

ちらほらと投げられる視線が少し居心地が悪い。

（自分が目立つ存在だって自覚ないから）

長身の爽やか系イケメンは、こんな人混みの中でも際立っている。

「次ゼミだろ、一緒に行こう。あ、でもその前に購買寄っていい？今日寝坊しちゃって、ろくなもの食べてないから、腹減った」

うん、と答える前に、花が飛んできそうな黄色い声が二人の間に割って入った。

「隼斗ー！」

位置的に御影の方が先に、その存在を確認する。

女子が三人、御影のことなどおかまいなしに、吾妻に駆け寄ってきた。

どの子もおしゃれでかわいくて小さい、女の子だった。

「隼斗、このあとみんなでカラオケ行こうって話してたんだ」

「隼斗も行こうよ～」

「これからゼミだから、無理かな」

「終わってからでも良いからさ、カズ達も来るし」

「う～ん、ごめん。ゼミの後も予定あるから、今日は無理」

女の子達がまだ何か言っているようだったけれど、吾妻は少し距離を取っていた御影のところに来て、行こう、と背中を押した。

押されるままに歩き出したはいいけれど、

「良かったのか、断って」

「良いも何も、次ゼミなんだから」

「まぁ、そうだけど・・・」

「御影は、ゼミの後は？」

「帰るよ。今日はバイトないし」

「お！じゃあ一緒に帰ろうぜ～」

「いいけど・・・え？お前、さっき予定あるって」

「うん、今できた。御影と一緒に帰る予定」

「お前、嘘ついて断ったのかよ」

購買に向かって一度外に出たから遮るものはないのに、思いのほか声が響いて御影自身も驚いた。

止まって固くなった空気を、吾妻が笑い飛ばした。

「人聞き悪いこと言うなよなぁ。本当に予定あったし」

「あぁ、帰った後にってことか？」

「いや、違う。一緒に帰ろうって御影を誘う予定。それが、一緒に帰る予定に変わった」

「なんだそりゃ・・・」

満足そうに笑う吾妻とは対照的に、御影は呆れてそれ以上何も言えなかった。

（たまに、いや、再会してからずっと、俺はコイツがわからん）

先に行く吾妻の背中をただ見つめて立ち尽くしていると、隣に御影がいないことに気付いた吾妻が、振り返ってまた。

「御影ー、早く！」

「だから、声デカイんだっつーの・・・」

御影は、絶対に吾妻には聞こえない声をこぼした。