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Side:T 「あー、やっとすんだー。お腹空いたー!」 授業終了の合図のチャイムが聞こえて。講義室から教授が出て行った途端、その声が隣りから聞こえた。 「お前それ毎時間終わるたびに言ってない?」 「え、言ってる?」 「うん」 「えー、そんな言ってないと思うけどなー。まぁとにかくお昼なんだから購買行こうよ、竜也」 「んー」 「あ、それと。ついでにさぁ……」 ニコニコと笑いながら。親友の淳は、続けた。 「レポートの資料探しに行こ? 真人さんのとこ」  俺は五十嵐竜也。この春大学に入ったばかりの十八歳。今、昼休みが始まってまだ二十分しか経ってないのに昼食を食べ終わってしまい、図書館に向かっている所だ。隣を歩く淳は、この大学に入って出来た友人の中で一番仲がいいヤツ。ガキっぽくて、バカで。そして、俺の秘密を……多分、唯一知ってる人物。そして、その秘密を共有する唯一無二の理解者でもある。 「んー……なんかまだ食べ足りない……」 「あんな甘ったるい菓子パン3つも食っといて?」 「だって! おいしいとすぐなくなっちゃうの仕方なくない?」 「そんなだから気にしてダイエットする羽目になるんじゃん?」 「なっ、うるさいし! てかさぁ、八つ当たりやめてよね」 「は? してね……」 「うっそだぁ。顔に書いてあるし。そんなに真人さんとこ行くの嫌?」 「っ……」 思わず、何も言えなくなって黙り込む。 「あのさぁ、そんなつんけんしてても何も始まらないと思うよ?」 「……始めていいことなのかよ?」 「好きになったら関係ないでしょそんなの! だいたい、竜也はすごいもったいないことしてるって!」 だってさぁ、と淳は続けた。 「相手が一緒に住んでるんだよ? 一つ屋根の下! しかも二人暮らし!」 「おい」 「なのに、アタックもせずに諦めちゃうなんて、絶対ありえないって!」  力説する淳に、俺は複雑な気分になる。知らないクセに、とは言えない。だって、コイツは決して、知らないワケじゃないからだ。俺達が共有している秘密……同性相手に恋心を抱いてしまうことの、その辛さを。 「俺なんか! 俺なんか、助けてもらったその時しかしゃべってないし、二つも上だし、あんなカッコよかったら彼女絶対いるし……」 「淳……」 「名前……っても苗字くらいしか、確実に掴んでる情報、ないし」 そう言って、しゅんとうつむいてしまう淳。聞いた所によると、淳は一ヶ月くらい前に、その顔の可愛さと小柄な体格故に二年の先輩に囲まれて絡まれたことがあって。そこに通りかかった三年のある先輩が、絡んでいた奴らを黙らせて散らし、淳を助けてくれて。そしてその時に、淳はその先輩に惚れてしまったらしい。確か、苗字は雨宮さん、だったっけ。 「まだ、忘れらんねぇんだ?」 「う、うるさいなっ。諦め悪いのはそっちも同じでしょ」 「あ、いや、悪い意味じゃなくて」 「あーあ、いーなぁ竜也は。そりゃ色々と大変だろうけどさ、やろうと思えばどうにかできちゃうワケじゃん?」 「てめっ、淳!」 「うっ……ご、ごめん」 でも、淳の言ったことは事実だった。  俺の想い人である兄貴──真人は、去年の夏に親父が再婚して出来た義理の兄。で、現在成り行きで、学校の近くのマンションに二人暮らしをしている。  三月終りに、二人揃って家を追い出された時のことはよく覚えている。母さん──兄貴の母親さん曰く、生活力をつけるために自分達だけで暮らしてみなさい、と。ふざけんな、と叫ばなかったのは奇跡だと思う。というか「どうする?」と小首をかしげて兄貴に聞かれたあの時、否定の言葉なんか当然叫べなかったんだけど。幸い、兄貴の苦手な料理は俺が出来るし、洗濯とか掃除なら兄貴も出来たし。そして俺の親父までもが、お金のことなら心配するな、お前達も職場や学校の近くに家がある方がいいだろう、と言って。確かに朝が弱い俺と、職場がウチの大学図書館である兄貴にとっては、いい条件と言えばいい条件だった。そういうことで、話を持ち出されてその二週間後には、親がすでに押さえていた物件への引っ越し作業が行われて。  それからなんとなくで、今の微妙な雰囲気の二人暮らしは続いている。親が気を遣って広めの物件を押さえてくれたから、それぞれの部屋があるのが救いだったり(寝室一緒だったら、今頃絶対ストレスで胃に穴開いてると思う)。まともに顔を合わせて話をするのは、朝食と夕食の時くらい。あとは、向こうはどうか知らないけど、俺は部屋に引きこもって勉強するとか、ゲームしたり音楽聴いたり、趣味でギターいじったりしてる。そうじゃなかったら、外に遊びに出ている。 「あ、着いちゃった」 「ちゃった、じゃねぇよ。あー……」 「ねぇ、もういい加減素直になったら? 忘れるには、顔合わせる時間が多すぎるよ、竜也は」 「だって、さぁ……」 「いつまでもそんなだったら、多分、真人さん考えちゃうよ? 竜也は俺のこと嫌いなんだ、って」 「それで家に戻ってくれても……」 「うわそれ最低だよ! だったら竜也が家戻ればいいじゃん?」 「だって、家戻ってきたら、別にいいけど朝起こしてやんないって、親が……」 「で、遅刻常習犯になる、と。……ってか、え!? 朝もしかして真人さんに起こしてもらってんの?」 「……うん」 「うわ……なんか、今、一瞬殴りたくなったんだけど」 「なんとでも言えよ。俺マジ朝弱いんだからしゃーねーじゃん」 「じゃぁ言う。ワガママ、自己中、最低、クズ野郎、それから……」 「ちょ、そこまで言うことなくね!?」 「そんくらいゼータクだって言ってんの! てか真人さん帰っちゃっても、どっちにしろ遅刻常習犯になるじゃん!」 あーもーずるいー、とか言いながら、ドアを押し開けて図書館へ入っていく淳。それについて行きながら、思う。確かにゼータクだって分かってる。でも、好きな相手に「ちゃんと起こしてあげるから心配しなくていいよ」と優しく微笑まれた後に、「もしかして、迷惑?」なんて不安そうに聞かれて、すんなり断れる奴が居るだろうか(居たら尊敬するし、マジで)。 「真人さんこんにちはー!」 「ああ、こんにちは、淳くん。あの、もうちょっと声のトーン抑えてね?」 「あ、ごめんなさい。……って、ちょっと竜也ー? 何してんのー?」 げ、と思った。カウンターからは死角になる位置にある、図書館に入ってすぐの所にある広告コーナーの所で立ち止まっていた俺。もちろん、時間稼ぎのためなんだけど。目の前の掲示板に貼ってある学内外行事の広告や、掲示板の下の長机に並べてあるチラシを見るともなしに見ていたら、淳に呼ばれてしまった。  仕方ないから出ていくと、カウンター内でイスに座っている兄貴が、こっちを見ていた。カウンターをはさんで兄貴の向かいに立っている淳は、人の悪い笑みを浮かべている。ちょっとムカつく……と思いつつ、俺は兄貴に声をかけた。 「よ、兄貴。仕事はかどってる?」 「うん。そっちは? 授業寝たりしてなかった?」 「寝てないし!」 「あはは、ゴメン。今朝、いつもより眠そうだったから。で、今日は?」 「あ、えーと……資料を探しに来たんだけど」 「資料ね。他の子に聞いたんだけど、テスト来月らしいじゃない? だからレポートかな。テーマは?」 しっかり対応してくれる兄貴。俺は淳と一緒に、さっきの時間に配られた、レポートの指示が書いてある紙を見せた。 「うわー、こりゃまた面倒くさそうな課題だねぇ」 「でしょー? 何かいい資料あります?」 「うん、ちょっと待ってね。今検索かけてみるから」 そう言って、兄貴はカウンター内のパソコンと向き合って操作を始めた。こういうのは、基本的には窓際にあるパソコン使って、学生が自分でやるものだ。そして、自分ではどうにもならなくなった時だけ、司書を頼る。けど、俺や、俺が親友だと紹介してある淳が相手だと、今みたいに見た目暇な時は、特別に最初から兄貴はその場で対応してくれる。見るからに忙しそうな時は、もちろん俺達は本棚とか、窓際のパソコンの所にまっすぐ探しに行くんだけど。……でも、分からない。司書の仕事の大変さは、見た目には分からないって聞くから。  もしかしたら、兄貴は今も、他に何かやらなければいけない仕事があるのかもしれない。けど、淳と話をしながらも、真剣にパソコンと向き合って資料検索をしてくれている兄貴を見たら、やっぱりいい、なんて今更言いにくかった。本当に優しい人だよな、と思いながら、俺は淳の隣に立って、マウスを操作する兄貴の綺麗な手を見ていた。  
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