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ゆらゆらと、炎が揺らめく。私はぼんやりとそれを眺めながら、数時間前の出来事に思いを馳せていた。――先輩。私の大好きな、愛してやまない先輩。そんな彼に、キスをされたのだ。放課後の教室で、唇と唇が僅かに重なり合って。その後、私は先輩に告白された。「好きだよ」って。
涙が出るほどに嬉しかった。私は勿論了承し、私達はそのまま先輩の家へと向かった。今ベッドの上でぐっすりと眠っている彼の口元が緩んでいるのは、きっと気のせいではない。私との初夜を再び夢見ているのだろう。先輩らしい夢だ、本当に。
家に招かれるのをずっと心待ちにしていた。先輩は警戒心のある方だから、彼女にでもならないと家になんて連れて行ってはくれない。先輩の部屋から女の匂いがしないことから、恐らく私が初めてなのだろう。
薬を飲んで熟睡している先輩の頬をそっと撫でる。ああ、本当に格好良くて、愛らしい人。先輩の両親とは大違い。蛙の子は蛙っていうけど、あれは嘘なんじゃないかというくらいに穏やかな顔だった。
――私には、妹がいた。けど、妹は先輩の両親によって殺された。駅のホームであの図体の大きい夫婦に押されて線路の上に落ち、挙句に二人はSNSに上げようなどと言いながら妹が電車に轢かれるまで動画を取っていた。その日は妹と二人で出かける予定で、丁度私はそこにいて、悲鳴も上げられずにただその様子を脳裏に焼き付けていた。妹が潰れたトマトより跡形もなく赤に染まり、その命を落としていくのを、ただただ。
そしてその後、私と妹を女手一つで育ててくれた母は、あの夫婦によって拡散された妹が映った凄惨な動画を見て自殺した。私を残して、二人はいとも容易く死んでしまったのだ。だから、許せるわけがなかった。
目撃者は少なく、なにより私が「妹は足を滑らせて自分から落ちた」と語ったことにより、この事件は事故として片づけられた。だってあの夫婦を警察に引き渡しても、死刑にはならないし、苦しんで死ぬことはないだろう。だから私は、自分で制裁を下そうと決心した。
少しずつ追い詰めていった。最初は郵便受けに動物の死骸を入れて、次は家のドアに暴言を油性ペンで書いた子供じみたポスターを貼って、夫婦が飼っていた猫の死体を段ボールにいれて届けて、Twitterで夫婦が犯した罪とその住所を拡散して……最近は隣人を通して先輩の弟の肉を「お裾分け」してあげた。そのお陰か二人ともすっかりやせ細ってしまって、今はあの大きい体など見る影もない。弟の失踪がよっぽど堪えたらしい。でも大丈夫、私は祐樹くんの肉を食べたりはしていない。それにあの子には両手を切断した上で、まだ生きて貰っている。だから死んではいないから、大丈夫。
ちなみに先輩も部活の後輩でそれなりに仲の良かった私にそのことを相談してきて、より一層私達の仲は深まって行ったから、これは一石二鳥だった。告白だって、この相談が無かったらされなかったかもしれない。さっき私と先輩が二人きりになりたいからファミレスにでも行ってほしいと言って出て行ってもらったあの夫婦は自分達のSNSの誹謗中傷に恐れながら下を向いていたけど、どうして先輩もあそこまで衰弱していないのかと聞かれれば私が先輩に親身になって相談に乗っていたからだ。やせ細って顔を青白くする先輩なんて、私は見たくない。
目の前にある蝋燭には、私の想いが詰まっている。炎が広がりやすいように新聞紙やオイルを床に撒いておいたから、確実にこの家は数分後、炎上するだろう。まるでSNS上に晒された、あの夫婦と私の妹のように。
炎が揺らめく。私はそれを眺めながら、意を決して蝋燭を手に持った。夫婦が家にいない今、燃えるのは私と先輩、そしてこの家だけだ。夫婦はいよいよ絶望するだろう。あんな社会の塵屑でも子供は我が身より大事なのだと思うと、少し笑えてくる。そして今まで自分達を貶めてきた犯人達が私までもを巻き込んだことによって二人は喪服姿で私の家に訪れ、そうして妹と母の仏壇を見つけるか、或いは私の部屋にいる先輩の弟を見て絶句するか、或いは警察からそれを聞いて、初めて「因果応報」という言葉を思い出すだろう。これが私なりの、復讐なのだ。
先輩の頬にそっとキスをする。私はまだ先輩のことを愛していた。だから、だからこそ、先輩には幸せなまま死んでほしかった。
先輩には本当に、感謝してもしきれない。
「ありがとうございます、先輩」
先輩のお陰で、私はようやく妹と母を――私の家族を殺した人を、殺すことができるのだから。
私は新聞紙とオイルがばら撒かれた床にそっと、蝋燭を落とした。
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