夕日

1/1
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
 少し足元のおぼつかない、「あのじいさん」と分かる痩せた男が小走りにこちらへ向かって来るのが見える。どうも「ちょっと、ちょっと、待っといてくれ」と、消え入りそうな声でこちらに訴えかけているようだ。  フェリーの船員は、多少の猶予ならしてくれそうな面持ちで、客の乗船を見守っている。 「これから南に向かうのかい?」  若い男が船に乗ろうとしている同じくらいの年格好の青年に聞いた。 「国中を旅しているんだ。夢でね」 「そうだって言ってたな」  二人が話しているところへ足元の少し怪しいじいさんがやっと追いついてきて、話に加わった。 「じいさん。暗い飲み屋で見るよりは、外で会うほうが顔色がいいな」 「ああ、こっちの兄さんよりいいだろう。そうだ、これを渡そうと思ってな」  じいさんは四角い紙箱が入った土産物の袋を出した。 「こんなもの、大した思い出にならねえが、船の中でも食べるといい。そういう時に食べると、何でもうまい気がする」  そう言って船に乗る青年に紙袋を渡した。青年は、知り合ったばかりの人にお土産を持たせてもらうなんて、初めてだと恐縮した。 「ありがとう。じいさん」 「じいさん、博打ですってんてんだったろうに」 「これくらい買う金はいつでもあるさ!」じいさんはそう言って、照れくさそうに笑った。  そしてじいさんは、港に残って見送る方の青年にも小さな声で話しかけた。「ちゃんとした名前は?連絡先は?交換したか?……直接言ったり、書いた紙だけ渡すのが照れくさかったら、あの土産の箱に忍ばせて置けよ。あとで読んでくれるだろうさ」  じいさんにそう言われた青年は、じいさんから調度良さそうな大きさのカードとペンを受け取った。それで突差に名前や住所にペンを走らせて、そっと彼の持つ土産袋の端に差し入れた。  出航の時間が迫った。 「僕はこの国の方々を旅したけれど、ここは本当にいいところだったよ。 いい人に会えたよ、おじいさん」そう言って見送りのじいさんと青年は握手した。じいさんは屈託なくわらった。 「おじいさんのようないい人がたくさんいて、みんなゆっくり暮らしていけるような国になるといいなと思ってるんだ」青年はそう言った。 「そうなるとありがたいな。その時は、毎日、ビールを一杯飲めるとありがたい。それで、時々二杯!」 「あはは、そうだね。それくらいがよさそうだ」  青年は笑いながら、今度は隣の見送りの青年とも握手した。 「また会いたいね。いろいろ話したいこともあるし、一緒に仕事も出来そうな気がしてる」 「そうなるといいな」 「また会おう。ありがとう!」  二人は力を入れて握手をした。  青年はフェリーに乗った。  フェリーの上と、岸壁のじいさんと青年と三人。いつまでも尽きることがないように、恋人たちのように手を振った。そしてそのうち小さくなって、船の形だけ分かった。  じいさんと青年は船を見ていた。船は下のほうから膨らむように弾けて黒い煙を発した。  見送っていた二人の前で、海に沈む赤い夕日と一緒にあの青年の面影が船もろとも沈んで行った。  国中を旅していると言っていた、フェリーに乗った青年は、この国の第一王子だった。彼は身分を隠して国中を見て周り、今日フェリーで渡る場所が最後の地域だった。彼はそこを見分したあと城に戻り、父王の下で執政に加わり、地固めをしながら来たるべき自分の国のあるべき姿を作ろうと考えていたのだ。だがそれについて、彼の弟の第二王子に不満があり、兄を排除させたのが今回の、船爆破だった。  夕日に滲む船の残骸をしばらく見ていたじいさんと青年は暗くなった港をあとにした。 「国内の視察をさせて、報告書だけ見て参考に使い、最後に兄を始末してしまう。第二王子も、まあまあ頭が良さそうじゃな」  じいさんが飄々と言った。こんなこと初めてでは無いという口ぶりだった。 「でも、あの船の爆破は誰のせいになるんです?仲良くして土産まで持たせたあんたや、連絡先を渡した俺は、疑われない?」 「そりゃ、少しは疑われるだろうが。渡した土産に爆弾が入っていたわけではないし、自分の本当の名前と連絡先を書いて渡す暗殺者はいないだろう?」 「そうですね。ちゃんと調べれば、テロリストの犯行で決着ですね。でも、第一王子、いい人でしたよ。すごく美しい……」 「おまえさん本気で惚れたか?もう一度会いたいか?」  青年は答えなかったが、無言であることが肯定を意味していることは間違いなかった。 「第二王子は第一王子と瓜二つだというぞ?」 「そうなんだ?じゃあ……」 「どっちがどっちを爆殺したか分からないってか?それはいまさら考えてもしかたがない。いずれにしろ、もう、片方は死んで一人しか残っていないんだからナァ。これで、近々、第二王子が国の権力を一手に握ることは決まったな」  じいさんのこの発言にも青年は答えなかった。その代わり何かブツブツと独り言を言った。 『まだ、しばらく波乱が続くか……』  見送りの青年は、第一王子との別れ際、紙に自分の名と連絡先を書く代わりに、「船が港を離れたら、船から逃げろ」と書いて渡したのだった。 「いずれにしろ、また会えるってわけかな。王子」
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!