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君という存在
ひなたが目を見開いているのを見て、大同が頭を掻いた。
「やっぱ協力、難しいかな」
「いえ。そうじゃなくて……えっと、名前……」
「はは。それか。ひなちゃんって呼び方、可愛いから勝手に。嫌かな?」
ひなたは、ううんと首を振る。
「それで良いです……でもCMの件は、」
言葉を濁すひなたに対して、大同は声を上げてガハハと笑うと、「交渉成立な」と強引に言い、羽多野までも呆れさせた。
「こら! なに無理矢理、交渉成立させてんの」
「いいの、いいの。な? ひなちゃん!」
大同がニヤニヤするのを、羽多野とひなたはお互いに顔を見合わせて仕方なく肯定する。
「で、どう思う? 『冷静』と『情熱』」
ひなたは少しだけ鼻から息をすんと吸い、呼吸を落ち着かせた。そして持っていた書類を机に置くと、少しだけ眉を寄せながら話し始める。
「その二つ。正反対でも、なんでもないんじゃないかな」
「え、」
「ん?」
ひなたがその書類の上に手を置いた。その手は、その皮膚は、薄っすらと赤みを帯びていて、紅色に染まっている。
ついさっき握った手は、ほわりと温かく、ひなたの見た目の印象より体温が高かったことに、少しの驚きがあった。
「胸の中に、情熱を秘めている人って意外と冷静なんじゃないかなと思うんです」
「え、……っとどういう?」
「例えば、フィギュアスケートの金メダリスト。競技開始の直前、とか」
オリンピックで金メダルを取ったことのある選手の顔が思い浮かんだ。競技が始まる前、ポーズを取る時。静かに曲の開始を待つ。落ち着き払い、冷静に見える瞬間だ。だが、その胸の内はたいそう鬼気迫るものがあるだろう。
勝ちにいくという気迫。
それが爆発する瞬間。
「あー、そういえばそうだ」
次々にアスリートと呼ばれる人種を思い出してみる。
闘志を内に秘めながら、ストイックに鍛錬を積み重ねて。
「確かに、結果を残そうとする人って、並々ならぬ努力してるよね。だからその積み重ねの上に確固たる自信がある。言われてみれば、みんな勝負どころ、獲物を目の前にした猛禽類みたいな目をしてるわ」
羽多野が両腕を胸の前で組んだ。それは羽多野が熟考する時にやるポーズだ。大同はその姿を見て、軽い興奮を覚えた。
(羽多野の腕組み、久しぶりに見たな)
「……なんか根底が覆された気分」
「確かに。ずっと正反対って、思い込んでたもんな」
「内なるもので表現すれば良いわけか」
「アスリートね。イメージしやすくなったな」
「いや、違う」
羽多野が言い切った。
「アスリートじゃだめだ。スポーツ用品売ってるわけじゃない」
「確かにな。先入観に潰される可能性がある」
「女優かモデルがいい。新人でスレてなくて、ダイヤの原石のような……」
「それだ! 情熱と冷静を併せ持つ新人!……」
羽多野と大同、二人が途中、言葉を失った。顔を見合わせる。
そして。
ひなたを見た。ひなたはコーヒーカップに口をつけていた動作を止める。
羽多野はひなたの前にずいっと身を乗り出して、言った。
「ひなたちゃん、君だ」
予感はあったが、大同も概ね、同意見だ。
真剣な表情で。ひなたを見つめた。
その瞳は淡い。その瞳に色が射す瞬間に立ち会うことができたら。
「ひなちゃん、君に頼みたい」
大同は真剣に。
ひなたは、何が何だかわからないと言った様子でキョトンとしながら、首をゆっくり横に振った。
「交渉成立な」
大同がニカッと笑うと、ひなたは慌てて首を横に振った。
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