曇りガラスのこちら側で

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曇りガラスのこちら側で

「え、」 「こういう場所なら、いっぱいあるかなーって」 顔を上げて、ニコッと笑った。 「……ひなちゃん、」 「最初はそう思ってたんです。でも、途中から、やっぱり嫌になっちゃって」 「…………」 「大同さんが帰るって言ってくれて助かりました」 乳がんで乳房を切除したとは聞いている。そのことと関係あるのだろうと思うと、大同は胸が詰まりそうになった。 「それにしても大同さん、見事なモテっぷりでしたね」 「そ、そんなことない、と思う、けど」 掠れた声が大通りを走る車のクラクションに掻き消されて、ひなたには届かなかった。 けれど、ひなたは気にせず、大通りに出て手を上げた。 「ありがとうございます。大同さんには色々貴重な経験をさせてもらって、感謝します」 スピードを落として近づいてきたタクシーがそろりと止まって、ドアを開ける。カチカチとバザードの音だけが、夜空へと登っていく。 「それじゃ。さよなら」 ひなたが乗り込むと、バタンとドアが閉まった。薄暗がりの窓の奥に、ひなたが控えめに手を振っているのが見えた。 大同も手を上げて、少しだけ振る。 胸に、もやっとした気持ちが残った。 大同はひなたと自分との間に、ガラスかなにかでできた一枚の仕切りでもあるような感覚に陥った。そのガラス板はどうやら曇っていて、こちら側からひなたの姿は覗き込めないらしい。 ひなたが何を考えているのか、何を感じているのか。その数少ない口数から推し量ることは難しい。 「そのガラスがまだ透明なら、見えるのかもしれないけどな」 ひなたを乗せたタクシーは、上手に赤信号をすり抜けて、大通りを真っ直ぐに走っていった。 ✳︎✳︎✳︎ 「これだよ、これこれー」 大同は、ニコニコと笑顔で両手を広げた。 「デートってのは、こういう健全なものでなくっちゃ」 郊外に建つ水族館の入り口の前で、大同とひなたは開館する時間を待っていた。 「デート、とはまた違うと思いますけど、」 「ひなちゃん、そこはいいじゃん、デートってことで!」 チケットを持つ大同の手に力が入った。 「……ホストクラブに行きたいとか言われたら、どうしようかと思った」 「ふふ、もう言いませんよ」 ひなたの口元が緩んだのが目に入った。 (あ、……笑ったな) 大同は、直ぐにそうやって喜んだ自分が少し気恥ずかしくなり、人差し指で自分の鼻を掻いた。
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