生きようとする眼差し

1/1

196人が本棚に入れています
本棚に追加
/84ページ

生きようとする眼差し

トントンとノックがして、ひなたが振り返る。 「ひなたちゃん、もう準備できた?」 「はい、」 サオリが、ひなたの右手に目を止める。 すると、ささっとひなたに寄ってきて、握っていたピンクリボンごとを、手に取った。 「つけてもいいよ」 手首にくるくると回して、優しくリボン結びにしてくれる。右手に魂が宿った気がした。 「あ、ありがとう……ござい、ます」 サオリが笑いながら言う。 「うわ、泣いちゃダメだよ。メイクが崩れちゃう。今からが本番なんだからねっ。早く行くよー」 廊下に出ると、エレベーターで一階上へと上がり、ホテルの最上階にあるレストランの厨房へと裏口から入る。そこでは大勢の調理人が忙しそうに、せかせかと動き回っていた。 食欲をくすぐる料理の美味しそうな匂いが、鼻の奥へとするりと入ってくる。食材を切ったり炒めたりする音、中華鍋を叩く音、食器がガシャガシャと重なり合う音、そして忙しさにイライラした調理人の怒声などが飛び交っている。 まるで戦場。 「失礼します!」 そんな騒々しさに負けないようにと、ひなたはありったけの声を出した。 すると、調理人がひなたへと顔を向ける。 ひゅうっと口笛がしたと同時に、パチパチと拍手が鳴った。 ひなたは、頭を下げた。そして、そんな厨房をすり抜けて、ステージ裏へと入る。 都内のセレクトショップが共同で出資企画し、ホテルのレストランを会場にして毎年行われるファッションショー。サオリの経営する「りく」は今回が初参加だ。 そして「りく」が出したのは、ひなたとベテランのモデル、リイナの二人。 「ヒナちゃん、落ち着いて」 ステージ裏。リイナがひなたの背中をさする。 「どうしようリイナさん。心臓が爆発しそう」 「うんうん、爆発はするけど、ステージに出ちゃえば、もう気持ちいいってだけになるから心配しないで!」 「気持ちいい、ですか」 「うん、私が主役ー! ってね。さあ、ヒナちゃん、胸を張って!」 その美人な顔をさらに美人にして笑う。ひなたもつられて笑った。 (そうだ、こんなステキな機会をもらえて感謝しないと) 「じゃあ、行くよー!」 リイナがステージへと飛び出していく。大きな拍手が湧き上がって、うるさいくらいに響くステージ音楽を、搔き消した。 ひなたは前を向いた。右手首に巻いた、ピンクリボンを左手でそっと押さえる。 (生きていると、……) 実感したい。 深呼吸をして背筋を伸ばすと、ランウェイへと歩いていった。
/84ページ

最初のコメントを投稿しよう!

196人が本棚に入れています
本棚に追加