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生きようとする眼差し
トントンとノックがして、ひなたが振り返る。
「ひなたちゃん、もう準備できた?」
「はい、」
サオリが、ひなたの右手に目を止める。
すると、ささっとひなたに寄ってきて、握っていたピンクリボンごとを、手に取った。
「つけてもいいよ」
手首にくるくると回して、優しくリボン結びにしてくれる。右手に魂が宿った気がした。
「あ、ありがとう……ござい、ます」
サオリが笑いながら言う。
「うわ、泣いちゃダメだよ。メイクが崩れちゃう。今からが本番なんだからねっ。早く行くよー」
廊下に出ると、エレベーターで一階上へと上がり、ホテルの最上階にあるレストランの厨房へと裏口から入る。そこでは大勢の調理人が忙しそうに、せかせかと動き回っていた。
食欲をくすぐる料理の美味しそうな匂いが、鼻の奥へとするりと入ってくる。食材を切ったり炒めたりする音、中華鍋を叩く音、食器がガシャガシャと重なり合う音、そして忙しさにイライラした調理人の怒声などが飛び交っている。
まるで戦場。
「失礼します!」
そんな騒々しさに負けないようにと、ひなたはありったけの声を出した。
すると、調理人がひなたへと顔を向ける。
ひゅうっと口笛がしたと同時に、パチパチと拍手が鳴った。
ひなたは、頭を下げた。そして、そんな厨房をすり抜けて、ステージ裏へと入る。
都内のセレクトショップが共同で出資企画し、ホテルのレストランを会場にして毎年行われるファッションショー。サオリの経営する「りく」は今回が初参加だ。
そして「りく」が出したのは、ひなたとベテランのモデル、リイナの二人。
「ヒナちゃん、落ち着いて」
ステージ裏。リイナがひなたの背中をさする。
「どうしようリイナさん。心臓が爆発しそう」
「うんうん、爆発はするけど、ステージに出ちゃえば、もう気持ちいいってだけになるから心配しないで!」
「気持ちいい、ですか」
「うん、私が主役ー! ってね。さあ、ヒナちゃん、胸を張って!」
その美人な顔をさらに美人にして笑う。ひなたもつられて笑った。
(そうだ、こんなステキな機会をもらえて感謝しないと)
「じゃあ、行くよー!」
リイナがステージへと飛び出していく。大きな拍手が湧き上がって、うるさいくらいに響くステージ音楽を、搔き消した。
ひなたは前を向いた。右手首に巻いた、ピンクリボンを左手でそっと押さえる。
(生きていると、……)
実感したい。
深呼吸をして背筋を伸ばすと、ランウェイへと歩いていった。
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