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この世の、
「ひなちゃんを愛してんのか、とか。恋人とか結婚とか、抜きにしてもな。真面目な話、同じ空の下で同じ空気を吸いながら生きていられれば、それでいいって、思うんだよ」
「ひなちゃんが、他の男と結婚してもか?」
キツイことを訊いている自覚があるのか、鹿島の顔が妙に歪んだ。
「……はは、まあな」
「…………」
大同が視線を落としていく。
「愛とか恋とか、考えてもわかんねえんだよ。今までにそんな風に考えたこと無かったからな。確かにひなちゃんと一緒だった時は、すげえ幸せだったし楽しかったよ。それこそ、思春期の男子高校生かってくらいにはしゃぎもした。でも、どうだろうな……」
ぼんやりと、残り二つとなった枝豆を見る。
「ひなちゃんが結婚する相手がな、まあ俺じゃなくてもいいかなって思うんだよ。そう思うってことはだよ? 好きとか愛してるとか、そこまでじゃねえってことなのかもな。今まで付き合った他の女とひなちゃんは全然違ってたし、もしかして俺の特別なのかもって、そん時はそんな気になってただけで……」
鹿島が、おしぼりを握った。
「ただなあ。結婚するなら、まあどうせ青くせえどこぞの若造なんだろうけどな、それ相応の良い人と結婚してもらいてえなあ。幸せになって欲しいんだよ」
「お父さんだな」
「ははー、まあな。そういう種類の愛情なのかもな」
「そうか」
「だから俺はまだ結婚はいいって。俺もそのうち、誰か見つけっから。とにかくお前は小梅ちゃんを幸せにすることだけ考えろっ」
「……わかった」
「小梅ちゃんを泣かせるなよ」
「ああ、」
鹿島がそのまま、うな垂れた。弱々しく、呟く。
「……わかった、それならいいんだ」
その表情が。
唇を噛み、眉根を寄せ、そして目を瞑る。何度も、わかった、それならいいんだ、を繰り返す。
どんどんと様子がおかしくなっていく鹿島を怪訝に思い、大同が鹿島の顔を覗き込む。すると、薄っすらと目の下が濡れていた。
「なんだー、幸せ泣きかあ? お前、なに泣いてんだよ」
「…………」
「いいなあ、お前は泣くほど小梅ちゃんを愛してるんだな。俺にはそういうの、まだわかんねえ。そこまで愛する女がこれから現れるのかどうかも、な」
ほろ酔い気分の大同が、薄っすらと笑いながら、鹿島の肩を叩く。
「でもお前はそういう存在を手に入れた。心配するなっ。お前は幸せになるんだからよ」
「……すまん、」
「なに謝ってんだよ、鹿島あ。いいよ、いいんだよ、お前は。俺より先に結婚するのを許してやるー‼︎」
うおおおーと大同が、梅酒をかかげる。
「かんぱーい! おめでとうなっ」
鹿島がおしぼりで、目頭を押さえる。
その様子を見て、大同は梅酒をテーブルの上に置いた。
「……バカだな、お前は。いったい、なにを泣いてるんだよ」
すると、鹿島はおしぼりでごしっと拭うと、真っ赤になった目で言った。
「バカはお前だよ。……大同、聞いてくれ」
嫌な感じがした。見たこともない鹿島の顔に、気後れするほどだった。
「なん、……だよ」
「……ひなちゃんが、」
もう一度、おしぼりで顔を押さえる。
その鹿島のくぐもった声に耳を疑った。
「え、なに? ……鹿島、もう一度言ってくれ」
さあっと血の気が引いていく。
「再発、したんだ。癌が、」
この世の終わり。
頭に浮かんだのは、その言葉だけだった。
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